怨霊は精霊になれる
本日からKADOKAWAさまよりカドコミ(WEB・アプリ)とニコニコ静画にて本作のコミカライズがスタートします‼
カドコミ(WEB)
https://comic-walker.com/detail/KC_006932_S/episodes/KC_0069320000200011_E
ニコニコ静画
https://manga.nicovideo.jp/comic/74034
詳細は活動報告よりご確認ください。
ラングレンが最近、食に目覚めた。
「聖女様、失礼します」
朝のサンズ北食堂にて、ラングレンが私の取ってきた朝食のメニューをあれこれ変えていく。
アカデミーでの朝と夜の食事は全てビュッフェスタイルになっていて、パンやオートミールにお米などの主食から、オムレツにベーコン、ソーセージに選べるドレッシングつきのサラダ、何種類もスープがあったりして毎日違う食事が出来るようになっている。
果物も沢山並べられていて、飲み物も紅茶やコーヒー、色んな種類のフルーツジュースに牛乳と飲み物だけが並べられたコーナーがあるくらいだ。
リリーは今の所パンケーキがお気に入りらしく、色んなジャムにクリーム、トッピングのフルーツをあれこれ変えて食べている。
そして私はお尻みたいな白いパンにフランスパン、果物の入ったパンを選んだけど、ラングレンの手によって果物の入ったパンはオレンジとリンゴに、フランスパンはソーセージとベーコンに変えられ、さらにオムレツが追加された。手元には、お尻パンしか残っていない。
「何で最近私の食事を交換するんですか……?」
「あまりに栄養が偏っているからです。先程の食事は身体を動かす熱量しか取れていません」
「主食を減らしたら、お腹が空くのでは……」
「その分野菜肉果物卵を食べれば良いのです。水も牛乳にしましょう。ほら、ジャムを入れてあげますから」
そう言ってラングレンは、牛乳の入ったグラスに苺のジャムを入れてぐるぐるかき混ぜ、渡してきた。それどころかサラダもどんどん追加され、私の机の上は彼の持ってきた食事に埋め尽くされていく。
「貴女は空腹をしのぐ以外に食事の意義を見出すべきです。もっと食べなさい。ほら、もっと食べなさい。食べられます。ほら」
「り、リリー、ラングレンやっぱりおかしくなってますよ」
「おかしいのは貴女も同じよ。安心しなさい」
「ふええ」
「シッ」
リリーへラングレンの置いてくる食べ物を横流ししようとすると威嚇された。挙げ句、ラングレンは追加で焼き魚まで持ってきた。さらに私の隣に座り、ぐいぐい魚を口に押し付けてくる。逃げようにも反対方向からリリーに押され、食べるしかない。
最近、彼は私に食べ物を恵んでくれるようになった。そして私の口に詰めてくる。お昼過ぎに歩いていると野菜味のクッキーを口に詰められるし、昨日はアップルパイを詰められた。アンテルム王子は「健康的だ、よい」しか言わないし、エヴァルトはジト目で見てくるし、なんだかものすごく不思議だ。
「ねぇリリー、私、廃墟に行こうと思ってるんですけど……来週の休日、空いてますか?」
「嫌」
「誘ってすらいないのに……わ、私は世間話をしようとしただけなのに……ふええ、ヒロインふええ……あっ牛乳飲ませるのやめ……わっ」
「次にヒロインふええをしたら、鼻から流し込むわ」
「ひええ……あっえっひええは、なしでは? えっリリー、あっ」
無言で私の鼻にグラスを近づけようとするリリーを制止していると、ラングレンが「何故廃墟になんて行くのです?」と首を傾げた。
「精霊を捕まえに行くんです」
「精霊……? ミアプラキドスのことですか?」
「いえ、ちゃんとした精霊の方々にはこう、表立ってご協力頂けないようなので助っ人の精霊を」
「助っ人……? 廃墟に精霊……?」
ラングレンは首を傾げながらも、私の口にサラダを詰めてくる。私は話を中断して口を動かした。そうしてサラダを飲み込み廃墟について話をしようとすると、食堂にエヴァルトが現れた。
「エヴァルトさん! おはようございます! 今日も素敵です! 好きです!」
エヴァルトは、「おはよう」と笑って挨拶をしてくれるけど、告白に関してはノーコメントを貫いてくる。そんなところも好きだ。彼の後ろからアンテルム王子とレティクスがやってきて、私は二人にも挨拶をする。
「おや、聖女たちは随分と早い目覚めだな。今日はどうしたんだ」
「はい! 私は遅寝早起きガールなので!」
「……私は姉に起こされただけですわ」
「同じく」
何故か死んだような顔のリリーに、ラングレンが続いた。息がピッタリなのかもしれない。恋かな?
