偽者3
目標のフレスベルグを首尾よく奪取したキャシーは、予め用意していた退路を使って学院の外に逃げようとしていた。できるだけ素早く、かつ人目につかないよう移動し、誰に見咎められることもなく正門前の広場に到着する。
しかし、ここから先は見晴らしがいい場所が続き、人目を忍んで行動することは困難だ。
キャシーは疎らにいる生徒たちや正門付近の様子を窺い、未だ保健室での騒ぎが伝わっていないことを確認すると、フレスベルグを腰に佩き堂々と広場へと足を踏み入れた。
周りに違和感を抱かれないよう、走り出したくなる気持ちを抑えて澄ました顔で悠然と歩いていく。
キャシーの壮麗な容姿は目立つが、幸いにも特に誰かが気付いたり声を上げるようなことはなかった。そのまま広場中央にある噴水付近まで辿り着いたそのとき、「ワオン」という犬らしき動物の遠吠えが聞こえた。
「?」
それから間を置かず再び「ワオン」という遠吠えが聞こえ、その次には「「ワオン」」とエコーが利いたハウリングが響いてきた。
徐々に近づいてくる獣の叫びに、キャシーの脳裏に薄ら寒い予感が過ぎる。そして、一陣の突風と共に巨大な物体がキャシーの視界に飛び込んできた。
「そこの女子生徒、止まるのだ!」
場違いにも思える幼い少女の声がキャシーに投げかけられる。
「む、その顔、見覚えがあるのだ。確かキャシーたんだったのだ?」
「リアーナ・トンプソン……!」
体高が二メートル以上、体長が十メートルを超える三つ首の黒犬の背に跨った少女――学院長を務める魔女リアーナを前にして、キャシーは驚きに目を見開いた。
「学院長。何故、ここに」
「ん~、持ち主のラウル君は寝ているはずなのに、フレス君が急に学院の外に運ばれようとしているから、気になって様子を見に来たのだ。キャシーたんは、どうしてフレス君を持って学院から出ようとしてたのだ?」
「……勘違いじゃないですか? ボクの契約精霊である剣精霊は、剣の形を自由に変えられます。それが偶然、そのフレスなんとかとやらに似通っていたというだけの話では?」
「それはおかしいのだ! シアたんが学院に来たとき、防犯のためフレス君に特殊な香水でマーキングしたのだ。普通の人にはわからないけど、ケルちゃんの鼻なら一目瞭然なのだ。ここに来たのだってその匂いを辿ってきたのだ。キャシーたんは嘘を吐いているのだ!」
「……チッ」
下手な言い訳をしたせいで、逆に追い詰められてしまったキャシー。小さく舌打ちし、顔を若干俯かせながら、横目で正門の位置を確認する。
「誤解です! ボクは嘘を吐いてなんて――ああ、もしかしたら先ほどまで闘技場の医務室で眠っていたので、起きた際に間違えて持ってきてしまったのかもしれませんね。あとで彼に返しておきますよ。それでは」
ゴールは近いが魔女相手に賭けには出られないと、キャシーは一礼して踵を返す。すると「「「ガウ」」」という叫びが上がった。
「待つのだ。なんか色々怪しいからケルちゃんに軽く調べてもらったけど、キャシーたん、本当に精霊契約者――いや、女性なのだ?」
「っ!」
キャシーの足が止まる。
「何かで誤魔化してるみたいに体臭が希薄で、精霊の気配がしないのだ。骨格の一部もおかしくて、男とも女とも言えない……むむむ、何かの報告や書類でそんな存在を見た覚えがあるのだ。見た目と中身が一致せず、容姿どころか性別さえ本質的に変える厄介な工作員。名前を――」
「詠唱――『火薬樽』!」
正体を看破する寸前だったリアーナに対し、キャシーが瞬間的に魔術を解き放つ。
自動詠唱カード。
本来魔術を行使するのに必要な、魔力カードからの魔力抽出と呪文カードへの魔力供給を一枚で同時に行い、魔術発動までの時間を大幅にカットできる特殊なカードである。
だが反面、一定時間後に再使用可能となる呪文カードと違って使い捨てとなるため、一度の魔術行使で二枚分のリソースを消費する欠点があり、多用はできない。
虎の子のカードを切ったキャシーは、周辺に細かい黒色の粉を大量に散布する。ケルベロスの三つある顔の口吻部分がそれに包まれると、まるで花粉症にでもなったかのようにそれぞれクシャミを繰り返した。
「ブシッ」「ブシッ」「ブシッ」
「ケルちゃん!? まさかいけないクスリを嗅がされたのだ!?」
リアーナが慌てて粉塵からの離脱を指示するが、クシャミが止まらないケルベロスはすぐには反応できなかった。
その隙にキャシーは後方に下がって間合いを取り、小指の爪程度の大きさの赤い石を粉塵に向かって放り投げる。次の瞬間、石から小さな炎が発生し、黒い粉に接触――着火した。次の瞬間、
ドオオオオオオオン!
