テスタメント
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ベッドの上で「はだかどうし」。えらく恐ろしいかつて隆盛を極めた総合格闘技みたいな激しさに満ちたセックスを終え、私はなかば、相棒の寝顔に見惚れていた。煙草、パーラメント――の先端から灰が落ちた。おっとっととついこすってしまったのがよくなかった。シーツも指先もあちゃあ、灰色で汚してしまった。軽い絶望の入り交じった舌打ちが私の口内から漏れる。私は頬杖を突いて愛おしい男の横顔を眺めているわけだけれど、この男にならどれだけ自分を捧げることができるのだろうなどと、時折、考えるし、考えさせられる。少なくとも、身体と心くらいはくれてやっている。なのに相棒がたまに見せる不安げな表情、その裏には、やっぱり私への根強い不信感があるからだろうか……。
息を吹き返すようにして相棒が目を覚ました。のそのそと身体を起こし、ヘッドボード――背もたれクッションに背を預けた。なんだか泣いたあとみたいな顔をする。私がくわえていた煙草を口元に差し出してやると、ぱくっとそれをくわえた。親の仇にでも出くわしたような苦々しげな表情を浮かべる。「どうした、相棒?」、「パーラメントってのはやっぱクソみてーな味がしやがる」。そんなふうに言って、そのにっくき煙草を飲み込んでしまう。本人いわく手品らしいのだけど、種明かしはしてもらっていない。枕元から探り当てた緑のボックスから――アメスピ――を一本くわえ、相棒がジッポライターに火をつけた。暗闇に映し出される削げた頬は私のお気に入りだ。新しいパーラメントをくわえたとき、相棒がライターの火を寄越してくれた。私は目を閉じる、キスを待つみたいに。深く息を吸うと、甘い苦みが喉をとろりと駆け下りた。
――「最近、ろくすっぽ仕事、やってねーよなぁ」
私も背もたれクッションに「よっこいしょ」と背を預け、「私たちには仕事なんてないほうがいい。わからない?」と意見した。
「一応、サラリーをいただいるわけだ。給料泥棒とは言われたくねーよ」
「ほんと、仕事なんてないほうがいいよ」
「だから、そりゃなんでだよ」
「あんたに死なれちゃ困るから。ほら、私だってときには可愛いことを言う」
「死んじまえ、クソ女」
「うっさいよ。うざいくらいに生きてやるんだから」
相棒が天井を仰いだ。
「なあ、おまえと組んで、もう何年になる?」
「数えてないけど、それって重要?」
「……いや、なんでもねーよ」
「やだな、そういうの。はっきり言いなよ、っていうか、きっちり言って」
相棒は右手でがしがしと後頭部を掻いてみせた。
「俺はフツウの刑事だった」
「そうだね。それがどうかした?」
「巨悪ってのか? なんで、んなもんを相手にしようと思ったのかね」
「さあ。あんたが優しいからじゃないの?」
「優しい? 俺が?」
「そう、あんたは優しい」
忌々しげな顔をして、相棒はまた煙草を飲み込んだ。
なんだろう、この気だるい感覚……わかってる。私は「過去」を、あるいは現在進行形かもしれない「想い」を清算できていないでいる。それがわかるから、相棒は不安なのだ。そう。相棒の不安は私のせい。でもさ相棒、あんたがかけがえのない存在であることは間違いない。わかってほしい、私のキモチ。
相棒が私の右の肩にガッと手を回した、自分のほうにちょっと乱暴に抱き寄せた。私には自分が虚ろな目をしているのがわかる。ほんとうに自分が自分でないみたいで、ちょっと油断すると煙草が口からこぼれてしまいそうだ。
「俺は嫌いじゃねーよ、おまえのこと」
「……ほんとうに?」
「おまえに出会わなけりゃ、俺は木偶人形みたいなもんだったろ」
意図しない涙が、右の目尻から頬にかけて、つぅと伝った。
それは私の心が泣いてしまったせいだろう。
だったら、どうして泣いた?