「さて聖女、何故お前は廃墟に行くのだ」
「はい! 力を得るためです!」
「ふっ、面白いことを言うな。聖女には光の力があるだろう」
「でも、魔災を早く納めて、私はエヴァルトに振り向いていただきたいので」
「ははははは! 朝から熱烈なことだ! しかし聖女、来週の明けには実力テストがあることを忘れているのではないか? 赤点になれば、休日返上で補習だぞ?」
アンテルム王子の言葉に、私は首を傾げた。実力テスト……? そんなのあったっけ……?
「実力テストって、魔法のですか?」
「違うぞ。基礎学力の試験だ。外国語に算術、歴史に魔法科学など、基礎的な、なあ?」
「え、呪文を書いたりではなく?」
問いかけると、皆当然のように頷いた。まずい。呪文とか実技とかは聖女だし自信があるけど、外国語も算術も、歴史に魔法科学も全くやっていない。もしかして、皆もうアカデミーの入学前にやっていたりするのだろうか。
「リリーは勉強、出来ますか?」
「一通りは。……もしかして、貴女……」
「私は伸びしろに溢れています。おそらく、この寮の中で最も未知の可能性を秘めていることでしょう!」
へへんと胸を張ると、リリーの「そんなことで威張らないで!」という切実な声が、食堂内に響いた。
◇◇◇
アカデミーの授業は、前世で言う国語、数学、理科、社会、英語の部分が、そっくり魔法に関することに入れ替わっている。魔法基礎、魔法薬学、魔法科学、魔法工学、実技演習だ。前世の家庭科や美術枠として、算術や外国語があったから、てっきりテストも無いか、あったとしても学期末だと思っていた。
「では、来週の始めにはテストがあるわけですが……突然座学のテストを行うよりもある程度自分の実力を知って休日を過ごして頂くほうが効率的なので、ひとまず小テストでも行いましょうか」
一時間目、国語も兼任しているテオン先生の言葉に教室がざわついた。私の心もざわついている。テストって、週明けじゃなかったのか。いや、本番のテストの前に、練習のテストを受けられるのはいいことだ。うん。テストとか初めて受けるし。
でもなんだろう、不思議とお腹のあたりがそわそわしてしまう。
「ちなみに、実力テストで赤点を取れば、休日は返上です。そして、実力テストであまりにも良くない成績を取れば、落第となります。優秀な魔力を持っていてもです。まぁ、力の持っている愚か者ほど怖いものはありませんから、下手な知識は与えないほうがいいでしょう」
テオン先生の言葉に、リリーがちらりとこちらを見た。「失礼な!」と無言で抗議をすれば、先生に注意をされてしまう。私は姿勢を正して真っ直ぐ前を向き――不安を覚えた。
どうしよう。実力テストで赤点を取ったら、精霊の捕獲が出来なくなるのでは……?
捕まえたい精霊の都合上、夜に廃墟へは向かいたくない。行くとしたら日の出から日没までだ。私は一刻も早く魔災をなんとかしたいし、補習で潰されてしまうのは困る。
いや、何も不安を抱くことはないだろう。これはテストのテストだ。今の実力を知って、本番に備えればいい。テストの点が低くても、勉強をすればいいだけだ。エヴァルトを見て、元気を出そう!
