偽者1
ガタタ……
物音に反応してラウルが目を覚ましたとき、最初に目に入ったのは見知らぬ天井であった。
そこは闘技場内に設置された医務室。疲労からか頭が上手く働かず、下半身が随分と重たく感じる。ラウルがベッドから身を起こそうとすると、横合いから声を掛けられた。
「おや、すまない。起こしてしまったようだね」
ベッドの傍らに立っていたキャシーが苦笑気味に告げる。ラウルは首を傾げた。
「何故あなたがここに? 他には誰か……エルフィたちはいないんですか?」
「おいおい。ボクが医務室のベッドにいても何の不思議もないだろう? 君と最初に会ったのも、確か似たような感じじゃなかったかな?」
「っ……!」
ラウルは、キャシーと出会った入学初日の出来事を思い出し、警戒心を強めた。
「そう身構えないでほしいな、ラウル君。これでも同意のない相手の寝込みを襲う趣味はないからね。ちなみにボクが医務室に来た時には、他に誰もいなかったよ。君のお仲間もちょっと薄情だよね。ま、ボクにとっては好都合なんだけどさ」
「え……?」
困惑気味のラウルを無視してキャシーは話を続ける。
「そうそう、模擬戦での勝利おめでとう。君のチームがリーゼ君たちに勝つ可能性は一応考えたけど、まさか男の君があそこまで活躍するとは思わなかったよ。それもこれも、|あの妙な機能の付いた剣のお陰かな?」
「はあ。まあ、そうかもしれませんね」
若干棘のある言い方だが、一応褒められているらしく、ラウルは曖昧に頷いた。
キャシーは徐に、ラウルが寝ているベッドの脇に置かれたフレスベルグを指さした。
「実はなんだけどその剣、イーシア様に学院長室まで届けるよう頼まれたんだ」
「へ? 師匠に?」
「さっき廊下で偶然お会いしたときにね。なんでも試合中のデータに不具合が発生したらしくて、早急に調べたいらしい。まだラウル君も本調子じゃないようだし、ボクが持っていくけど、いいよね?」
「それは……」
ラウルはどこか違和感を覚えた。
イーシアは、フレスベルグの情報をできるだけ他者に広めないよう動いていた。データ収集のため模擬戦では制限なく戦ったが、直接フレスベルグが届けられるまでは、当事者のラウルにさえ秘密だったのだ。
いくら急ぎの用だったとはいえ、廊下で会っただけの人間に大事な物品を運ばせるようとするだろうか。最低でも、事情を知るエルフェイルたちに依頼するのが筋ではないか。
「……キャシー先輩。その話、本当なんですか?」
「うん? どういう意味だい?」
「言うまでもないことでしょうが、オレに貸し与えられたフレスベルグは大変重要なものです。それを見ず知らずの生徒に持ってこさせるなんて、師匠にしては随分不用心だなと思っただけですよ」
「いや、ちゃんと面識はあるよ。これでもボクは剣精霊と契約しているし、剣術の心得もあるからね。学院の外で何度かお目に掛かったこともあるし、そのことをあちらが覚えていたんじゃないかな?」
「あ、そうだったんですね。でも、その割にはフレスベルグの名前すら教えてもらえなかったようですけど……?」
ラウルが尚も疑惑の目を向けると、キャシーは軽く嘆息した。
「ああ、もういいや――クソ面倒くせえ」
「へ?」
突然態度が豹変したキャシーに、ラウルが呆気に取られる。
「どうせこれで長いお勤めも終わりになるんだ。だったら、多少の不手際くらい大目に見てもらわねえとな」
中性的な容姿のキャシーだが、まるで粗野なチンピラにでもなったかのような荒々しい雰囲気である。目付きや表情も先ほどまでとは一変させ、無造作に自らの腰に佩いた剣を抜き放った。
「無駄に抵抗するテメエが悪いんだぜ。そのフレスベルグとかいう代物、殺してでも奪い取らせてもらう!」
「――っ!」
悪戯でも冗談でもない、純度の高い明確な殺意に、ラウルは反射的に退避しようとするが――間に合わない。
ほとんど無防備な状態のラウルへと容赦なく白刃が振り下ろされる。しかし次の瞬間、いきなりラウルが寝ているベッドから出できた足に、キャシーは脇腹を蹴り飛ばされた。
「ぐっ……」
医務室の別のベッドに打ち付けられ、キャシーは剣を取り落とす。
ラウルが慌ててシーツに隠れた下半身部分に視線を転じると、バッとシーツが跳ね上げられ、そこから一人の女性が姿を現した。
「相変わらず妙な女に言い寄られてるのね、ラウル」
「エルフィ!?」
まさかの場所から登場した自身の婚約者に、ラウルは驚きを露にする。
「チッ。テメエ、どこから湧いて出た!? 他に誰もいないことは最初に調べたはず……いや、そうか。同じベッドに潜り込んでいたせいで、細かい気配の判別ができなかったのか」
