24話
『よかったの?』
うん。
『例え辛かったとしても、今までの君も、君であることには変わらない。それをすべて失ったのに?』
うん。
『自分の運命に向き合ってきた強い自分も、失くすかもしれないよ?』
うん。いいんだ。
『……もう、戻れない』
知ってる。
『もう、立ち止まれない』
分かってる。
『もう―――』
振り返らない。
『……そうだね。時計の針はもう、動き出した』
僕はこれからたくさんのものを失う。
『君はこれからたくさんのものを得る』
僕はこれからただ傍観する。
『君はこれから万象に介する』
僕はこれからカラッポになる。
『君はこれから全てが満たされる』
僕はこれから自由になる。
『君はこれから支配する』
僕は
『君は』
俺は―――
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「……僕の部屋」
意識が浮上したのが先か、瞼をこじ開けたのが先か分からないけど、とにかく僕は今目を開け、そしてその目に飛び込んできた景色はよく見知った自室。
「寝て……」
部屋のベッドで横になる現状と、その直前の記憶が合致しない。瞳を見開いてもそこまで眩しさに目が眩む事は無いから浅い眠りだったんだろうけど。
「今の、夢?は……」
起床直後にありがちな夢の追憶。誰でも時々ある何でもない事。でも、今さっき見ていた夢はずっと忘れないような謎の確信がある。
「えっ、と……」
夢に思いを馳せつつも、徐々に冴えつつある頭。気だるさを引きずるように額に手を持っていくと、その手に感じる微かな倦怠感。
その原因、記憶を辿る―――
「ティア……!!」
布団を跳ねのけて上体を起こす。少し頭がクラっと来たけどそんなことにかまっていられはしない。
よくもまぁ呑気に呆けていたものだと思う。
「いない……っ!」
無駄に広いベッドの両脇を見ても、部屋を見渡してもあの小さなニョロニョロとしたシルエットは見当たらない。
同時に、
「ティア!どこ!?」
脳裏にフラッシュバックするのは、血にまみれたティアの姿。
当然ジッとなんてしていられない。
「ティア!ティアー!!」
部屋を飛び出し、長い廊下を走る。
いや、実際は体を包む倦怠感でろくに走れない。それでも、声だけは家中に響くほど張り上げる。
「どこだ!ティア!テ―――」
階段の手すりに差し掛かると、途端に眩暈が襲う。
「ぅ……ティア、何処に、いるんだよ」
とても平衡感覚を保てずに手すりにもたれかかり、自室のあるこの二階にはいないと見切りをつけそのまま階段を降りようとすると―――
「灯真くん!?」
僕の声に駆けつけてきた楓さんが階下からこちらを見上げ悲鳴のような声を出す。
「あ、楓さ―――」
彼女の顔を見ると、微かに弛緩する緊張。共に襲い掛かる虚脱感。手は手すりを掴み損ね、足は階段を踏み外す―――
「……病み上がりなんですから。無茶をしないでください」
「ごめんなさい……」
そのわずかな一瞬で、僕の元へと移動していた楓さんに体を支えられる。
申し訳なさと、自分の不甲斐なさを恥じる。けどそれも一瞬の事で―――
「か、楓さん。ティアは?ティアはどこなの!?」
彼女の給仕服についた浅黒くなりつつあるシミを見て、再び不安に駆り立てられるように問い詰める。きっと、僕とティアの血だ。
「……こちらです。一階へ」
僕の問いかけには直接答えず、肩を貸してくれる楓さん。
一階。そこに僕への答えがあるのだろう。
(ティア……)
ゆっくりと、ゆっくりと。
初めて階段に足をかける赤子のように、一段一段。
僕達は一階へと降りて行った。
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「あ、あなたは―――」
いつもよりも何倍も長く続いているように思えた階段を下り終えると、僕が楓さんに運び込まれたリビング。