窓際に座るエヴァルトへ視線を送ると、彼もこちらに振り返った。完全に運命だ。じっと見つめると、前を見てとジェスチャーを受け、言うとおりにする。
でも、エヴァルトと目が合ったんだ。きっと今日の小テストも、頑張れる予感がする。大丈夫。きっと上手くいく! 私は胸に大きな期待をいだき、前から配られてきたテスト用紙を受け取ったのだった。
◇◇◇
「四点ぽよ、落第ぽよ〜死ぬぽよ〜およよ〜」
小テストが行われた日の放課後のこと。私は絶望に打ちひしがれていた。今日行われたテストは、授業中にすぐ返却された。というか、テオン先生が「所詮は身の程を知る小テストですから」と、回収せず自己採点をすることとなったのだ。
そして結果は四点だった。百点中四点。伸びしろに溢れすぎているかもしれない。ちょっとだけ予想外。想像の斜め上だ。
「リリー! どうしよう! 聖女特権を使ってなんとかアカデミーに残ることは出来ないでしょうか」
私は教科書片手に、仰向けになりずるずると足だけを使って移動していき彼女へ近づいていく。放課後、勉強のために教科書を抱えながら帰ってきたわけだけど、正直な所自分がどこが分からず、そして何を分かっているのかさっぱりわからない。
「無理ね」
「ですよね! 勉強します!」
私は教科書を読み始めた。でも、やっぱりぼんやりするというか、とても難しい。うんうん唸っていると、リリーが「ちゃんと座りなさいよ」と見下ろしてきた。ラングレンも「勉強するなら座ったほうがいいです」と頷いている。
「ハイッ!」
「元気だけはいいんだから、その熱量で勉強すればどうってことないでしょう。ほら、何がわからない?」
「教科書、半分くらいしか読めないんです」
私が正直に分からないことを話すと、リリーが凍りついた。さらに私のノートを見て、厳しい顔をしていたラングレンの目が点になる。よほど良くないことなのか、おそるおそる顔色を伺うと、リリーが私の頬をむに、と掴んだ。
「やるわよ。やるしかないんだから」
「はい!」
「でも、もう勉強するよりも、先生に相談するほうがいいのでは……?」
ラングレンが不安げにリリーに問いかけた。でも、流石に聖女だからといって特別待遇しすぎるのは良くない。先生に特別扱いされなくたって、私も皆も特別なのだから。
「私! 頑張ります! この世界のヒロインですし、リリーのお姉ちゃんですからね!」
任せて欲しいとばんばん胸を叩けば、「そういうことはしないの」とリリーは私の手を取る。これ以上妹に心配をかける訳にはいかない。私は気を引き締めて、リリーやラングレンと文字の読み書きの勉強を始めたのだった。
◇◇◇
「ふわああ」
リリーやラングレンと勉強を開始して、早三日。三回目の徹夜を終え、私はふらふらになりながら朝日の差し込むサンズ食堂へと向かった。
後ろには半分目を閉じているリリーと、眼鏡にヒビの入ったラングレンがゾンビのように歩いている。あれからずっと勉強を教えてもらっているおかげで、私は教科書の意味もわかるようになった。二人のおかげで勉強のスタートラインに立つことが出来たのだ!
「さぁ、朝ご飯ですよリリー! ラングレン! 沢山食べましょうねえ!」
「ぶ」
「エイエイッ」
でも、教科書が半分は読めなかった私を、この三日のうちに読めるようにしたリリーとラングレンの努力は大変なもので、リリーは「ぶ」ラングレンは「エイエイッ」としか返事が出来なくなってしまった。本当に申し訳ない。今日の放課後は二人に休んでもらって、私は一人で勉強しよう。
「私が二人のお食事持ってきますから! どうぞ寝ていてください!」
二人を押して席に座らせると、リリーもラングレンも揃えるように机にゴンッと頭をぶつけ、そのまま眠ってしまった。私は冷えないように二人を近づけて、ビュッフェの並ぶテーブルへと向かった。
リリーはいつもパンケーキにフルーツとチーズのクリームをのせて、パンケーキの右側はキャラメルソースを、左側は苺ソースをかけて食べている。そしてサラダは辛くないドレッシングだ。
一方のラングレンは、茹でて塩をかけた肉に、黄身だけの目玉焼きが2つに、白身だけの塊、茹で豆をバケツ一杯食べている。
最早彼のメニューは独自に組まれていて、ビュッフェから取るのではなく、自分から調理場へ取りに行く形だ。
私はまずはじめにリリーのパンケーキを取りに行こうとした。それと同時に、アンテルム王子とレティクスに挟まれ、エヴァルトが食堂に入ってきた。
「おはようございます! 皆さん!」
「おう聖女。今日も今日とて元気だな……で、我が国の将来有望な騎士と魔術師候補が机にふせっているのは、どういうことだ?」
「実はですね……お恥ずかしながら私は赤点ぎりぎりでして、二人に勉強を教わっていたんです。そして二人は私をちゃんとした人間の学力にしてくれたんですけど、その代償で……」
私がアンテルム王子に説明すると、レティクスが「確かに、お前にも目の下に隈あるもんな。いっつも元気そうにしてるのに……」と、苦笑した。
「えっ隈!? えっエヴァルトさん、見ちゃ駄目ですよ!」
「ちゃんと寝て。落ち着いて。というか君は座ってていいよ。彼らの分と君の分は、僕がとってくるから」
