プロローグ
淡い月明かりのみが照らす森の中、薄闇に剣戟の音が木霊する。蠢くのは二つの影。暗闇から浮かび上がった二つの剣が幾重にも交錯し、数多の火花と甲高い金属音を発生させる。
もしこの光景を見る者がいれば、今繰り広げられている打ち合いが世界最高峰のレベルのものだと驚嘆したかもしれない。
影同士の力は拮抗しており、どちらか一方が有利ということはない。まるで何十年、何百年と研鑽を重ね続けた定跡をなぞるように、二振りの剣は鋭くも優雅な軌跡を絶え間なく描いていく。
このまま延々と続くかに思えた戦いの最中、ふと影の一つが距離を取る。残ったもう一つの影――長身の女が、挑発気味に言葉を紡いだ。
「どうした、もう終わりか? 若いのに体力がねえな。まだ戦い始めてから十分くらいしか経ってねえぞ?」
「これ以上は時間の無駄だ。既に仲間が逃げるだけの時間は稼げた。それに、吾輩たちの襲撃が失敗に終わったのは最早明白。業腹ではあるが、後は大人しく逃げ帰るほかなかろう」
壮年の男とおぼしき影は嘆息混じりにそう言うと、ちらりと周囲に視線を向けた。
二人の周囲には、物言わぬ屍がいくつも転がっている。
人気のない場所で単独行動する女を暗闇に乗じて襲撃したものの、見事に返り討ちにあってしまった格好だ。とはいえ、殺された彼らとしては逆に文句を言いたくもなるだろう。まさか自分たちが襲撃した相手が、『魔女の六柱ダブルトリニティ』に数えられる世界最強の魔女の一人だとは夢にも思わなかったのだから。
「そう簡単に逃がすと思ってんのか?」
女がじりじりと間合いを詰めていく。が、男は冷ややかだった。
「別に追いたければ追ってくるがいい。こちらとしては一向に構わんよ。とはいえ、今そちらには運び屋としての任務があるはずだ。大人しく見逃すのが賢明だと思うがな」
「……チッ」
女が不機嫌そうに舌打ちした後、音もなく男がその場を離れていく。女はそれを黙って見送ると、静かに剣を納めた。すると傍らから別の男の声が聞こえた。
『このまま行かせてよいのか? 久々に会えた好敵手だろうに』
「ハッ。良いも悪いも、あたしの仕事はこいつを目的地まで無事に届けることだ。あいつの言った通り、今は些末事に構っている暇はねえんだよ」
『そう言いつつも、久々に存分に剣が振るえて嬉しそうに見えるが』
「ああ……ま、そこんところは否定しねえさ」
長い時を生きる彼女にとって、自分と互角に渡り合える相手は限られている。ましてそれが強大な力を持つ魔女以外となると、そういった存在は敵とはいえ非常に貴重だ。
「あたしと剣でまともに渡り合える相手なんざ、世界にほんの一握りだ。そいつとの戦いに、多少なりとも愉悦の感情が混じるのは仕方ねえだろ? それに慌てなくても、今後あいつと決着をつける機会なんざいくらでもあるさ」
『ふむ、確かに。悠久に近い時を生きる魔女らしい意見だな』
「だが、あいつの引き際が妙に良かったのが気になる。あいつの性格なら、他の『ナンバーズ』を呼んででもあたしの抹殺を狙ってもおかしくねえと思うんだが……」
『このままなし崩し的に戦闘が激化するのを避けたのだろう。気付かないか? 戦いの臭いを嗅ぎつけたのか、シャーロット嬢らしき気配が高速でこちらに向かっているぞ』
「あ――……ったく、無粋な奴だな。そんなに『アプレンティス』が憎いかね? 余計な横槍がなけりゃ、もっとあいつと遊べたかもしれねえってのによ」
『その言動、君も人のことは言えないと思うのだがな』
二つの声はそこで話を打ち切ると、荷物を大事に抱え直し、その場から移動を開始するのだった。