キャシーは不機嫌そうに床に唾を吐いた。エルフェイルが鼻を鳴らす。
「あら、キャシーさん。随分とワイルドな性格になったわね。本性を露にしただけか、はたまた途中で入れ替わったのかしら?」
「……っ」
表情を険しくしたキャシーが、床に落ちた剣を拾おうと素早く手を伸ばす。が、エルフェイルが拳銃から放った炎弾が剣を弾き飛ばした。
「ふ~ん。その様子だと、やっぱりそういうことなのかしら。何にしても、私の婚約者に手を出して只で済むとは思わないことね、この泥棒猫」
「や、やだなあ。確かにボクはラウル君を襲ったけど、そんなのちょっとした冗談じゃないか。ただの演技だよ、演技。ベッドでプレイする際のスパイスみたいなもんさ」
「あら、今更誤魔化せるとでも思ってるの? 殺してでも奪い取る、とか言ってたじゃない。ターゲットもラウルじゃなくて、新兵器のフレスベルグであることくらいわかってるわ。言っておくけど、次に妙な真似をしようとしたら問答無用で撃ち抜いてあげるから」
キャシーの苦しい言い訳など一顧だにせず、エルフェイルは二丁拳銃『レーヴァテイン』を相手に向ける。
場が小康状態になった隙にラウルは起き上がり、エルフェイルの後方に移動していく。
「あの、ところでエルフィ。どうしてあんな場所に隠れていたんだ?」
「……無粋ね。女は秘密を着飾って美しくなるのよ。でもまあ、幼馴染で婚約者の誼みで特別に教えてあげる」
キャシーから視線を離さないままエルフェイルは告げる。
「簡単に言えば、ラウルが持つフレスベルグを狙ってくる出歯亀どもを捕まえるためよ。あれだけ大々的に闘技場でその性能を宣伝したんだもの。学院に潜んでいる工作員の一人や二人、あっさり釣れてもおかしくないでしょ? しかも持ち主のラウルが、都合よく気絶して医務室に運びこまれたのよ? これ以上のシチュエーションはないじゃない――あ、ちなみに倒れた貴方をここまで運んできたのは私だから。心の底から感謝しなさい」
(本当は運んでる途中で匂いを嗅いでたら気持ちが昂り、つい一緒のベッドでうたた寝しちゃったんだけど……ま、そんなのどうだっていいわよね)
などと、本音を隠したまま、さも当然と言った雰囲気で言ってのける。
キャシーは不機嫌そうに舌打ちした。
「フン、俺としたことがまんまと釣り出されてしまったみたいだな。目的の剣もベッドの脇に無造作に置いてあるし、もう少し罠を疑うべきだったか……」
「あら、さっきまでのクサい芝居はもういいの?」
「いいさ、そんなもの。取り敢えずここからは――少しばかり本気でいこう」
次の瞬間、キャシーの服の袖から短冊状のカードが現れると、それを掴んだキャシーが素早くスナップを利かせてエルフェイルへと投擲する。
反射的にエルフェイルがカードを撃ち抜くが、直後にその正体に思い至った彼女は、強い憤りと後悔を覚える羽目になった。
『ゥアアァァァァァァァァ――――』
「うっ」
そのか細く物悲しい悲鳴は、精霊契約者であるエルフェイルのみがこの場で唯一耳にすることができた。
「これ、魔力カード!? キャシー、貴方まさか――魔術師だったっていうの!?」
魔術とは本来、精霊契約のできない男性が利用するものだ。別段女性でも使えなくはないが、精霊契約が可能な女性にとっては利点に乏しく、また精霊と少なからず関わりあいがある者にとっては禁忌とも言える技法なのだ。
魔術は基本的に、魔力を生み出すためのリソースとして、下位精霊を封じた『魔力カード』を使用する。魔術を使用するタイミングで封じた精霊を屠殺することにより、一時的に大量の魔力を生み出し、それを魔術の術式が刻まれた『呪文カード』に流し込むことで、多種多様な魔術を行使するのだ。
無論、下位とはいえ精霊を殺すことは、精霊と契約をしている者にとって決して看過できない悪行である。故に魔術師と、精霊契約者や魔女たちは、不倶戴天の敵として長年に渡り闘争を繰り広げているのだった。
「卑劣な! 精霊の命を弄ぶなど、恥を知りなさい!」
故意ではなかったとはいえ、下位精霊に攻撃を加えてしまったことへの不快感から、エルフェイルは感情的に叫ぶ。
だが、エルフェイルが激高している隙にキャシーは距離を詰め、手にはまた別のカードを取り出していた。
「魔力抽出!」
エルフェイルの言葉などどこ吹く風。キャシーは魔力カードを起動させて精霊を屠殺し、生み出した魔力を呪文カードへと送る。
即座に迎撃しようとしたエルフェイルだが、再度下位精霊の断末魔を聞かされ、炎弾の発射と照準に若干の乱れが生じてしまった。
