22話
あれから、馬場君達とギルドを組んで初めての実技訓練から。
一週間。
「今日も荷物、しっかり持てよ」
「……はい」
僕の心は。
冒険者を志していた、執念と呼べるなにかは、擦り切れて。
「おいてめぇ!バックパック壁にこすってんじゃねぇ、ぞっ!」
「ご、ごめんなさ、ぁぐ!」
自分が何のためにこの学校にいるのか、完全に見失った。
思えば、あの日胸に湧いた違和感、止めることのできない震え。
あの時から、僕の意思は、支柱のようなものを失っていたんだ。今まで自分の力の無さを受け入れたつもりになって、迷惑をかけている周りに謝罪して清算しているつもりになって、それらを免罪符に利己的な自分を自覚しながら冒険者を目指していた。
けど、気づかされた、見ないふりをしていた最初で最後のチャンス。
それを逃した時点で、僕はもう……
「がはっ!ごほっごほっ!」
そんな状態でも、何故か登校、授業、訓練、そして帰宅。
唯一、頭の片隅で良かった、と思うこと。
あの訓練の日、ほぼ無意識に僕は家に帰った。
案の定、楓さんにはかなりの心配をかけていたようで、色々言葉かけてもらって、お世話も沢山してもらった気がする。
だけど、この一週間の出来事を僕は殆ど記憶していない。
まるでその機能に蓋をしてしまったように。
断片的で、あっという間の、日々。
鮮明なのは、今しがたお腹に突き刺さった拳の痛み。
嘔吐感。膝とこすり付けた額から伝う床の硬さと冷たさ。
「ちっ!このクソの役にもたちゃしねぇ荷車がよぉ!」
降り注ぐ罵声。
そして、
(クゥ~……)
悲し気に聞こえるティアの鳴き声。
馬場君達の暴力が過激になった翌日から、服の中に隠れるティアに危害が及ぶことを恐れ何度も家にいるように言いつけようとしたけど。
『ククッキュ!』
もちろん言っていることは分からないけどこの子の意思は頑なで、結局ずっと僕と一緒に登校している。
唯一の妥協案として、いつ拳が襲ってくるともしれないお腹正面。思いバックパックを背負う背中を避けた脇腹付近の安全地帯で器用に丸まってもらっていた。
「荒れてるわね。馬場」
「ね~。やっぱ、インターンデビューでポカしたの引きずってるよねー」
「おい。聞こえたら余計キレっぞ」
ズカズカと、肩をいきらせながら仮想ダンジョンを進んでいく馬場君の背中を見ながら、木村君達三人がひそひそと話す声が耳に入る。
この数日間断片的にしか聞いていないけど。どうやら、ギルド結成の後日。馬場君達、資格取得組は早速本物のダンジョン探索へとインターンとして向かったらしい。
だけど、どうも馬場君だけが現場でミスを犯してしまったようで、そのことを引きずってここ最近イライラがつのっているようだ。
必然、僕への当たりも強くなっていく。
「流石にこいつ絞り過ぎな気もしないでもないけど。壊れたら荷物運びが居なくなるしー。あーしもうバックパッカーいやー」
「あたし的には、再起不能で休学にでもなるところまで振り切ってくれたら、ぶっちゃけ楽なんだけどね。ま。今の馬場は何してもキレそうだから、合わせときましょ」
「だな。ほら、お前もいつまでも休んでねぇで荷車の役目果たせ」
今日も僕は、目的も何も持たないまま、自分の中の何かが終わってしまった喪失感すら感じないまま。
荷を背負い、歩く。
いつだって、何かが終わる時は突然だ。
長年心に置いたものですら、消えるのは一瞬だ。到底、理解も整理も追いつかないほど。
突然だ。
そして、
始まりもまた、
突然だ。
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~北側訓練場『仮想ダンジョン内・終着点』~
「おい!早くしろよ!『無能』!」
「は、はい!すみませんん!」
「へっ。っとに惨めだなぁ」
「ホント。こんな生き恥晒していつまでここにしがみついてるのかしら」
終着点に配置された模造傀儡を数十体、蹴散らし終えると、浴びせられる罵倒。
今日も無監視下での訓練で、しかも放課後の時間外の訓練場使用。
普段よりも一層、皆の当たりが強い。
「くすくす」
「あっはは」
嘲笑。
広がる共感、波及する蔑み。
歪な和。
「ごめんなさい、ごめんなさい。まだ、役に立てますから」
今の僕はとにかく暴力が怖かった。冒険者とか、訓練とか。
それらがどうこうというより、ただ、痛いのが嫌で、皆の怒りを買わないようにみすぼらしく媚びる。
「役に立った試しなんてありゃしねぇだろうが!図に乗るな!」
「ぁぐっ!」
けど、その願いは大体叶わない。
そして最初に頭に浮かぶのは『何故』という疑問符。それが、『理由』を求めて、僕自身の『無能』に帰着する。
だけど、
「……あ?なんだその目は?」
「ご、めんなさい……ごめんな、さい」
こんなに痛い思いをしなくちゃいけないほど、それは罪なのだろうか。
人に迷惑をかけながら、ありもしない、『冒険者』という席を求め続けた代償というには重すぎるんじゃないのか。