嬉しいからに決まってる。
私は煙草をくわえたまま、相棒の〇〇〇の上にまたがった。
微笑みよいしょと発したのは茶目っ気ゆえだ。
*****
冬の初め。窓の向こうを眺めながら、相棒と並んで座ってのランチである。昨今、ハンバーガーも安価なものではなくなってしまった。だけど、相棒は三つも四つも食べる。ほうっておいたらニ十個でも三十個でも食べる。おつむの出来はもちろんのこと、胃袋だって馬鹿なのだ。
唐突に背筋がざわと粟立った。丈の長いグレーのコートを着たこれといった特徴のない男が、左隣に座った。「ご無沙汰しています」といかにも慇懃無礼な挨拶、態度。私は途端に気分が悪くなる。口に含んだアイスコーヒーを顔面に吹きかけてやろうかと思ったくらいだ。それでも「あんた、名前、なんだっけ?」と訊ける冷静さはある。相棒が席を立った。こんなときにいなくならないでよとも考えたけれど、なんの他意もないのだろう、たぶん。
能面のような女顔の男はフツウのハンバーガーセットをトレイにのせていた。体裁だけ整えるために持ってきたのだろうと思ったのだけれど、丁寧にパッケージを剥くとハンバーガーにかぶりついた。もぐもぐと口を動かすあいだも前を向いたまま、まばたきも少ししかしない。こいつはたぶん、最低限のエネルギーだけを使って生きている。
「名前、クボクラさんだっけ?」私は訊いた。「たしか、公安四課の」
「おや」男は――クボクラは目を丸くして、こちらを向いた。「名乗りはしました。しかし、所属部署まではお伝えしていなかった気が――」
「教えてもらったんだよ、後輩に。っていうか、あんたの情報、ウチだって持ってるからね、いちいちウザいんだよ、クソ野郎」
クボクラは「おぉ、怖い怖い」と言って、わざとらしく身を震わせた。
「それで? 私になんの用かしら?」私は前を見たまましれっと話す。「なお、どれだけ拷問されたところで、吐ける情報なんてないからね」
「拷問? 私どものアジトには『101号室』はありません。どこかの剣呑な組織とは違ってね」
「化かし合いは嫌い。用件があるならとっとと言いな」
「偶然、お見かけいたしましてね。あなたの美しさにあてられて、慣れない店に入ったというわけです」
「あら、そうなの?」
「信じると?」
「私、自分の美貌については自信があるから」
「やはり食えない方だ」クボクラはクックと喉を鳴らし――あらためてハンバーガーをかじった。「最近、私も暇を持て余していましてね」
「公安は忙しいって聞くけど? 特に四課は」
「ご評価いただき、恐縮です」
「べつに褒めたわけじゃないよ」
もう行きます。
ポテトまで全部たいらげたところで、クボクラは椅子から腰を上げた。
「嫌な予感がします」
「なんの話?」
「あなたのバディは私のことを認めるとすぐに席を立った」
「それがなにか?」
「勘がいい、あるいは勘が働く。私は彼のような古いタイプのニンゲンが大の苦手でしてね。では」
――クボクラと入れ替わるようにして、相棒が帰ってきた――席につく。
「どこ行ってたの?」
「どぎついくらいにピカピカな黒塗りの車が見えて、そしたらあの男が現れやがった。クボクラの話だ。だったら、オナニーするよりしたくなる」
私は大きくした目をぱちくりさせた。
「クボクラだって、わかったの?」
「あの憎たらしいツラ、忘れるわきゃねーだろ」
頬杖を突き、舌打ちした相棒。
「で、なにしてきたの?」
「だ・か・ら、奴さんのお仲間を絞り上げてきたんだよ。なんの用だってな」
「クボクラに直接訊けばよかったじゃない」
「馬鹿言え。店の中で暴れるかよ」
びっくりした。
私よりずっと冷静ではないか。
「なんか吐いた?」
「クボクラの気まぐれだって聞かされた」
なるほど。
クボクラはクボクラで、嘘は言ってないわけだ。
「外で煙草吸ってる」
あらためて席を立った相棒。分煙やらなんやらが推進されようが、相棒も私も好きなところで好きなだけ吸う。なんのつもりか、相棒がすぐ向こうに立った。アメスピをくわえて紫煙をくゆらす様はほんとうにサマになる。私は顔を近づけ、はあと息を吹きかけ窓を曇らせ、そこにハートマークを書いた。相棒が「ばーか」と口を動かした。
ぱんぱんぱぁんっ!
