失踪1
エミリアとの大一番を週末に控えた、平日の授業後の休み時間。
男性であるラウル用に割り当てられた、離れの校舎にあるトイレから戻ってきたラウルは、薄暗い廊下で何人かの生徒が屯しているのに気付いた。
普段ならば気にも留めずにそのまま通り過ぎただろうが、彼女たちの纏う雰囲気が穏やかではなく、さらにその中心にいるのがヘキサクロスのチームメイトともなれば話は別だ。
「タチアナさん。貴女のような人には相応しくないわ。潔く身を引きなさい!」
「「「そうよ! そうよ!」」」
「……っ……」
そこでは気弱な顔をしたタチアナが、同じ一年生の生徒たちに囲まれて強い調子で詰られていた。
(何だ? もしかして色恋沙汰か……?)
ラウルは、一旦離れたところから様子を窺う。
「な、何度も言いましたけど、私はチームを抜けるつもりはありません。そもそも私が勝手にいなくなったら、チームの皆さんに迷惑が掛かってしまいます。それに、エルフェイル様も私の力が必要だときちんと断言してくれました! 自分がチーム『テンペスト』の一員だと、今では自信を持って言えます!」
どうやらワルプルギスについての話のようだ。
普段は友人のシルヴィアと共にいることが多く、若干おどおどした態度のタチアナだが、この場では思いの外はっきりと拒絶の意志を露にしている。
ヘキサクロスにおいて、長期の休学や退学を伴うようなやむを得ない事情を除き、チームメンバーの変更は原則禁止されている。
ただしこの制限は入学したての一年生には適用されない。具体的には、シーズン開始から交流戦が始まるまでの約三ヶ月間、一年生同士の選手の入れ替えが自由に行える。
これは、新入生と二・三年生の実力差が大きく、ヘキサクロスのメンバーに選ばれる一年生の数が極端に少ないことから設けられた特例措置である。実際には、この特例があるにもかかわらず一年生の起用が促進されることはあまりないのだが、現状で問題になっているのはこのルールについてだろう。
要は、彼女たちはタチアナを押しのけ、自分たちが代わりにエルフェイルのチームに入ろうとしているのだ。
「そんなのお世辞に決まってるじゃない!」
「図々しい物言いね!」
「法服貴族のくせに生意気だわ!」
タチアナの家は、領地を持たず国からの俸給で生計を立てている法服貴族だ。爵位も低く、基本的に貧乏であり、軍役の義務がある武家や帯剣貴族からは侮られる存在である。
タチアナを取り囲んでいる者たちの中で一番前にいる生徒が、尚も言い募る。
「クラスでも下から数えた方が早いあなたが、今シーズンでもトップクラスのチームの一員なんて、ワルプルギスに対する冒涜だわ。弱卒のあなたがチームにいる方が、他の皆さんにとって迷惑というもの。潔く引き際を弁えるべきではないかしら。それとも無理矢理学院を追い出されたいの?」
「なんと言われようとも、私からチームを辞めることはありません! 私なんかに拘ってないで、ご自分の実力を高めて上位チームに所属できる可能性を少しでも上げたほうが、よっぽど有意義だと思いますけど? それに私が辞めずとも、今でもまだチームの登録枠は空いてますよ?」
「っ!」
一年生同士の交代ルールは上級生には適用されない。つまり、タチアナと交代できるのは一年生だけである。
ただ、『テンペスト』の登録枠はまだ一つ空いている。本当に実力があるのであれば、そちらを狙えばいいだけというのは正論ではあるのだが、新入生が上級生との争いにそう簡単に勝てるはずもない。競争率の低い一年生のみの枠を狙うのは当然の考えだ。
とはいえ、プライドの高い貴族の生徒がそのことを指摘されれば、気分を害するのも無理はない。
「この、偶々チーム運が良かっただけの分際で……!」
「不敬ですわ!」
「家柄も成績も底辺レベルのくせに!」
「身の程を弁えなさい!」
「――そこまでだ」
タチアナに言い返され、激高する同級生たち。これ以上は看過できないと判断したラウルは、仲裁のために彼女たちの間に強引に割り込んだ。
「! あなたは……!」
「ラウルさん!?」
「一人に対し、集団で寄ってたかって責め立てるなんて感心しないな。もしこれ以上やるってんなら、オレが相手になるぞ?」
リーゼロッテたちとの模擬戦の後、ラウルを男だからと侮るものはほとんどいなくなった。むしろ剣の魔女と師弟関係にあるという情報が学内に出回ったことで、一目置かれる存在になっている。
タチアナを取り囲んでいた女子生徒たちは、苦虫を噛み潰したような顔で後ろに下がっていく。
「……邪魔が入ったようね。行きましょう」
「命拾いしましたわね」
「今日はこのくらいで勘弁してあげますわ」
ラウルたちを睨みつけたのち、彼女たちは捨て台詞を残してこの場を去っていった。
やがてその姿が完全に見えなくなったところで、タチアナが頭を下げる。
「ありがとうございます、ラウルさん。お陰で助かりました」
「気にするな。同じチームメンバーの誼だ。それに、オレも少し前までは似たような経験をしてたんだ。放ってはおけないさ」
