14話
~冒険者業専門学校『理事長室』~
「今日の公開訓練、わざわざご足労頂きありがとうございます。宗像先生」
ゆったりとしたスーツを身に纏い、頭髪に白髪をちりばめた初老の男が、対面に腰かけ若々しくパリッとした、対照的ないで立ちの男に言う。
「いえ、私の方こそ突然の訪問。対応いただきありがとうございます」
『理事長』のかけた労いの言葉に、お互い様だという風に返した。
落ち着いた所作で、置かれたカップを手に取り口にすると、一息。
「それに、思いもよらない収穫もありましたしね」
「はて?収穫、ですか……ひいき目かもしれませんが、確かにわが校の生徒たちは皆優秀です。宗像さんをもってしてそこまで言わせるほどの、よい逸材でも?」
かすかに口角を吊り上げながら、カップを置く。
どこか皮肉るような表情で。
「ええ。まぁ……そうであって、ある意味逆と言いますか」
「?」
要領を得ない返答に理事長は疑問符を浮かべるしかなかった。
世間話程度に、と、話題を深堀しようと試みようとした、その時―――
「―――どうやら、私に来客のようだ」
「はい?」
理事長室の扉が、ノックもなしに勢いよく開かれる。
その不躾さと突然の出来事に、理事長はあからさまに顔をしかめる、が。
「―――おぉ。これは、御三方。本日は特別審査員を務めていただきありがとうございます」
「どーも」
先頭に、金髪を束ね赤を基調とした開放的な衣装をまとう、ハツラツとした佇まいの女性。
次いで、紫紺が映える華やかな柄の着物と襦袢を着こなし、色素に乏しく薄く青みがかった長髪の少女のような外見の女性。
そして、胸元に除くシャツを除き、身に纏うスーツ、編み込みサイドで束ねるその髪までもが黒く染められた冷たい印象の女性。
彼女たちの姿に気づくと、理事長は一転して態度を軟化。
「皆さまお揃いで、いかがなさいました?」
彼に比べて相当に若い彼女たちに諂うようなその対応の訳は、何も彼女たちの異性の目を引く容姿に起因したものではない。
一重に、彼女たちが冒険者協会に所属する一介の冒険者として、抜きんでた能力を持ち数々の功績を収めてきたから。
学生たちを冒険者業へと斡旋する専門学校の理事長として、たとえ自らが年長であろうと、忌憚のない尊敬を向けるに値する人物たちなのだ。
が、
「悪いけど。理事長先生に用は無いんすわ」
「え?」
そんな彼の心情などぶった切るように、金髪の女性。
千柳寺 雲母は入室しながら言い放つ。
「はぁ……まったく、OGとして悲しいっすよ。たった一年で腐りましたね。この学校も」
「せ、千柳寺さん?いったい、なにを―――」
用はないと言いながらも、避難の目を遠慮なく理事長へ向ける。
そこへ、
「止しなさい、千柳寺君。今君たちが腹を立て、抗議しようとしている案件は、私の一存だ」
「……宗像、補佐」
名を呼ばれ、席を立つ。
それだけの動作なのに、並程度の胆力を持つ者であれば息を呑むほどの雰囲気を漂わせる。
「へー。そうなんですか。なら話が早いですね、補佐。なんでレべいt―――もが!?」
(お前さんは大人しくしてろ!上に噛みつくにはヒヨっこすぎる!)
「ふきはん!はまふがひへー!はふひにふはふへー!(ユキさん!邪魔しないでー!あたしに言わせてー!)」
着物の少女の手が千柳寺の口元を抑え込み発言を圧殺。
手を放し解放すると、栓をするように氷の膜が口元を凍らせていた。
「君ほどの冒険者が、こんな場所で不用意にスキルの使用とは。感心せんな、『天門冬』君」
「失礼。後輩が粗相を働くかと思いましたので」
「ほあー!はふひほ―――むぐーー!?」
薄氷の轡でも辛うじて何を言っているの分かる、騒音。
その発生源を、生み出した氷よりも冷たい視線で一瞥し、自らの唇の先でジッパーを閉じるようなジェスチャー。
口塞ぐ薄氷は厚みを増し、室温も幾分か下がった。
「……よろしいかね?」
「はい。しばらくは静かになるでしょう」
あくまで紳士的に、彼女達を尊重するように、手振りで質問権を与える。
「宗像補佐。あなたがいらしてるなんて驚きました。私達も、教員の方々にお聞きして先程初めて知りましたので」
「ふむ、そうか。確か今回のようなイベント事に登録冒険者を派遣する際の担当は、協会の広報部だったな。情報伝達に不備があったようだ。注意しておこう」
その回答に、目を細める。
表情を隠すように襦袢の袖先を口元へと添え。
「いえ、そのことはさして問題ではないと考えております。協会のご意志なのでしょう。本題は、今回の公開訓練の結果。冒険者資格取得の合否判定にあたって、一部生徒の採点ミスがありますよね?」
「ふむ。やはり、それだろうね……確か、日向 灯真君。だったか?」
白々しさすら感じるほど、特に気負った様子もなく言う。
それを聞くなり、黒スーツの女性、楓は、氷結に悶えている横をすり抜け、前へ。
「……今回の審査方法も通例通り、学校の部外者である特別審査員の判定が、合否の8割を負っています。私達三名が合格と判定した一人の生徒が、不合格だと誤った結果を―――」