その間にキャシーの魔術が完成する。
「詠唱――『旋風』!」
キャシーの魔術により突如発生した突風が、密閉された室内で渦を巻く。
至近距離から風を受けたエルフェイルとラウルは、部屋の中に設置されていたベッドやカーテン、薬品が置かれた棚などを巻き込み成すすべなく吹き飛ばされた。
嵐のように様々な物体が空中を乱舞する中で、ラウルは身体の上に何者かが覆いかぶさるのを肌で感じた。薄目を開ければ、そこには見慣れた幼馴染の姿があった。
「エルフィ!?」
「いいから、黙って……舌、噛むわよ」
エルフェイルの声が途切れ途切れなのは、飛来する障害物からラウルのことを庇っているからだ。
背中や後頭部に幾度も衝撃を感じながらも、エルフェイルは決して体勢を崩さなかった。ようやく風が止んだ時、荒れ果てた医務室の中にキャシーの姿はなかった。確認するのは難しいが、おそらく件のフレスベルグも持ち去られた後だろう。
「……大丈夫、ラウル?」
頭上からキャシーの気遣わしげな声が聞こえる。ラウルは返事をしようとして、自身の頬に滴り落ちる赤い雫に息を呑んだ。
「っ、エルフィ、それ……!」
指摘されたエルフェイルは、負傷した頭から流れ落ちる自分の血に気付いた。
「え? ああ、ごめんなさい。ラウルの顔を汚しちゃって」
「そんなことどうでもいい! 早く傷の手当をしないと!」
「落ち着きなさい。この程度の傷、なんてことないわ。それよりも今は、逃げたキャシーを追わないと。ラウルは、イーシア様にこのことを報告してきて」
制服の袖で無造作に血を拭ったエルフェイルが、有無を言わせぬ口調で指示を出す。
婚約者同士という関係ではあるが、有事においては精霊契約者であるエルフェイルの方が立場が上だ。本来ならラウルは、エルフェイルの指示に無条件で従わなければならないが――
「…………」
黙したラウルは己の行動を悔やんでいた。
キャシーと対峙した際、ラウルは本調子ではなかったこともあり自ずとエルフェイルの後ろに下がったが、あのときフレスベルグを押さえていつでも魔力障壁を張れる態勢にしていれば、このような不覚は取らなかったかもしれない。
幼馴染であり模擬戦でも一緒に戦った仲であるラウルは、エルフェイルの実力の高さについてよく知っている。だからというべきか、キャシーとの戦闘において彼女に頼り過ぎてしまった感は否めない。
あげくラウルを庇うことで余計な傷まで負わせてしまった。
情けない。ラウルが騎士を目指し、イーシアの厳しい鍛錬に耐えてきたのは、エルフェイルの隣に立ちたいという想いからだったはずなのに。
若くして魔女に才能を見出された、ラウルとは違う正真正銘の天才。そんな彼女の足手纏いになるようでは、例え互いに愛し合っていようとも、将来を添い遂げる資格などありはしない。
ラウルの後悔と逡巡を見て取り、エルフェイルは小さく嘆息した。
「出し抜かれた相手に一矢報いたい気持ちはわかるけど、フレスベルグのない今の貴方じゃ戦力にならないわ。大人しく私の指示に従ってくれないかしら」
「……嫌だ」
「ラウル?」
「オレ自身、実力不足なのはわかってる。でも、それを言うならエルフィだって怪我をしてるし、消耗もしている。このままエルフィ一人をあいつのところに行かせるわけにはいかない!」
ラウルは、驚きに目を瞬かせるエルフェイルの両手を掴み、熱弁する。
「正直、単なるオレの自己満足かもしれない。冷静な判断ができてないのかもしれない。それでもオレはここで戦いから逃げるわけにはいかないんだ! 頼む、エルフィ。オレも一緒に連れてってくれ!」
決然とした意志を宿したラウルの強い瞳に、エルフェイルは思わず引き込まれてしまった。
同時に、なんともいじましいと感じた。
この世界において――精霊契約者であるエルフェイルの常識において、男は女に守られるべきものである。男のラウルが命懸けの戦いに身を投じる必要はどこにもない。
もし仮にラウルを連れて行けば、本来なら回避できるはずの危険に巻き込んでしまうことになる。だが例えそうだとしても、愛する人の願いを尊重したいという気持ちに嘘は吐きたくなかった。
「……男の我が儘を受け入れるのも、デキる女の甲斐性ってものよね」
エルフェイルは頬を染めながら微苦笑を浮かべると、ラウルの両手を強く握り返した。
「いいわ。連れてってあげる。この程度の怪我で私の力には些かの陰りもないし、貴方一人がいたところで足手纏いになんかならないわ。ラウル、二人でキャシーを追いましょう」
「ああ!」