「くっ……」
予想以上の威力の爆発が起き、キャシーが顔を顰めながら体勢を低くする。
爆風が収まった後、濛々と黒煙が上がる。突然の爆発と轟音で広場にいた生徒たちが悲鳴を上げるなか、キャシーは油断することなくリアーナの様子を窺う。
「「「ウゥゥゥォォォォォ~~~ン!」」」
先ほどの爆発にも負けない音量の雄叫びが響くと、黒煙を吹き散らしてケルベロスが姿を現した。その背には、盛大に咳き込むリアーナの姿があった。
「ゲホゲホ。い、今のは、痛かったのだ……肌はヒリヒリするし、髪の毛ももじゃりんこなのだ……」
リアーナの顔や服は煤で汚れ、ツーサイドアップだった髪型はチリチリのパーマ状になっている。だが、ケルベロスだけでなくリアーナにも大したダメージがない状況を見て、キャシーが軽く舌打ちをした。
「チッ、やはり魔女相手にこの程度の魔術では効果が薄いか……しかし正体がバレるとは、あの小競り合いの後、一部の偽装を解除したのが裏目に出たな」
「む~、いきなり攻撃してくるなんて酷いのだ! でも魔術を使ってきたことからして、大凡の正体はわかったのだ。キャシーたんの正体は、アプレンティスのナンバーズの一人、『変異者』なのだ。フレス君を奪ったことや、シアたんが武器匠に襲われたことを鑑みれば、きっと間違いないのだ!」
変異者とは、その名の通り自分の身体を作り変え、別人に変身することができる魔術師である。主に敵地への潜入が任務であり、情報収集や破壊工作を得意としている。
特に厄介なのは、性別を含め任意の存在に成り代わることが可能である点だ。変異には時間や負荷が掛かるものの、その存在を知っていたとしても発見や対処が困難であることで有名だった。
自信満々に人差し指を突き付けるリアーナに対し、キャシーはどこか余裕のある態度で肩をすくめた。
「フン、ご名答だ、『冥獣の魔女』。少々業腹だが、どの道これ以上の潜入活動は無理なのでな。正体がバレようがバレまいが関係ないさ。それでどうする? 俺を捕まえるか、あるいは殺すか?」
「フレス君を返して大人しく降参するなら、命までは取らないのだ。ただ、身柄はシアたんに引き渡すことになるから、最終的にどうなるかまでは保証できないのだけど」
「別に降参してもいいぜ。俺は戦闘は不得手だし、これ以上戦っても勝てるとは思えないからな。ただし厳密に言えば――あんたがあいつらを撃退出来たらの話だけどな!」
「のだ?」
不敵な笑みを浮かべて宣言するキャシーを見て、リアーナは思わず首を傾げた。よくわからないが、まだ抵抗するつもりなのだろうと判断し、臨戦態勢のまま注視する。
「「「グルァッ!」」」
突然ケルベロスが焦ったような鳴き声を上げた。
次の瞬間、リアーナの後方から黒塗りの刃が通り過ぎ、彼女の肩を鋭く切り裂いていった。
「ぬあっ!? 痛いのだっ!」
涙目になったリアーナが、突如として現れた黒尽くめの男に火魔法を放って反撃する。だが、男は煙のようにその場から一瞬で消えると、キャシーの隣に音もなく再出現した。
『――仕留め損なっタカ』
顔や手足に包帯を巻いた人相不明の男は、くぐもった声音で無感情に呟く。
先ほどの背後からの奇襲は、リアーナが反応する前にケルベロスが素早く動いたことで、辛うじてリアーナに直撃することを防いでいた。それがなければ、リアーナは心臓を一突きにされていたかもしれない。
「お早いお着きだな、『抹消者』。仕事熱心で何よりだぜ。できれば初手で冥獣の魔女を排除してほしかったがな」
『派手な狼煙が目に入ったノデな。厄介な結界も、この距離ならばワタシの得意な浸透魔術でどうとでもナル。マア、魔女に関しては問題アルまい。もうすぐアノ方もここに到着するデアロうしな』
「はは、そいつは重畳だ。潜入活動を切り上げて勝負に出た甲斐があったってもんだぜ」
仲間と合流できた上に、リアーナに傷を負わせたことで気を良くしたか、キャシーが饒舌に語り始める。
先ほどの火薬樽の魔術は、攻撃と同時に、大きな爆発音と黒煙で仲間に救援を知らせるためでもあったのだ。
悔しそうな表情で肩の傷を手で押さえながら、リアーナは黒塗りの剣を構えた男を睨みつける。
