失踪2
ルベイエール精霊学院の長であるリアーナは、目の前に並ぶ書類の山を見やり、机の上に力なく突っ伏した。
「あう~、じぇんじぇん仕事が終わらないのだ……あの襲撃があったときから、処理しなきゃならない書類の量が激増してるのだ……」
「そいつはご愁傷様だな」
ソファにどっかりと腰かけたイーシアが、他人事のように呟く。
リアーナと同じく魔女と呼ばれる存在である彼女は、しかしリアーナとは対照的に気楽な表情で、しかもほんのり赤ら顔だった。
テーブルの上に置かれたワインを無造作に掴むと、グラスへと並々と注ぎ、一気に喉に流し込む。その合間に、皿の上に置かれた燻製肉やチーズを無遠慮に頬張る。
もしそれらの飲食物に紅茶やお菓子が含まれていたら、リアーナの我慢の限界はとっくに超えていただろう。
イーシアの契約精霊であるマルデュークが、呆れたように告げる。
『イーシア、いつまで飲んだくれているつもりだ。やることがないなら、リアーナ嬢の事務処理でも手伝ってやったらどうだ?』
「は? やなこった。あたしは、文字を見ると頭が痛くなる病に苛まれてんのさ。そもそも、あたしの任務は学院に侵入しようとする不心得者を排除することだ。今までだって空いた時間に、瓦礫の撤去とか力仕事なんかを手伝ってやってるってのに、余計な雑務に関わるつもりなんざさらさらねえよ」
アプレンティスの襲撃で破壊された学院の結界は既に修復されたが、再度の侵入に対する備えのために『剣の魔女』であるイーシアが引き続き滞在することになった。彼女の役目はあくまで有事の際の用心棒であり、学院内の事務仕事を手伝う義理はまったくない。何より本人にやる気も適性もないので、下手をすれば余計に仕事を増やす羽目になりかねない。
「む~。シアたん、薄情なのだ。そこは嘘でも、手伝わせてほしいと言うところなのだ」
「「「ガウガウ」」」
あっさり見捨てるイーシアに、リアーナとその契約精霊であるケルベロスは不満の声を上げる。
リアーナが嘆くほど仕事が多いのには理由がある。
アプレンティスによる直接的な襲撃以外にも特に問題だったのは、その幹部である変異者がこの学院に紛れ込んでいたことだ。変異者の正体を見破るのは非常に困難であり、どれだけの期間どの程度学院の内部に食い込んでいたか不明である以上、その手引き等により他の工作員が未だ学院にいる可能性は高い。そのため、生徒たちの身辺調査を徹底的に行う必要があった。
当然のことながら、この仕事量が尋常ではない。
そもそも貴族相手に調査を行うこと自体がまず容易ではない。後ろ暗いことの一つや二つはどんな貴族にも存在する。自分たちの周辺を嗅ぎまわられて眉を顰めない貴族などいないだろうし、表面的なことはともかく、込み入った部分に立ち入るには大変デリケートな作業が必要だった。
「あれからもう一ヶ月経ってるけど、その間あちしはずっと働き詰めなのだ。シアたんは可哀そうとは思わないのだ?」
「百年以上生きてるあたしらにとっちゃ、その程度の月日は誤差みたいなもんだろ。そのくらいで弱音を吐くなよ。リアーナの秘書の方がよっぽど大変な状態だと思うが?」
この場にいない秘書のヴァネッサは、リアーナに回す書類を少しでも減らそうと、別室で仕分け作業に没頭している。また、自分で処理できる書類に関しては自分の所で対応しており、仕事量で言えばリアーナよりも断然多かった。
「飲んだくれているシアたんが言うな、なのだ。む~、それならせめて、目の前で酒やおつまみを貪るのをやめるのだ。集中力が削がれるし不愉快なのだ!」
『そうだぞ。鍛錬の一つでもしたらどうだ、イーシアよ。一人で手酌しているよりは余程健康的かつ有意義だろうに』
「へっ、この程度の酒量でどうにかなるほど柔な身体じゃねえだろ、魔女ってのは。ここんところ命懸けの仕事ばっか熟してたんだ。少しくらい静養してたっていいだろうがよ」
「だとしても、わざわざあちしがいる学院長室でやる必要はないのだ。これ以上飲むつもりなら即刻出ていくのだ!」
「なんだよ、つれねえな……」
リアーナとマルデュークから糾弾されたイーシアがぶつくさと呟いていると、部屋のドアをノックする音が響いた。
「あん?」
「どうぞ。入っていいのだ」
「――失礼します」
不機嫌そうに呻くイーシアを無視してリアーナが入室許可を出す。部屋の中に入ってきたのは、神妙な面持ちをしたエルフェイルだった。
「おや。エルちゃん。どうしたのだ?」
「イーシア様にご相談があって参りました。少々お時間よろしいでしょうか?」
「ん? あたしに……?」
イーシアが訝し気に尋ねる。彼女たち二人は直接の師弟関係にはないため、このような相談事を持ちかけられるのは珍しかった。
エルフェイルは首肯し、噛みしめるように言葉を紡いだ。
「はい。実は――」