ラウルも入学したての頃は、ラスティに絡まれたり、他のクラスメートから嫌がらせを受けていた。最近はなくなったとはいえ、男としても騎士としても、年下の女の子を見捨てることなどできない。
「それにしても、いつになく強気な態度だったじゃないか。てっきり、もっと一方的に言われ続けるかと思ったよ」
「だって悔しいじゃないですか! 正直、自分の力不足を痛感することもありますけど、エルフェイル様は私を必要と言ってくださったし、自分でもチームの役に立ってるって実感が最近ようやく出てきたところなんです。自主退場なんかしたら、私を信じてくださったエルフェイル様を裏切ることになってしまいます!」
余程エルフェイルに恩義や憧憬を抱いているのか、タチアナは両拳を握って熱弁する。
「それに今の状況は私にとってチャンスなんです! ワルプルギスで結果を出して自分の価値を高めることができれば、卒業後に良い縁談があるかもしれませんからね。ある意味、人生が掛かってるんです。私だけではなく、家族の分も」
タチアナの実家のような裕福ではない貴族の場合、結婚相手の爵位や資産状況によってその後の運命が大きく変わってくる。気の弱い彼女が必死に抗弁していたのも、家族のためを思えば無理からぬことかもしれない。
「タチアナ!」
と、不意に後ろからシルヴィアの声が響いた。
「大丈夫!? 戻ってくるのが遅いから心配したわよ。――あ、ラウルもいたんだ」
相変わらず幼馴染であるラウルには素っ気ない態度だ。
ラウルは軽く鼻を鳴らした。
「今頃ご到着とは随分とのんびりしてるな、シルヴィ」
「フン、途中の廊下で近頃タチアナにちょっかいを出してくるグループとすれ違ったから、何かされたんじゃないかと思ったのよ。どうやら杞憂だったみたいね」
シルヴィアもラウル同様、入学当初の頃は平民であることと契約精霊の関係で、クラスメイトたちからよくバカにされていた。だが、姉であるエルフェイルと同じチームにいることと、試合でそれなりに活躍するようになってからは、陰口を叩かれるようなこともほとんどなくなった。
しかしその分、後ろ盾を持たない下級貴族のタチアナに不満の矛先が向かうようになったため、シルヴィアもかなり気に掛けていた。
「確かに難癖を付けられはしたけど、途中でラウルさんが助けてくれたの。心配かけてごめんなさい、シルヴィちゃん」
「そんなの気にしなくていいわよ。ていうか、ラウルも見かけによらず頼りがいがあるじゃない。見直したわ」
「ええと、それは褒めてるつもりなのか……?」
「タチアナ。あいつらに何かされたら、すぐに私に知らせて。そこのボンクラでもいいわ。私が直接話を付けてやるから」
「う、うん」
シルヴィアの押しの強さに、タチアナは若干たじろいだ。
「でも大丈夫だよ、シルヴィちゃん。これくらいの嫌がらせでへこたれるほど私も柔じゃないから」
「そう? それならいいんだけど……」
口ではそう言うものの、タチアナが無理をしているのは明らかだった。それでもシルヴィアは一応納得の表情を見せると、ラウルに向き直る。
「そうだ、ラウル。今週に入ってお姉さまが行方をくらましてるらしいんだけど、あんた何か知ってる?」
「え? いや、そんなの初耳だぞ!?」
突然聞かされたエルフェイルの失踪に、ラウルは目を見開いた。
だが、姉の一大事の割にはシルヴィアは落ち着いた様子だった。
「やっぱり知らないか。私にもラウルにも黙っていなくなるなんて……お姉さまのことだから心配はいらないと思うけど、一体どこに行ったのかしら?」
「……ま、一応心当たりはなくもないけど」
「は? なんであんたがそんなこと知ってるのよ!?」
「これでも付き合いは長いし、エルフィの行きそうなところや行動パターンくらい思いつく。最近の動向を鑑みると、おそらく週末の試合に向けて修行でもしてるんじゃないか? あるいは師匠あたりに相談してる可能性もあるかもな」
「何よ、はっきりしないわね。ていうか、実の妹である私より、あんたの方がお姉さまのことを理解してるのはなんかムカつくんだけど……」
拗ねたように口を尖らせるシルヴィアに、ラウルは苦笑した。
「取り敢えず、エルフィのことは大丈夫と考えていいだろう。オレたちはあいつが戻ってくるまでに、訓練して少しでも腕を上げておかないとな」
「それくらいわかってるわよ! 当たり前のことばかり言って、どうせなら敵チームに潜入して、極秘情報の一つや二つゲットするくらいの気概を見せてほしいものだわ!」
「シルヴィちゃん、それは無茶振りだよ」
タチアナが呆れたように窘める。
ワルプルギスは、誇張抜きに精霊契約者としての人生が掛かっているため、意図的な不正行為に対しては公的にも私的にもとんでもない制裁が加えられる。平民の男であるラウルが相手となれば、停学や半殺しどころでは済まない可能性が高い。
「チッ、まあいいわ。っと、もうすぐ授業が始まるし、さっさと教室に戻るわよ!」
「はいはい」
予鈴が聞こえ、ラウルたちは教室への移動を開始したのだった。




