幕間2
「やあ、こんにちはお嬢ちゃん。そこで何をしているのかな?」
「…………」
とある空き地で、一心不乱に木の棒で地面に何かを書いている十歳前後の少女。そこに、二十代くらいの青年が笑顔で声を掛けた。
世が世なら即座に通報されそうな構図だが、幸か不幸か周囲に人影はない。
少女の身なりはいいが、服に少々土が付着して薄汚れている。それらに頓着せず、また青年を無視して、少女は地面に文字や記号を書き続ける。
青年は気にした様子もなく、微笑みながらその光景を見詰めていた。すると、
「ん? それってもしかして波動方程式かい? 最近、物理学の学会で発表されたっていう、あの」
ピタッ。
それまで青年のことなどまるで眼中になかったかのように熱心に動いていた少女の手が、ピタリと止まった。
「……わかるの?」
「そりゃまあ、これでも君より何倍も長く生きてるもんだからね。そうそう知識量では負けないつもりだよ」
青年はおどけたように肩をすくめる。
「偶に学会に顔を出すし、ここに来たのもその帰り道だしね。しかし、その若さで最先端の知識を理解するなんて素晴らしい。将来は有名な物理学者にでもなりたいのかな?」
「数学者」
「え?」
「将来は、数学者に、なりたい」
少女は、つっかえながらもハッキリと告げる。が、青年の表情は急速に曇っていった。
「う~ん、そうか。女の身で数学者を目指すのか……」
――およそ二百年ほど前、魔女や精霊契約者が登場したことにより、それまでほとんどの分野で男性上位だった世界が一変してしまった。しかしそれでも、以前同様に男性の方が優位な分野はいくつか残っている。その内の一つが学問である。
とはいえ、軍事学や政治学などは魔女たちの存在ありきのため、大幅な転換や変更を余儀なくされているし、化学や物理学などは精霊の助力により飛躍的な進歩を遂げていたりもしている。
そうした学問の中でも、昔と変わらぬ状態を維持している数少ない分野が数学である。
数学の学会は元々女子禁制に近かったが、魔女たちの登場で女尊男卑の社会が形作られていくにつれ、よりその傾向が顕著になっていった。
男にとっての聖域を守るという大義名分のもと、例え力では女性に劣ったとしても、頭脳の面では男性の方が上位であることを誇示したかったのだろう。
そこに、女でありながら数学の天才ともいえる人物が出現したらどうなるか――
まず間違いなく排除されるだろう。冗談でもなんでもなく、精霊契約者でもない限りは、高確率で物理的に退場させられる。
少女は若干涙目になった。
「父様も、兄様も、女が数学者に、なるのは無理、諦めろって、いうの。数学の本も、見ちゃダメだ、って言うから、代わりに、物理学の本を、読んでるの。でも私は、数学者に、なりたい。なってみたい」
「へえ……」
切実に訴える少女に対し、青年は神妙な顔で頷いた。
一人で遊んでいるところや、台詞がたどたどしく喋り慣れていないところから見て、家族や友人との触れ合いも少なく放置されているのだろう。
青年は目の前の少女を不憫に思ったが、それ以上に強い興味を抱いた。
「そうか。それならボクが、好きなだけ数学の本を提供してあげるよ。君が望むなら、数学の学会で発表された最新の論文なんかも読めるように手配してもいい」
「……ほんと?」
「その代わり、将来ボクが困っていた時には手を貸してほしいな。君が順調に成長すれば、一廉の人物になるのは間違いないからね。きっと君の力が必要なときがくるよ」
「私の力が、必要?」
「ああ――と、そういえば名前を聞いていなかったね。ボクの名はアイザック。君は?」
「私の、名前は――」