エヴァルトはさっと私の前を通り過ぎ、ビュッフェのメニューを選び始める。お手伝いがしたいと彼について行こうとすれば、アンテルム王子に引き止められた。
「で、聖女よ。恋人の顔は立ててやれ、座れ。赤点は免れそうか?」
「まだ皆さんの背中に追いつけそうもないので、勉強しようと思います」
「そうか? だが、もうお前の妹もラングレンも、生気を使い果たしたようだが……」
「大丈夫です! 一人で勉強するので! 今日の放課後は猛特訓です!」
リリーとラングレンには、めいいっぱい勉強を教えてもらった。今日で三徹目だし、そろそろ独り立ちしなければいけない。
「なるほどな……我が教えてもいいんだが、あいにく王家の諸々で手が埋まっていてな……レティクスも貸してやれん。すまないな」
「いえ! お気遣い頂きありがとうございます! 殿下」
「うむ。応援してるぞ」
アンテルム王子は頷いて、サラダの置かれたテーブルへと向かっていった。私も立ち上がろうとするけど、今度はレティクスに「エヴァルトの言うこときいてやれ」と言われ、そのまま動きを止めたのだった。
◇◇◇
「どうしよう! わからないことが多すぎる! 楽しくなってきた!」
放課後、皆の帰った教室で勉強をしていると、早速難題が立ちはだかってきた。リリーに教えてもらいたい気持ちがふつふつわいてしまうけど、彼女は自分の席でぐっすり眠っている。
朝から放課後に至るまで、彼女は授業中しっかり起きていた。でも放課後になり、私を「ほら、帰って勉強するわよ」と引っ張ろうと立ち上がった末に、そのまま事切れてしまったのである。
ラングレンも同様だ。春といえど寒いから、きちんと椅子に座らせ、二人仲良く並べている。肩しか触れ合っていないけれど、無いよりはましかと私の制服の上着もかけておいた。二人とも、風邪は引かないでほしい。
私はお互いの頭で首の重心を支え合う二人を横目に、問題に取り掛かった。でも、まだリリーやラングレンに習っていないところで、教科書を見てもいまいち分かりづらい。
どうしたものか、ヒントでもないか入念に教科書を読んでいれば、ぱっと教室に見知らぬ女子生徒が入ってきた。黒い髪に、夕焼け色の瞳をしていて、エヴァルトの歩き方や呼吸の仕方に酷似している。
「エヴァルト?」
女の子になっちゃったエヴァルトだ! 強い確信を持って問いかけたけど、彼女は「違うわ」と苦しげな顔で首を横に振った。表情筋の動き方が彼によく似ている。でも、声は高くて女の子そのもの。彼の低くて艷やかな声とは違う。可愛いけど。
「わたくし、エヴァルトではないの。先生に言われて、貴女のお勉強を教えに来ただけよ」
「そうなんですか? ごめんなさい……! よく似てて」
女の子が、私の机の前に立ち、広げていた私のノートをじっと見つめた。そして、「何がわからないの?」と美しい夕焼け色の瞳で尋ねてくる。
「実は、解き方から何から全部分からないんです」
「そうなの。では、ひとつひとつ教えてあげるわ。大丈夫、きみなら出来るし、落第してしまっても、きっと貴女のことだから、助けてくれる人がいるわ」
「エヴァルト!?」
きみ、の呼び方が、完全にエヴァルトだった。思わず彼の名を呼んでしまうと、女の子は咳払いをして「違う」とまたも彼に似た口調で否定する。
「わ、わたし……いや、アタシの名前は……ス、ステラよ」
「ステラちゃん! 私はスフィアと申します」
「では、お互い自己紹介も終わったところで、勉強を始めましょうね」
ステラちゃんはとん、と私のノートを指でつついた。そうして私は、リリーとラングレンが起きて、彼女が姿を消すまで、二人で勉強していた。
◇◇◇
「やったあああああああああああ! リリー! ラングレン! 私! 赤点回避しました! 一緒に廃墟行けますよ! やりましたよおおおおおお!」
「良かったわね。別に私は廃墟に行きたくないけれど」
「ヨシ、ヨシ、ヨシヨシ!」
実力テストが終わった当日、私は早速その日の帰りのホームルームで配られた答案を手に、二人に声をかけた。どんな教科でもセットで返却となっており、周りではまだまだ答案が配られ、みんな一喜一憂している。
「本当に、ありがとうございます! リリー! ラングレン!」
リリーとラングレンを交互に見る。リリーは心なしか目を潤ませ、先程からラングレンは小刻みに「ヨシ!」を繰り返し、拳をなんども振っている。
「姉が馬鹿だと困るから、お礼を言われる筋合いなんてないわ」
「感謝し続けてください。この一週間俺は虚無を味わいました」
二人はお互いの顔を見合わせ、怪訝な顔をしている。なんだろう、この二人、仲良くなっている? 首を傾げつつも、赤点ではなかったこと、そして休日が確保されたことで精霊狩りに行けると安堵していると、帰りのホームルームも瞬く間に終わってしまった。
◇◇◇
「じゃあ、今日はもう早く帰って寝ましょう」
「あ、待ってください。ステラちゃんにもお礼を言わないと……」
「ステラ?」
放課後、三人で教室を出ると、ラングレンが怪訝な顔をした。
「はい。二人が放課後寄り添って眠った時に、勉強を教えてくれた女の子がいるんです」
「……ステラなんて女子生徒、アカデミーにはいませんが」
「えっ」
ステラちゃんが、アカデミーにいない……?