「あーっ。今あーし『鑑定』でそいつ見てたんだけど、まーた『無能』なスキル使ってたよ」
無意識の自衛。
僕を象徴する、ユニークスキルの使用。
燻り始める僕の中の何かは―――
「おいおいおいおい!そいつは反抗と取っていいんだよなぁ!?『無能』!」
「ごほっ!?」
次に襲い来る暴力によって揉み消される。
(痛い……痛いよ)
微かな抵抗。『力』を削り、『丈夫さ』へと能力値を変動させるも、何も意味は無かった。
口内に広がる血の味、歯を食いしばれば砂利の食感。
「ちょっとぉ。はずみで死なないように気を付けなさいよー?」
「むかつくんだよぉ……せっかくギルドにおいてやってんのによぉ!」
「ごめ、がっ!……ごめんなさい……うぐっ!」
「こうやって!俺様が!かわいがってやってんのに!そのくそみてぇな『無能』!使ってんじゃ、ねぇ!」
なんで……なんでこんなにつらいのに、
「ぐっ……ぅっ……ぅぅぅう」
僕はここに来てしまうんだ。
「ちょ。泣いちゃってんじゃ~ん。かわいそー」
「ちっ!女みてぇな泣き方しやがって!『無能』が!」
同調。
僕のみじめな姿を中心に、このギルドは結束していく。
「……無能」
「…無能」
「無能」
僕にできるのは、諂って、痛みを遠ざけようとする本能的な行為だけ。
「役立たずで、迷惑ばかりかけて、ごめんなさい」
「当たり前だろうが、この―――」
「「「無能」」」
降ってくる侮蔑の言葉。
だけど、こうして言葉だけをぶつけられてる間は、痛みから逃げられ―――
「ククゥ……」
ふと、内出血しているであろう腹部の痺れ。その脇に存在していた温もりが消えたことに。
「! ダメ!出てくるな!」
声が聞こえてようやく気付く。
「あ?なんだ?このニョロニョロしたの」
一鳴きしたティアは、這いつくばる僕の前で後ろ足のみで立つ。
「えっ!かわいいー!ビジュアルつよすぎー!」
「あっ、あの!この子は!」
「うっせ。無能が勝手にデカい声出してんじゃねぇよ……おい、その無能抑えとけ」
僕が、暴力を受けるのはまだ、いい。
けど、ティアは……その子は……
(だ、大丈夫……魔物ってバレずにやり過ごせれば……)
木村君に背に乗られ拘束されながら、僕は願い続けるしかなかった。
「クゥ?」
「いやー!チョコンって立ってる!首傾げてマジ可愛いんですけど!」
ティアは見た目も、実態も無害だ。
きっとただの動物だと思ってくれる。
だから、
「へぇ、こいつのペットか?お前もかわいそうにな?こんな無能が飼い主でよ―――」
「クァっ!!」
(ティア!?)
「いって!?こいつっ……!」
だから、
「ちょっとー。そんないきなり撫でようとしたら―――え?」
「このっ……なんだ?どうした?」
自分勝手な妄想。
だけど、大人しいティアの今の行動―――
「ぁ……ぁ、あ、こ、こいつ……鑑定、したら」
(僕なんかを、守ろうとしないでよ……!)
「こいつ、『魔物』、だよ」
「「「「!!?」」」」
願いは、いつも叶わない。
「ダ、ダメ!ダメだ!」
打破する力も、僕には無い。
「おいおい!無能なうえに、『魔物』なんて飼ってやがるのかよ!」
「ホントにどうしようもないやつ……!」
「魔物なら―――」
「や゛めてぇぇええええ!!!」
グシャリ、と。
柔肉を叩いた嫌な音。
「ぁ……あ、あ……」
「―――始末しないとな?『冒険者』としてよ」
踏みつけにされた、よく見知る者。
目を、背けたいのに。その光景から目が離せない。
駆け寄りたいのに、動けない。
「……ん?まだ息があるみてぇだな」
「っ!」
僕にできるのは、縛られ自由の利かない両の手で。
「あ?何やってんだ?お前」
血濡れた小さな体を覆い、盾とすることだけだった。
「おい無能!勝手に動いてんじゃ―――」
「木村。いいよ別に、させとけ……それよか、魔物なんざ庇うんだ。その両手……いらねぇんだよなぁ?」
再び、踏みつけられる。
両手に伝う激痛。だけど、そんな痛みに、悲鳴が出ることもなかった。
「お、おい!目立つ場所はやばいって―――」
「心、配、すんなっ。こいつが、魔物を庇ったって、事実っ!俺たちは、それを片付けた、功っ労っ者だっ!問題ねぇ、よっ!」
もう、理解していた。
どうしようもないって、どうしようもできないって。
言葉をつなぎながら、何度も。何度も。踏みつけられる。
非力な僕が、盾の役割など果たせるわけもなく、両手は感覚を失くしていく。
けど、手の内で、僕の手ごと踏みつけられ、温もりを失くしていくティアの感触。
それだけは鮮明に、感じ取ることができてしまった。
そして―――
《『魔獣・ティアマット』を討伐》
《経験値を獲得できませんでした》
《個体名:日向 灯真 の最初の魔物討伐を確認》
《条件を満たしました》
《ユニークスキル『増減与奪Lv.0』が―――》
場違いな。無機質な。無神経な。
《『増減与奪Lv.1』に成長しました》
そんな声が、頭の中に響いた。




