プロローグ
ここから第二部になります
とある午後の昼下がり。
王都の通りの一つに居を構える喫茶店で、額から鼻にかけてを仮面で覆った青年が優雅にティータイムを嗜んでいた。
「うむ。やはり紅茶はこの店に限る。仄かな甘さの焼き菓子といい、五十年前から変わらぬ逸品だ」
青年はシンプルな形の仮面に加え、白を基調とした仕立てのいい神官服など、中々個性的で目立つ格好をしている。だが、店内の客からは不自然なほど人目を引くことがなかった。
厳選された茶葉から漂う馥郁たる香りを楽しんでいた青年が、ようやくカップに口を付けようとしたところ、店の扉を開けるドアベルの音が鳴った。入店してきた人物は迷いなく一直線に歩いてくると、無造作に青年の対面の席に座る。
この辺りで有名な精霊学院の制服を着た、二十代くらいの見た目の女性である。
「こんなところに呼び出してどういうつもりかしら、悪魔神官? つまんない用事だったらタダじゃ置かないわよ!?」
「……無粋な女だ。ゆっくり紅茶を味わう時間を待つことすらできんとはな」
あくまで自分のペースを崩さない青年――悪魔神官に対し、女性は強い剣幕で捲し立てる。
「いいからさっさと用件を言いなさい! こっちはあなたほど暇じゃないの。ワルプルギスの調整で、尋常じゃないくらい仕事が山積みなのよ!」
「せっかちなことだ。学者一門の出となると、余程無駄な時間が嫌いなのだな。――まあ、よかろう。貴様をこうして呼び出したのは他でもない。貴様の師匠である『大魔術師』からの指示を届けに来たのだよ」
ガタッ!
突然席から立ち上がった女性が、大きく目を見開いて悪魔神官を凝視する。
急に大きな物音が響いたことで一時的に店内の注目を集めるが、やはりすぐにそれらの視線は離れてしまった。
女性は、気持ちを落ち着かせるように息を吐くと再び着席した。
「……それ、本当なの?」
「無論だ。言葉を返すようだが、拙僧も暇な人間ではない。伊達や酔狂でわざわざ王都まで足を運ばんさ」
「ああもう、わかったわよ。私が悪かったわ。謝るから、早くあの方からの指示を教えて!」
先ほどまでの横柄な態度を一変させた女性が、軽く頭を下げる。
悪魔神官は大仰な仕草で肩をすくめた。
「別に謝罪の必要はない。指示を伝えるとは言っても、実際にやることといえばこれを渡すことだけだからな」
と、一枚の紙切れを女性に投げ渡す。
女性は受け取った紙に視線を走らせる。そこには、数字や文字が不規則にびっしり書き込まれていた。
「これは――」
「それが指令書だ。拙僧には、何が書いてあるのか皆目見当も付かないのだがな。恐らく貴様にならわかるのだろう?」
「……そうね」
女性は素っ気なく答えると、紙を四つ折りにし、どこからかペーパーナイフを取り出す。どんな手品を使ったのか、女性が数度ナイフを振るうと紙は細かくみじん切りに刻まれてしまった。
そして、女性は紙屑を摘まんで紙吹雪のように店内にばら撒いた。
「ん? 貴様、一体何をしている?」
悪魔神官は女性の行動に思わず面食らった。女性は嘆息しつつ説明する。
「こんなの、0から9までの数字を文字に対応させただけの簡単な暗号じゃない。10以上の数字は文字で表されているから、要するに書かれている文字を10個分スライドさせればいいのよ。やり方さえわかれば、初見でも秒で解ける安易な代物よ」
「スライド? 秒で……? つまり、貴様は紙を一瞥しただけで中身を読み解いたというのか!?」
「そんなの当たり前じゃない。もうあの方からの指示は全て頭の中に入ったから、用済みになった紙を処分しただけよ。火種があれば、よりスマートに実行できたのに、締まらないことだわ」
何の衒いもない表情で女性は告げる。強がりでもなんでもなく、本心からの言葉なのだろう。
呆気に取られる悪魔神官を放置して、女性は席から立ち上がる。
「それじゃあ、私は行くわね。大魔術師様にはよろしく伝えておいて」
「あ、ああ……」
そのまま一度も振り返らず去っていく女性を見送ると、悪魔神官は冷めてしまった紅茶を飲み干した。テーブルの上で腕を組み、独りごちる。
「あれは常人とは頭の出来が違う、クリスティーナとは違うベクトルの化け物だな。学者一族の家から飛び出し、大魔術師の薫陶を受け続けているのは伊達ではないか……だがそんな奇才が、学院の中で周囲に自然と溶け込めるのか、甚だ疑問ではあるな。まあ精霊契約者ともなれば個性の強い連中も多いだろう。この程度の懸念、実際には必要ないのかもしれんな」
その数瞬後、悪魔神官の姿は煙のように消失した。テーブルの上には数枚の金貨が代金として置かれていた。