「違うな。その判定自体が誤りだ」
訴えを、棄却すると言わんばかりに言葉を切る。
すかさず、
「当然だ。彼は、弱い。未熟なのではない、未完なのではない。すでに終わってしまっているんだ。レベル、スキルがそれを物語っている。断言しよう、彼は冒険者として不適合。ダンジョンに入れば―――」
死ぬだけだ。と。
「君たちは何も思わなかったのかね?彼は、この現代において時間に取り残された赤子同然だ。そんな人間を、魔物が蔓延るダンジョンに送り込む?あまりに非人道的だ。それに、彼を合格にしてしまえば、今回資格を取り損ねた子供たちに対して、あまりに不誠実だとは思わないか?」
『何故自分より圧倒的に劣る人間が、自分を差し置いて選ばれるのか』
「彼にその資格、自覚がある云々ではない。死ぬと分かっている子供を。見殺しにする選択肢などあってはならないのは、考えずともわかるだろう?君たち三人の一時の心情で決められた結論は、彼が通うこの学校、ひいては冒険者協会全体。下手をしたらダンジョンが日常に溶け込んだこの時代に、汚点と混乱を招きかねない……それほどまでにデリケートな問題なのだよ」
「……そして、彼を落とした」
「そうだ。私の権限で君たちの判定を取り消させてもらった」
それで以上だ、と言わんばかりに腰を下ろす。
「―――……あなたの言い分は最もです。倫理的で人道的、公平で思慮深い……それが」
それが、今でなければ。
あの子でなければ。
「今回、この年。今日という日。自分の介入を私たちに秘匿にしてまで……いえ。恐らくは協会の上層部にすらも……宗像補佐」
刺すような、研ぎ澄まされた気配が部屋に充満する。
先の氷結による室温低下と、部屋を満たす殺気。それらにあてられた、理事長から洩れる短い悲鳴。
「彼が、『日向』だからですか……?」
「―――止せ」
スーツを着た華奢な肩に乗せられる手。
穏やかな制止の声。
「雪、さん……」
彼女の仲裁は、目の前に座り無関心かのように目をつむる男に与するからではなく。
『危うい』、と。
楓の放つ凄みに、直感的に反応した故の制止だった。
「宗像補佐」
「……何だね?」
宗像は、冷静な声色を歓迎する様に目を開け耳を傾け始める。
楓の前へ庇うように出ると言葉を続け、
「今回の件承知しました」
「っ!」
「君が、ゲストに来てくれていて助か―――」
急ともいえる議論の決着。
薄い笑みと共に吐き出された言葉を断つように、氷塊を砕く音が響く。
「雲母」
「……『冒険者』。ってのはさぁ」
砕けた氷のつぶてが室内灯の光を反射し、キラキラと漂う中。
制する呼びかけを無視し、怒気を含む声。
「縛られたら、冒険者じゃないんだよ!富、名声、義務感。世のため人のため、上等。けどね、冒険者の根幹は……『自由』なんだよ!なにが悲しくてお上のために命張るんだ?お国のために命張るんだ!自分の意思で命張ってんだから、それは徹頭徹尾、自分のための命の張りなんだよ!」
「……主観が度を越して話にならんな。冒険者協会に席を置き、管理され。若者たちが冒険者になり得るかの合否を下した、振るいにかけた君が。随分と己を棚に上げて物を言う」
「好きに言えばいい。あたしはあたしが思う冒険者として、後輩たちと目を向けあうし背中も見せる。あたしもかつて、いや今も。それを受けて、好きにやってる。けど、宗像補佐。あんたは間違いなく個人の権利ってやつを、自己都合で故意に侵害―――」
「雲母」
ニ度目の呼びかけにして、苛烈する言葉はそこで止まる。
「……失礼しました。宗像補佐」
「君が、謝罪する必要はない……茶も冷めてしまったな」
カップを口へ運び、その場を形容する様に付け足すと。
「千柳寺君」
「……なんでしょう」
「天門冬君のような冒険者が、君の見る背中なのだろう?ならばこのような場であまり軽率な発言をしない事だ。信用の失墜は当人だけでなく、その周りにも及ぶこともあるのだ。彼女のような良き先輩に頭を下げさせるなど―――」
「宗像補佐」
噛みついた若手に対し、諭すような物言いに、『先輩』は割って入ると。
「お言葉ながら。私が謝罪したのは、後輩の粗相に対してではありません」
「……?」
「件の。日向灯真の合否判定の是非。進言する相手を間違えたこちらの、不手際に対しての謝罪です」
「何だと?」
言うと、優雅に背を向け、半ば困惑気味の二人の後輩冒険者へやんわりと退室を促し、自らも扉へと足を向ける。
その去り際。
「理不尽には理不尽。無法には無法。こちらも、超法規的処置は残されているのですよ?」
「! 貴様、まさか……!」
「フフフ。私も、少し意固地になっていますので。では」
「ユ、雪さん?あの、一体―――」
「わ、わ、ちょ。まだあの角縁眼鏡に言いたいことが―――」
騒がしくも、華やいだ空気を纏いながら三名は退室。
「な、何が何やら……宗像先生。彼女たちはいったい何を言って……」
残されたのは、蚊帳の外にある理事長。
そして、歯噛みし怒りを発露させる男。
「女狐め……!」
怨嗟の向けられた言葉が呟かれた。