「おぉ。少年。顔色は……悪そうだな」
「天門冬……雪、さん!?」
来客用のソファから立ち上がり、僕に言葉をかけてきたのは、冒険者・天門冬 雪。
「な、なんで。ここに……?」
「わしを知っているのか?まぁ、こっちも少年の事は知っているが」
どうして僕の家に、天門冬さんのような『色付き』―――
「あなたの事を知らない冒険者を探す方が難しいですよ。ユキさん」
「楓さん……?」
もしかして、楓さんの知り合いなのだろうか。
……いや。
「あ、あの……!」
「分かっています。ティアちゃん、ですね」
言い切る前に察し、僕に肩を貸したまま歩みを再開する楓さん。
一度、天門冬さんに軽く会釈をし、彼女の座る席、テーブルへと回り込むと。
「ティ、ア……」
テーブルの上には、柔らかいバスタオルの上で横たわる小さな姿。
血濡れて乾いた毛皮が痛々しい。
意識を失う前の、喪失感、胸の痛み、
「……すみません。せめて、血を拭いてあげたかったのですが」
「ぅ、あ、ぁぁぁっ」
そして無力感が、再び押し寄せる。
『――――失われた命が、戻ることは……ありません』
当然の、理。
その現実が、ただ目の前に。
滲む視界の、その先に―――
「クキュ?」
「……え」
滲んでぼやけた世界に浮かび上がるシルエット。そこから発せられる、一鳴き。
「えっ……は?えっ……」
視界を塞ぐ雫が邪魔で何度も瞬きするけど、一向に視界は晴れない。そのもどかしさと困惑を抱きながら、乱暴に目元をこすると。
「クククッ」
「ぁ……あれ?」
その姿が鮮明に映る。
でも、それでも何度も目をこする、それだけそれだけ目の前の光景に理解が追い付かない。
だって、そうでしょ?
「―――せめて、体についた血は拭き取ってあげたかったのですが、眠っているのを起こしてしまうのがかわいそうで」
「眠、って……?」
失われた命は、戻らない。
それが、神様の定めた、この世界の普遍的なルール。
「安心すると良い、少年。ステータスは正常。その魔物は、間違いなく―――」
そう言いながら天門冬さんは、何やら装飾のついたグラス越しにティアの体を眺め終えると、その続きを楓さんに引き渡すように視線を送り。
「ティアちゃんは。ちゃんと元気ですよ」
「――――」
この時の、恥も外聞もなく泣き喚いたらしい記憶は、ティアの無事という事実に対する安堵とうれしさで塗りつぶされて、よく覚えていない。
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「……眠ってしまいましたか」
感情のタガが外れたようにひとしきり泣くと、テーブルに突っ伏したまま、今だ血に汚れた小さい身体をやさしく抱き眠る背中。
「まるで子供のような取り乱し方だったな」
「まだ、子供です」
少しからかうような声色に、当然の事実を返しながら、息つく肩に毛布を掛けると。
「そうだな……まだ、幼い子供だ」
「……はい」
二人の大人は、憂いた。
あどけない寝顔を晒す少年。直前の、そして今も、その胸中に訪れた心の平穏。
「宗像補佐は、この子を『赤子』。と例えた」
それが一時的なものである、その未来を。
「だが、現実は―――」
「ユキさん……すみません。それ、以上は……」
「……すまんな。この子を見てきたお前さんも辛いだろうに」
彼女のグラス越しに見える、彼の身に起きている――――
名:日向 灯真(15)
性別:♂
レベル:1
ジョブ:無職
HP:10/90
MP:2/30
SP:0
力:1
丈夫さ:1
素早さ:1
知力:1
精神力:1
幸運:4
スキル:なし
ユニークスキル:
【増減与奪LV.1】
消費MP:8
クールタイム:270秒
効果:経験値獲得無効。自己能力値変動・変換付与
パッシブ:無機対象能力値接収
その、異変を。