「うう、痛いのだ……あいつ、抹消者って言ったのだ? 確か、ナンバーズの第九席だったのだ」
『いや、第八席ダ。数年前に一人抜けたので、その際にワタシはランクアップしタ』
全部で十二人いるナンバーズは、基本的に年功序列。勤め上げた年数が多いほど割り当てられる数字が小さくなり、離脱者がいれば適宜補充され数がスライドしていく。
また、幹部であるナンバーズには、魔女と同等の不老長寿を疑似的に齎す『エリクシエル』という不死の霊薬が支給される。これは主に寿命の長さによって、年月の経過と共に広がる魔女たちとの戦力差を是正するという目的があり、実際にナンバーズの上位陣はベテランの魔女と同等の年齢や実力を兼ね備えていた。
十二人という数の制限があるのも、エリクシエルの供給に限りがあるためである。男女の区別なく不老長寿が得られるとなれば、誰も彼もがナンバーズ入りを目指すのも当然で、その競争率は熾烈を極めている。
そして現ナンバーズもまた、仕事もせずに安穏と過ごしていれば容赦なく地位を剝奪されるため、こうして命の危険のある任務に進んで身を投じることになるのだった。
「……うぷっ、なんか気持ち悪いのだ。酔ったのだ?」
顔色を悪くするリアーナを見て、抹消者はどこか呆れたように呟く。
『フム。やはり魔女相手に毒物は効きずらいようダナ。これでも熊サイズの動物を即死させるホドの毒性なのダガ』
「そ、そんなものを人に使っちゃダメなのだ! 常識がなさすぎるのだ!」
『クク、笑止。常識の埒外にいる貴様がソレを言ウノカ?』
「む~、もう本気で怒ったのだ! ケルちゃん、やっておしまいなのだ!」
「「「ガウ!」」」
吼えたケルベロスは瞬時に間合いを詰めると、鋭い爪で抹消者たちを大きく薙ぎ払った。
『溶暗!』
「へ?」
警戒を怠らなかった抹消者は、首尾よく魔術で即座に回避して見せるが、その傍にいたキャシーは攻撃を避け切れずに吹き飛んだ。血飛沫を上げて地面を転がったキャシーが、恨みがましい目で仲間を見やる。
「抹消者、テメエ……!」
『油断してイル貴様が悪イ。第一、他者を庇うほどワタシに余裕はナイ』
「思ったより薄情なのだ。だったら遠慮なく、変異者を倒して目的のフレス君を取り戻すのだ!」
『そう簡単に行くと思ウカ?』
リアーナがキャシーに追撃をしようとしたところ、抹消者は黒塗りのナイフを手にすると、それを戦場の端――騒ぎを聞きつけて周囲に集まり始めていた、数人の学院の生徒たちの方へと手加減なしに投擲した。
「のだ!?」
面食らったリアーナは、すぐさまケルベロスに命じて、高速で迫るナイフの前に全力で躍り出た。
「キャァッ!」
射線上にいた生徒が突然の攻撃に驚いて悲鳴を上げる。だが、ギリギリで間に合ったケルベロスが飛来したナイフを叩き落とした。
「大丈夫だったのだ?」
「学院長……」
「ここは危ないから下がってるのだ。次は上手く守れるかわからないのだ」
「は、はい」
生徒は大人しく広場から退避しようとしたところ、抹消者は追撃するためか幽鬼のように音もなく間合いを詰めていく。リアーナはその進路を塞ぐようにして、抹消者の動きを警戒せざるを得なかった。
抹消者は後方のキャシーに向け呼びかける。
『冥獣の魔女は任せるがイイ。貴様は任務を全うシロ。怪我人でも、オツカイくらい一人でできるダロウ?』
「クソッ、舐めるな!」
キャシーは、懐から小さな容器に入った薬らしきものを取り出すと、それを一気に呷った。手の甲で口元を拭い、傷口を押さえながら立ち上がり、正門の方向へと進んでいく。
キャシーの行動に気付いたリアーナが追いかけようという動きを見せた瞬間、すぐさま抹消者が別の生徒に攻撃しようという気配を出したため、リアーナは追跡を断念せざるを得なかった。
敵の邪魔は入らないとはいえ、小さくない傷を負っているキャシーの歩くペースは遅い。そのお陰もあってか、キャシーが学院の外に到達する前に彼らは追いつくことができた。
「居た、あそこ!」
「やっと見つけたわ!」
「っ、テメエら……!」
ラウルとエルフェイルの二人の姿を目にし、キャシーは思わず歯噛みした。