ぱらららっ、ぱららららっ!!
乾ききった銃声――拳銃とサブマシンガンだ――が幾発も鳴り響いた。
相棒が駆け出し、私もダッシュで店を出た。
*****
男女問わず、悲鳴――。
「逃げろ! 離れろ!!」
市民に向け、相棒が狂った怪物が怒ったみたいに叫ぶ。奴さんの大声は、ほんとうに腹に響く。
相棒、走る、走る――。
まさか弾が見えるはずがない。それでも当たらない。相棒の決意の固さは弾丸すら跳ねのける。
黒塗りの車が左右から銃撃を浴びたらしい。――黒塗りの車? はっとなった。間違いない、あれがクボクラが乗ってきた車だ。
拳銃を持った人物がバイクにまたがり、その後部にはサブマシンガンをぶっ放した奴が乗り、二人して大笑いしながら逃げていく。私は相棒の名を叫び、「追わなくていい!」と発した。「わかってるよ!!」と返ってきた。相棒はすぐさま黒塗りの車の後部座席の戸を開けた。立派な体躯の黒服の男を引きずり出した。そうしたってことは、そいつはもう事切れてるってことだ。だったらクボクラも……?
追いついた。相棒がクボクラに「おいっ、おいっ!」と強い口調で声をかけている。すぐに車から出てきた。相棒は運転席からも黒服の死体を外に出した。「乗れ! 止血してろ!」。相棒にそう促され、私は後部座席に飛び乗った。
車は助手席に死体を積んだまま走る。
クボクラは瀕死と言えた。相棒は止血しろと言ったけれど、腹を撃たれていてはどうしようもない。たぶん、無理だ。助からない。ご愁傷様。それでも車は乱暴なまでに快走する。「助けてやるぞ!」という強い意志が運転席からメチャメチャ伝わってくる。
ドアのほうにぐったりと身体を預けているクボクラ――気がついたらしい。
「迂闊、でしたね、あまりにも……」
うるせー、しゃべんな!
そう怒鳴ったのは相棒だ。
だから私は「黙れ、静かにしな!」とたしなめた。
「『敵』は思いの外、大きい。我々四課が露見し、そしてまさか、攻撃まで仕掛けてくるとは……」
「クボクラさん、あんたのとこが真面目な組織だっていうのはわかったよ。これならこれから、協力できることもあるかもしれないね」
「これから……?」
「なにか必要な物体、物質は?」
「私の趣味は葉巻でしてね……」
「煙草しかない。我慢しな」
私は一口吸ってパーラメントに火を灯し、それをクボクラにくわえさせてやった。クボクラはすーっと細く息を吸うと、ふーっと細く煙を吐いた。
「煙が、うまいと、感じる……。私はまだ、助かるのかもしれないな……」
クボクラは途切れ途切れにそう言うと、自嘲するようにふふふと笑った。
*****
二週間後、県内最大の大学病院を訪ねた。三階の病室。怪我を負ったニンゲンでも、容態が安定した患者を入院させている病棟だ。
相棒は右手に日本酒の一升瓶を、私は左手に黄色い小菊の鉢植えを提げている。私の小菊はともかく、相棒の一升瓶を見てぎょっとする看護師はいた。私が「あんたはどこにいても目立っていいね」と茶化すと、「うるせー」と一言。「可愛いって言ってるんだよ?」、「うるせー、馬鹿にすんな」との返事。
ノックもしないで相棒が引き戸をがらっと開けた。身体を起こして読書をしているクボクラは取り乱すどころか驚きもしない。ただ穏やかな顔をして、文庫本に目を落としている。能面のような女顔がこちらを向き、「そろそろいらっしゃるのではないかと思っていました」などと軽々しく口は動き。
「だったら、いらっしゃいませくださいませ、くらいは言えよ」
不機嫌そうに言いながら、相棒は窓際の台に一升瓶をどかんと置いた。私はその隣に鉢植えを置いた。「私は下戸です。そして長患いを想起させる鉢植えとは」と言い――それでもやっぱりクボクラは微笑んだ。