「アカデミーの女子生徒の名前、全員覚えてるんですか?」
「その言い方は極めて劣悪で心外です! 俺は! このアカデミーにいる全員の名前を覚えているんです! 聖女様の! 護衛騎士として!」
「耳痛いですラングレン……」
「今のは貴方が悪いわよ。この子に大きい声を出すことは二度としないで」
リリーがキッとラングレンを睨んだ。彼は咳払いをして、ばつが悪そうにしながら人差し指を立てた。
「いいですか。アカデミーに家名がステラの令嬢も、名前がステラの令嬢もいません。あだ名か何かではないですか?」
「ええ……、じゃあ、ひとまずテオン先生に聞いてみたほうがいいのでしょうか……先生はSクラスもAクラスもBクラスも見ている唯一の先生ですし……それかハーシェル先生が……」
「それがいいんじゃないかしら。はっきりさせて頂戴。存在しないはずの生徒だなんて、なんだか気味が悪いし」
「うーん、でも確かに生きてたと思うんですけどね……一応手紙も書いてきたんです」
私は懐から手紙を差し出した。黒い封筒に夕焼け色の花が描かれた便箋は、私の手作りだ。テストはお昼前に終わったから、お昼ご飯の時間にステラちゃんをイメージして自作した。
「あれ、あそこにいるのってテオン先生じゃないかしら」
リリーが廊下の先を指した。確かに、先生が帰っていく生徒にのんびり手を振りながら、こちらへ向かって歩いてきている。丁度良かった! 先生は神出鬼没なところがあるし、会うのは至難の業……なんてよく言われているし。
「テオ……」
私は手紙を握りながら、先生へ手をふろうとする。しかしぎりぎりのところで、封筒を後ろから伸びてきた手に奪われてしまった。なんだかとてもいい香りがして振り返ると、ぶすっとした顔のエヴァルトが私の書いたステラちゃん宛の手紙を握っていた。
「これは、僕がステラに渡してきてあげる」
エヴァルトは私の書いた手紙を、あろうことか懐にしまってしまった。彼の親切心は、とても嬉しい。あれ、ステラちゃんとエヴァルトって知り合い……?
「え、エヴァルト、ステラちゃんを知っているんですか?」
「……全く知らない。今初めて名前を聞いた」
「え、知らないんですか?」
エヴァルトの言葉に、リリーもラングレンもきょとんとしている。やがてエヴァルトは、手のひらをぎゅっと握りしめ、「テオン先生に用事があるんだ」と素っ気なく言って、さっとこちらに背を向けてしまう。
「エヴァルトさん! ありがとうございます!」
そうして彼は、こちらに振り返ること無く走り去ったのだった。
◇◇◇
「どうして猫だの女だのと、姿を変えて会いに行くんだお前は。普通にそのまま行けばいいだろうに」
ステラ宛──つまり変装した僕に充てられた手紙を持ち、廊下を歩いていると物陰からアンテルムが顔を出した。
言い返すこともできずそのまま通り過ぎようとすると、「ラングレンも大概だが、お前も不器用な奴だな」と笑う。
「別に、なんとなく変装魔法を試しただけだよ」
「ならなぜ種明かしをしない。手品も嘘も、推理劇だって種明かしがつきものだ。犯人を明かさぬ物語に意味などあるか? エヴァルトよ」
「……恥ずかしいんだ」
「恥ずかしい?」
「心臓がおかしくなって、変な態度になる気がして、でも猫や女の姿なら、失敗しても、変な猫とか女に会ったなで済むから……」
自白すると、アンテルムは腹を抱えて笑い出した。「あの女誑しのエヴァルトが?」と、腹を抱えている。
「なら、もう婚約でもすればいいだろう。明日の朝も聖女は絶対お前に思いを告げる。僕も好きだから結婚しようと念書を書かせれば、我が保証人、見届け人、仲人、式場の準備までやってやろう」
「駄目だよ。まだ。成功するか分からないから」
「結婚生活がか? 婚約もしてないのに強気だな」
「違う」
僕は魔災を阻止しなければいけない。それが成功するまでは、婚約なんてできない。僕が死んだとき、スフィア嬢の今後の結婚に汚点がつくことは、許されないのだから。
「最近お前、目が淀んでいないか?」
「どういうこと?」
「初恋はままならないものだが、完全に恋に喰われているぞ」
アンテルム王子は、口角を上げて僕の前から去っていく。確かに、今まで僕は、僕を取り合う人たちの気持ちがよくわからなかった。けれど今は、なんとなくわかってきている。
