入学6
檜で作られた浴槽と板張りの床から独特の香りが沸き立ち、白い湯気が濛々と立ち込める。
池に落ちて濡れ鼠になったラウルは現在、アカネが寮代わりに住んでいる木造家屋の浴室にいた。広さは大したことなく、大人が四人も入れば一杯になってしまうくらいだ。その代わり隅々まで掃除が行き届いており、真新しい木材には光沢があって清涼感に富む。
桶に汲んだお湯を肩から掛けたラウルは、軽く嘆息しつつ湯船に浸かり、今日起きた一連の出来事に思いを巡らせる。
初めて訪れた学院の正門では、思いがけず歓迎された。しかしその後の学院内では嘲笑されたり、幼女に会ったり、肉体関係を迫られたり、殺されかけたりした。今までの人生でも一・二を争うぐらい濃い一日だ。
そして今、ラウルはこうしてのんびり風呂に入っている。
「ドジ踏んだオレのために風呂まで貸してくれるなんて……ああ見えて、意外と優しいんだな」
本来なら部外者立入禁止となっている領域で、アカネはラウルを家に招き、手ずから風呂を沸かしてくれた。
しかもラウルが風呂に入っている間に、汚れた服を水の精霊魔法で洗濯し、服が乾くまでの着替えまで用意してくれたのだ。まさに至れり尽くせりであり、ラウルとしては深く感謝するほかない。
「……いや、待て。いくらなんでも面倒見が良過ぎやしないか!?」
アカネはきつい言動の割に、なんだかんだラウルに親切にしてくれた。
だが、普段は女ばかりの学院で過ごしている彼女が、会ったばかりの見ず知らずの男を何の衒いもなく自宅に招き、甲斐甲斐しく世話をする――。誤って池に落ちてしまったという原因は在れど、どうにも違和感を拭えなかった。
「流石にオレが男だってことは理解している、んだよな……?」
ラウルはアカネと出会った際、自分が男であると明言していない。彼個人としては、そんなことを言わずとも自明だろうという思いがあったし、わざわざ出会い頭に言及するのもおかしいだろうとも思っていた。
「そうだよ。アカネさんがちょっとばかり親切ってだけで、何も問題はない――」
「ラウル、湯加減はどうだ?」
自問自答の最中、脱衣所からアカネの声が響いてきた。ラウルは多少びくついたものの、アカネに聞こえるように大きく声を張り上げる。
「ええ。ちょうどいい温度です。お陰で身体の芯から温まりますよ」
「そうか。気に入ってもらえたようでなによりだ」
ガララララ。
耳に届いたその音が何を意味するのか、ラウルはすぐには理解できなかった。振り向いたラウルの目に飛び込んできたのは、生地の薄い肌襦袢を纏ったアカネの姿だった。
「この庵に人が訪れるのも久しいしな。どれ、わたしが直々に背中を流してやろう」
「…………」
ラウルは完全にフリーズしていた。
これは流石におかしい。仮に客人への持て成しだとしても、異性にここまで無防備な姿を晒すことに対し、普通の女性が何とも思わないはずがない。アカネが痴女という可能性も無きにしも非ずだが、それにしては妙に落ち着いているし、いくらなんでも彼女を愚弄しているのではないかと思う今日この頃。
などと、頭の中が混乱気味のラウルがふと気付くと、アカネは湯船に浸かったラウルの前で膝をついていた。
ちょうどラウルの目の高さに、薄い布を隔て形がはっきりとわかるアカネの胸が突き出されるような格好である。
「ほら、さっさと湯から上がれ。そこの椅子に腰かけるといい」
アカネが入浴中のラウルの腕を掴む。焦ったラウルはその手を無理矢理振り解こうとした。
「や、やめろ! オレに触らないでくれ!」
「む、何故抵抗する!? わたしはお主と同じ女性であるし、この湯殿は禊を行うことにも利用している。裸を晒すことは決して恥ずかしいことではないぞ?」
「クソッ、やっぱり誤解してやがる! いいですか、オレは女じゃなくておと――」
そのとき湯船からお湯がこぼれ、アカネの着る肌襦袢に降りかかる。それによりアカネの身体の詳細なラインに加え、胸の形どころか先端の突起がくっきりと浮かび上がった。
思わず凝視してしまうラウル。その隙に、アカネは強引にラウルを立ち上がらせた。
「あ」
「まったく、あまり手間を掛けさせるな。そんなに己の身体に自信がない……の、か……」
不意にアカネの言葉が途切れた。
膝立ちのアカネの眼前では、ラウルの股間の突起物が悠然と聳え立っている。アカネの目と口が大きく見開かれ、ラウルは絶叫されるのを覚悟した。
が、
「……ふむ。これは男性が持つふぐりというやつか。随分と自己主張が激しいようだな」
「え? いや、その……」
予想外に落ち着いた反応を返され、ラウルは面食らった。
「い、意外と冷静なんですね」
「故郷では、男の門下生と一緒に風呂や水浴びをすることも珍しくなかったのでな。異性に半裸を晒すのも、こういう類のモノを見るのにも慣れている。が、ここまで立派な『大太刀』はあまり見覚えがないがな」
若干顔が赤いものの、アカネは口元に手を当て咳払いする。ラウルは慌てて両手で股間を隠した。
「成る程……どうやらわたしは色々と勘違いしていたようだ。ああ――そういえばジャネット殿から、男子生徒が一人入学してくるというような噂を、最近小耳に挟んだ覚えがある。そうか、お主がそうだったのか……そうか」
横目でラウルの股間をチラチラ覗き見しつつ、アカネは独り言を呟く。ラウルはしゃがみ込んで再度湯船に浸かった。
「……すみません。出会ったときにオレが男だとはっきり言及しておくんでした」
「気にするな。結局のところ、お主の性別に気付かなかったわたしの落ち度だ。しかし、この可愛らしい見た目で斯様に凶悪な代物を持ち合わせているとは……クッ、王国の男子はバケモノか!? いや、この場合は男の娘と呼ぶべきだろうか……?」
「ええと、アカネさん?」
ぶつぶつと呟きながら一向にその場を動こうとしないアカネに、ラウルは困惑気味の声を上げる。
アカネはハッとしたように顔を上げた。
「す、すまんが急用を思い出した。着替えは脱衣所のところに置いておくから、洗濯した衣服が乾いたら一人で帰ってくれ。わたしのことは気にせずともよいからな。間違ってもわたしの部屋を覗くなよ! 絶対だぞ! ではな!」
そう早口で宣うと、アカネは大急ぎで浴室から出て行った。
一人取り残されたラウルはしばし呆気に取られていたが、一先ず身体の一部分が落ち着くまで大人しく湯船の中で温まることにした。