私はパイプ椅子に座り、隣には相棒が立った。
「正直、あんたたちなんて取るに足らないと思ってたの。個人的な判断ではあったんだけど。でも、いろいろと調べたし、調べてもらった」
「ああ、彼女はなんといいましたか、たしかに情報収集に長けたメンバーがいらっしゃいましたね。後輩に恵まれる。それは組織にとって、なにより大きい」
「しつこい言い方はちょっと気に食わないんだけど。それよりね、あんたの公安四課、それこそ情報収集には秀でていても、武力については高が知れているらしいね。もっとうまくやりなよ。銃はね、要るんだよ」
「私は運動神経が良くないんですよ」
「考え方の問題」
「心得ておきます」
「そうしな」
相棒がふいに「俺はテメーのこと、見直したよ」だなんて言った。私は吹き出しそうになった。誰よりもクボクラを軽蔑していたのが奴さんであったはずなのに。でも、必死だったもんな。なんとかクボクラを助けようとして、相棒は、必死になって車を走らせたんだもんな。
「どんな事象があって、あなたは私を見直した、と?」
「死線くぐった奴は偉いんだよ。みなまで言わせんな、ばーか」
「私は小賢しく小難しいことをのたまっているだけです」
「二度も言わせんな、うるせー、ばーか。がんばろうぜって言ってんだよ。それだけだよ、カス野郎」
クボクラは破顔した、明らかに。
「ああ、困ったな。以降、私はあなた方と接するときに、情をもって臨んでしまうかもしれない」
「気持ちわりーこと言ってんじゃねーよ。クボクラはクボクラだろうが。ちゃんとしゃっきり、やりゃあいい」
「女性が惚れるわけだ」
そんなふうに言われるとピンときて、だから、「それって、私のこと言ってる?」と訊ねてやった。「ええ。違いない」などとクボクラは笑む。
「クボクラさん?」
「はい」
「あんたぶっちゃけ、童貞でしょ?」
「ええ。しかしそれは尊い概念、潔癖な観念では?」
「だったら、そうじゃない私たちのことを否定して、馬鹿にする?」
そんなわけがありませんよ。
――と言い、クボクラは笑った。
「足りないものを補完し合う。素晴らしいことです。凹凸の意味が、そこにはある。お二方、今日はありがとうございました。あなたたちのご好意、ご厚意、私は決して忘れないことでしょう」
相棒が「だったらとっとと現場復帰するこった」と言った。「テメーは生き残った。袂を分かつとか思想が違うとか、んなこたどうだっていい。生き残った野郎が正義なんだよ」と続けた。
「インパクトが強すぎるから、あなたの名を忘れそうになります」
「俺はいつか首を刎ねられるのを待ってるだけのくっだらねぇ野郎だよ」
「ほんとうに、女性があなたに惹かれる理由がわかる」
「死にたいってんなら、俺が余裕で引導を渡してやるぜぇ」
「嫌です」
「ってんなら、気張って生きろ。でもってもう俺のことを馬鹿にすんな、以上だ」
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二人で「ベッドイン!」すると、「今日も帰ってきたんだなぁ」、あるいは「今日も帰ってくることができたんだなぁ」って思う。
一つのライター――ジッポライターの大きな火にたがいに顔を近づけ、煙草の先端に同時に熱を灯した。相棒はめんどくさそうに舌打ちしたし、いっぽうで私は薄笑いを浮かべるかのようにしてにやりと笑っていたことだけはわかる。
「愛しちゃってるよ、相棒」
「うっせ」
「愛してるんだってば」
「うっせ!」
どうすればほんとうに愛してもらえるのか。
私は最近、相棒のことをしきりに胸に抱きながら、そればっかり、考えてる。