たとえ、誰かを傷つけても、僕はスフィア嬢に笑っていてほしい。
誰かが不幸でも、スフィア嬢には平穏でいてほしい。
◇◇◇
なんとかぎりぎり赤点を回避した私は、休日を返上する必要がなくなった。さらには補習に出る必要もなく、休日、とうとう廃墟――旧校舎に向かうことが出来た。
「廃墟って、アカデミーの敷地の中じゃない? 何考えているの?」
「ここは……旧校舎? 廃墟ではありませんが……?」
そして無事旧校舎に辿り着くと、リリーとラングレンが二人揃って私に懐疑的な目を向けてきた。
私は二人を落ち着かせるため、両方の背中を優しく撫でていく。
乙女ゲームでは、夏に旧校舎で肝試しイベントが発生する。どのルートでもスフィアはこの旧校舎に入り閉じ込められ、攻略対象に幽霊から守ってもらったりして仲を深めていく。
彼女は幽霊が怖くて、ずっと攻略対象の後ろに隠れる形だけど、最後の最後で勇気を振り絞り、光の魔力で校舎全体を浄化して屋敷から脱出する。そういうシナリオである。そして私は、そのシナリオを有効活用するのだ!
「さぁ、中へと入りましょう!」
旧校舎内に入らず、外側から浄化魔法をかけてしまえば、精霊になってもらいたいあの方ごと浄化されてしまう。だから私は、旧校舎の大扉の窓を割った。
そのまま手を突っ込んで内鍵を解錠すると、ラングレンが「はぁ!?」と大声を出し始めた。
「何してるんですか!? 頭がおかしいんですか!?」
「前にリリーも同じことを言ってきたような」
「言ったわよ。今も思ってるわ」
「おや、二人とも同じことを……? 恋……?」
リリーに顔を向けると「あるわけないでしょう」と冷ややかな目を向けてくる。ラングレンは「学校の校舎を破壊するなんて!」と怒鳴ってきた。
「ラングレンにはまだ話をしていなかったのですが、私はこの世界のヒロインなんです」
「気は確かですか!?」
「はい。私はヒロインなので、この校舎が最終的にどうなるか知っているのですが、まぁ端的に言うとこの校舎、唐突に全焼するんですけど、どうやらガスが充満したことで起きた感じなので、今のうちに空気穴を開けました。これで将来的にも燃えないので安心ですね」
「俺は全く安心できませんが!?」
「そうですか? うーん、困りましたね……」
「どうして俺が我儘言ってるような顔をするんですか……?」
「とりあえず、ラングレンさんはリリーのそばに居てください。リリーは水魔法大得意天才ガールなので……あっ、そうだリリーこれ攻略本です。昨日書いてきました。昼間なので大丈夫だとは思いますが、もし旧校舎の中ではぐれたりしたら、これ使ってください」
私は昨晩書いていた旧校舎の攻略本をリリーに渡した。彼女は「不吉なこと言わないでちょうだい」と本を受け取る。
本にはこの旧校舎の中の見取り図の他に、内部の仕掛けや出てくる幽霊についても書いてある。幽霊は登場順から、この土地で大昔に処刑された宗教家、虐げられ自殺した令嬢、人身売買に遭った子供、とにかく色々だ。
さらに元々ここを彷徨っていた幽霊に生前恨みを買って、祟り殺された人たちもいる。
「ねぇ、もしかして精霊の代わりってもしかして――」
「はい! この旧校舎にいる幽霊に協力していただこうと思うんです」
私は力強く頷き、春なのにひやりとした空気の流れる旧校舎に足を踏み入れる。中は古びた洋館のようで、天井には蜘蛛の巣がはり、床は所々抜けていた。
「まぁ、安心してくださいよ! 私がいますからね。なんてったって光の魔力がありますから」
そう言って振り返ると、一緒に旧校舎に入ったはずのリリーとラングレンの二人の姿は、忽然と消えていたのだった。
◇◇◇SIDE Langren◇◇◇
聖女に連れられ、アカデミーの敷地内のはずれにある旧校舎へと足を踏み入れた直後、聖女が目の前から消えた。本当に一瞬のことで、俺たちが異空間に飛ばされたのか、あちらが飛ばされたのかすら分からない。
背後の扉に手をかけてもびくともせず、俺と共に取り残された聖女の義妹のリリー・ファザーリは手に持っていた手帳に視線を落とした。
「あの子はいつもいつも……!」
