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踏まれた空き缶

作者: 三文字

 商品のアクセサリーを全て並べ終えて、絨毯の上に座り込んでからまだ5分も経っていないのに、「もう帰ろうか」等と考えてしまっていた。何とも言えぬこの圧迫感、閉塞感。何だろう、この息苦しさは。それはマスクのせいか、それとも今の世の中に対して……?


 性懲りもなく、この緑地付近で違法路上販売をする、最後の人間に僕は居座り続けていた。取り締まりも厳しくなったせいで、警備の間をかいくぐるようにして、せいぜい1~2時間が良い所。その上に、あの忌々しいコロナだ何だとか言って、人の出も少なくなって、売れ行きはゼロ。

 でも、工場労働以外に普段の活動の場のない、引っ込み思案で出会いの場を求めるのに臆病な僕にとって、結局唯一の生きがいになったものが、これだった。自分を表現できる唯一の場所が、そこだった。

 とは言えもう、これが最後だろう。

 僕は道端の向こうにある潰れた空き缶を見つめながら、ぼんやりとそう悟った。


 路上に捨てられ、踏まれた空き缶。

 何の意味もなく、ここに居座っている、自分自身の様だった。

 ひと時の、ほんの細やかな用事に使われ、後で潰されてしまってからは誰も振り向かず、ただ用務員の掃除を待つだけの存在。

 僕の人生も、そんなものだろうと勝手に思いながら、僕の手は既に商品の片づけへと入った。しかし、その一瞬後の出来事だった。


「すみません」

 通りがかりの女に声を掛けられて、はいどうも、と思わず片付けの手を止めた。

「少し見てきますか」

 口をついて出て来た僕の言葉は、何とも気まぐれなものだった。


「こういうの見るの、初めてなんです」

 そう言った女性のマスク越しの目元をふと見ると、ぽーっとして上気したかのような、あどけなさの残る顔立ちだった。たどたどしい口調から、上京したばかりという風に見えた。


  僕はその娘を美しい、と思った。何とも陳腐な表現だが、ただ、そう思わずに居られないような佇まいがその娘にはあった。すぐにでも心が折れてしまいそうで、誰かに抱きしめられ、守られていないと泣いてしまいそうで……そんな儚げな、顔をしていた。


 その後暫く、僕はその娘と何気ない会話をした。出身地、趣味、何しに遊びに来たか等、ありがちなテーマだが、楽しかった。久しぶりに立ち寄って、話までしてくれた人が居たから。

 でもこう聞かれた時、唐突に僕の心は曇った。

「これ、いくらするんですか? 買ってみたいな!」

 僕は憂鬱を振り切ろうとしながらも、やや自嘲気味にこう言った。

「全部タダで良いよ? ハハッ、どっちにしろここは今日で止め、よ」

「辞めちゃうんですか……?」

「まあコロナで人も来ないし。あと最近警察がうるさくて」

 その娘は数秒肩を落とした後、突然顔を上げて明るい声で言った。

「じゃ、LINE交換しましょ!」

 それがこの無邪気な女の子、奈央と付き合い始めたきっかけだった。


 僕は今、奈央の寝ている横顔を眺めながら、部屋の東向きの窓から差す朝の光に照らされて、コーヒーとクッキーの朝食を取っている。すぐそばの奈央の髪を撫でながらその寝息を聞いていると、自分までが寝ているかのような静かな気分になる。

 しかし実際、僕の経済状態はこんな風景に似つかわしくないものだ。僕は付き合い始めてから奈央の事を少しずつ知っていった。とある山陰の小さな町で育った事。上京して初の仕事がコロナで切られて、次の仕事を探す気力が出なかった事。他にもいろいろ聞いた。

 このマンションの一室を血の滲むような貯蓄生活でやっとローンで住み始めたというのに、常識的に考えて、これは愚かな事なのだろう。実際貯蓄の減りは勢いづいた。でも何とかして奈央に就職してもらいたいから僕のノートパソコンも貸してあげてこの部屋も貸してあげて、それで奈央は仕事を見つけるんじゃないかとアバウトに考えている。そしてそれはとてもリスキーな考えだと人は言うだろう。でも人生はそんな簡単なものじゃない。人生は頭で考えても、その想像を超えたものによって阻まれてしまう。でも己の力で行動を始めた時、それが思わぬ端緒となるものだ、と僕は今思っている。


 いや、思っているというより、それを奈央が僕に教えてくれたのだった。

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