色々悩むな世界は広い
悩みは尽きない。悩みのない世界があったらどんなに楽だろうか。
人は死ぬまで悩み続けるように設計されている。
人間は社会性動物なので、束縛されていなければ生きていけない。
学者のような分類学的なことは言うつもりはないし、大学教授が出す自己啓発本のように現実をXとかyとか、妙な数式を作って理解させる、というような誠につまらん話はするつもりがない。(それにしても、物事を説明するだけにどうしてあんな方程式を作るのか)
要は人と関わることで、自分を維持するようにできているのだ。特に心のバランスだ。
人と関わり、社会と関わる。人間の悩みは、その中で生まれる。容姿の悩みもそうだし、能力が低いとか、他人と比べて劣っているとか、それは社会があること前提の悩みなのだ。
たまに人が鬱陶しくなって、『人類がいなくなった世界』を想像する人もいるだろう。朝、起きると車も電車も走っていない。街には誰も歩いていない。人類は、世界中で君一人だけになってしまった。君は しばらくの間、自分一人の世界を楽しむ。道路の真ん中を歩いても、人の家に勝手に入っても問題ない。君は世界を所有したも同然だ。しかし、優越感は長くは続かない。君はすぐに、話ができる誰かを探すだろう。
誰か、他の人類を! (外国の小説でこういう言い回しがよくある。実は、ぼく、こういう文章があんまり好きじゃない)
要は、世界が自分一人になってしまって、その原因とか、これからどうするとか、そういうどうでもいいことを話し合う他人を必要とするわけなんよ、君は。
仮に一人だけの世界があったとしても、君は他人を必要とする。ほら、君はそんな状況に置かれたとしても、社会的な活動をしようとする。
学校で嫌なことがあった/これからある予定だ
受験で失敗した/今年受験だ
仕事で失敗した/異動があって不安だ。
受験に失敗したら、どうなるのか。次の学校を探さなければならない。親を不安にさせる。試験に落ちたという屈辱が負い目になる。それを考えてしまうから不安になり、悩んでしまう。
職場で失敗したらどうなるのか。恥をかくし、それが噂になってしまうから不安だ。
人と関わらなければ生きていけない生物だから、目先のことで悩むのは当然だ。
あらゆる局面で不安にさらされて懊悩するとき、こう思う。
自由になりたい。
鳥になりたいと思う人もいるし、猫になりたいと思う人もいる。
死んでしまいたいと思う人もいるだろう。
死んでしまえば、全てが終わる。よく考えれば、人が人間である期間は非常に短く、死んでいる時間のほうが長いのだ。
人は生き、やがて死ぬ。そして、永遠に、死に続ける。生きる時間は八十年として、死に続ける時間は永遠だ。
人間が本当の自由を得られるとき。それは死んだときだ。社会に属さず、すべてのから解放される。人間という動物に生まれた瞬間から、何かしらの束縛はあって当然なのだ。それは人間を人間たらしめる安定剤のようなものなのだ。悩み事というのは、そういう位置づけにしておいたほうがいい。
現実というのは答えがないもののほうが多い。大事なことには答えがない。正解か不正解かは、自分で判断するしかない。現実というのは、パズルなのだ。どうはめても一枚の絵になるが、はめたピースが正解かはわからない。そして当然、一度嵌めたら元には戻せない。
だから、そんなに悩むな。悩んでもいいけども、思いつめることはするな。行動だけが正解を導くことも多い。
春は、何かを変えるにはちょうど良い季節だ。新しい何かを始めるにも良い。
現実はミステリよりも奇なり。
桜の木という今回のお題に沿ってないって?
あっ。忘れておりましたわ。
大丈夫。ぼくは、これを旧校舎の職員室で書いている。校庭に見える桜は、今もう満開だ。狂い咲き、っちゅうやつやんね。
桜は美しい。いつか散るものだから。
桜の木というテーマは限定的で、どうしても桜の木が関係していないといけない。みんなの小説の幅が狭まってしまうでははないか。お題が限定的なのはいただけないと思う。