ぺらぺらとページをめくる彼女の隣に立ち、手帳の中身を覗き込む。そこには『〜この世界のヒロイン♥スフィアによる絶対安全対処法〜』『首の折れた幽霊に会った場合』『目隠しをされた幽霊と子供の幽霊に挟まれたら』と幽霊に出会ったときの対処法が奇っ怪なイラストつきで事細かに記されていた。
「これは全て聖女様が?」
「ええ。こうなることも彼女は予測していたのでしょう」
リリー・ファザーリは、苦々しい顔つきで視線を落とす。前に彼女から聖女について聞いたときと同じだ。
俺は聖女の存在が気に入らなかった。清廉で一片の曇りなんてあってはならないはずのスフィア・ファザーリは、煩悩と邪の塊だったからだ。男を追い回し、適当な言葉を放って周囲の和を乱す、正しい聖女と正反対にいる存在だった。
自己管理もままならない姿に、果たしてこの国を背負う覚悟があるのかと苛立ったし、そんな人間を守り騎士道を捧げよという王の命令に絶望すら感じた。
しかし、聖女の境遇をその義妹に聞き、同情の気持ちが湧いた。偏食は腹を満たすことに特化しすぎた考え方のせい。ジークエンドを追うのも、今まで屋敷でまともに扱われず距離感がつかめないだけだと原因が分かれば、気にならなくなった。
「……俺は護衛であったのに……なんてことを……!」
拳を握りしめて、壁に叩きつける。護衛対象を目の前で見失うなんて騎士失格だ。自分の力を過信していたのは間違いなく俺だ。そのままぎりぎりと腕に力を込めていると、「何をしているのです」と冷ややかな声がかかった。
「そんなことをしている暇なんてないはずでは? スフィアを探しに行きましょう。こうして手帳に書き残す余裕があると言えど、あの子は何をするか分かりませんわ。ただただ無作為に壁に拳を叩きつけ、消耗している場合ではありません」
「……そうですね」
リリー・ファザーリは毅然とした態度で歩きだす。俺はすぐさま彼女を追い越し、先陣を取った。
「貴女に前を歩かせるわけにはいきません」
「別に、聖女の妹と言えど血も片方しか繋がっていませんけれど」
「その割に歯に衣着せぬ物言いをしますね」
「そうでしょうか?」
彼女はとぼけるように周囲に目を向けた。当初、俺は聖女の義妹という存在に対しても、懐疑的な目を向けた。妾から正妻にのし上がるという到底品が良いと言えない出自の女性の娘なのだから、まともなはずがないと思っていた。
でも「あの子はまともな教育すら与えられていないのです」「どう思うかは勝手ですけれど、あの子を知ってから判断して頂けないでしょうか」と、侯爵位で格上である俺に対して真っ直ぐ訴えてきた姿は、正しい精神性を持っていることを知るには十分だった。そして真実に打ちのめされ、どうしたらいいのかと惑う俺に彼女は「それは自分で考えるべきでは?」と、取り入るでも慰めるでもなく一刀両断してきたのだ。
「決して俺の気の所為ではないと思いますが」
「人の口に食べ物を詰める奇行を発症する特殊な方には、そう感じるんでしょうね」
「あれは償いです。奇行ではありません」
リリー・ファザーリはこちらを見ることもなく、手帳をめくり屋敷の中を進んでいく。しかしぼそりと、「私も、謝らなきゃ……」と呟いた。
「誰にですか?」
「貴方には関係ありませんわ。それと、この先には足を掴む若い女の霊が出るそうです」
彼女は方向を転換して、すたすた歩く。俺も遅れを取らないよう、慌ててその背中を追ったのだった。
◆◆◆
「まじかぁ」
リリーとラングレン、二人が忽然と消えてしまった場所を見つめ、私は立ち尽くした。
でもまぁ、私とラングレン、リリーみたいな分かれ方をしたら危ないけど、攻略本を持っている魔力つよつよ天才リリーとスーパー剣術マンのラングレンがくっついたなら大丈夫だろう。気を取り直して、私は旧校舎の奥へと進んだ。
私がこの旧校舎に訪れた理由は、早い話が亡霊騎士というこの奥で隠居生活をしている亡霊に会うためだ。ゴーストナイト、なんて童心に効く響きだろう。何百年前に死に、何百人か呪ってきた彼は旧校舎の怪異の原因となっていて、ゲームでもこの屋敷のボスとして登場していた。
精霊と亡霊。驚くべきことに一文字しか違わないし、精霊の代打になるポテンシャルは持っているはずだ。魔災に関する書物が封じられている洞窟の仕掛けは精霊の協力なしに解けないけど、きっと亡霊騎士ならなんとかしてくれるだろう。
そして私は洞窟に入り、中の書物を処分する。その為には亡霊騎士の力が必要だ。他の人に話をして精霊の力を間接的に借りたり王に話をしてそもそも洞窟を爆破してもらうことも考えたけど、エヴァルトがゲームで魔災の研究をした時、王政の中に何人もの協力者がいたと描写されていた。
うっかり彼らに知られたらと考えると、やはり一人でさっと燃やしに行くのが一番だと思う。私は旧校舎の最奥――校長室へ足を進める。この校舎は元は病院で、そこを解体して校舎にしたらしい。そして校長室は死体安置所があった場所で、呪いの総本山らしい。
私は目の前の階段を通り過ぎ、最短ルートで進んでいく。しばらくして科学室の前を通り過ぎようとすると、中からすすり泣く声が聞こえてきた。
「ひっ、ひっ、ひっ」
ゲームでは科学室に幽霊はいなかった。出てくるのはトイレと美術室と音楽室と階段、大広間の鏡や中庭だ。不思議に思って扉の窓をパンチして中に入ると、『は?』と地を這うおじさんの声が聞こえてきた。
でも、科学室にいたのは銀髪を三編みにして、大きな丸眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の女子生徒――同じクラスのルモニエ・アンドリアちゃん――ルモニエちゃんだ。話をしたことは一度も無いけど、精霊アンタレスと機械や部品をいじることが好きと話をしていた記憶がある。地を這う声を出す子ではない。
「コンニチワァ……?」
元気すぎて驚かせてしまうのも申し訳ない。おそるおそる近づくと、彼女は「えっ」と動きを止めた。
「聖女様……?」
「ドゥモォ……聖女デスゥ!」
「なんで聖女様がここに……?」
「実は幽霊狩りに来てまして……そちらは?」
「分からない……朝起きたらここに……」
「寝てると動き回っちゃう方ですか?」
「いや……多分寝てる間に……ここに放り込まれたんだと思う……それで……怖くて動けなくて……暗いの……大嫌い……」
「いじめ……じゃあ私と一緒に幽霊狩りします?」
『は?』
ルモニエちゃんが返事をする前にまた野太い声が聞こえた気がした。不思議に思っていると、彼女も私を見て目を見開いている。
「幽霊狩り終わったら、私も寮に帰るので、一緒に帰りましょう」
「なんで幽霊狩りなんて……?」
「どうしても必要に迫られまして。さ、行きましょうルモニエちゃん」
私はしゃがんでいたルモニエちゃんを立たせる。彼女は「何でボクの名前を知って?」とまた首を傾げた。
「精霊の授業の時、精霊アンタレスとお話をしていましたよね? もの作り大好きガールですよね……?」
「そうだけど……余計意味が分からなくなった。ボクを知ってるのに関わろうとしてくるなんて変な人だ」
「?? 何故です?」
「だってボクは偏屈女として名を馳せているんだよ? 知らないの?」
「ああ、そんな風に呼んでいる人もいましたねぇ」
思えばルモニエちゃんはそう呼ばれていた気がする。でも初対面だし、何故彼女がそう呼ばれているかは知らない。
「どうして偏屈女なんて呼ばれているんですか? 誰かを屁理屈でボコボコにしたんですか?」
「ううん。機械とか工作が好きで、魔術ほっぽって組み立てばっかりしてたら、いつの間にか」
「へー」
「興味なさそう……」
「だって、偏屈な雰囲気しないですし、ちゃんと私の言葉に返事してくれますし」
偏屈って、性根が腐ってるみたいな印象だったけど、どうにもルモニエちゃんはそんな感じはしない。私は不思議に思いながら、彼女と旧校舎の奥に進んだのだった。
本日からKADOKAWAさまよりカドコミ(WEB・アプリ)とニコニコ静画にて本作のコミカライズがスタートします‼
カドコミ(WEB)
https://comic-walker.com/detail/KC_006932_S/episodes/KC_0069320000200011_E
ニコニコ静画
https://manga.nicovideo.jp/comic/74034
詳細は活動報告よりご確認ください。




