003 有馬健太郎、転生する
「すまない、こちらの手違いで君はスライムになってしまった。許してほしい」
目の前の青年はサラリとそう言った。
思えばここから俺の奇妙な体験は始まったのだ。
◆◆◆
俺、有馬健太郎はそこそこ名の知れた上場企業に勤めるサラリーマンだった。
「有馬先輩、なんとか助けてくださいぃぃ!」
「有馬、先方の反応は上々だ、今期の売上も期待できるぞ!」
「有馬、有馬!」
などと後輩、上司、方々からいろんな仕事が振られて忙しい日々を送っていた。
俺は頼まれると嫌とは言えない性格で、自分で言うのもなんだが頼られていたというか、うまく使われていたというか、そんな感じだった。
別にそれが嫌いではなかったし、むしろ充実していたといえよう。
仕事に人生を捧げていた俺。35歳になっても未婚で、これまで女性と付き合ったこともなかった。
休みの日も仕事をするワーカーホリックだったので、それもいたしかたない。
だけどそんな生活は着実に俺の体を蝕んでいた。
突然俺は死んだ。
いや、実際には突然じゃない。
職場の飲み会で食べた何かの毒に当たったのだ。
食中毒と侮ることなかれ。
日々の仕事による疲労で免疫力が低下していた俺は、家に帰ってから激しい腹痛と吐き気に襲われ、やがて身動きが取れなくなり、独り身であることも相まって苦しみのうちに人生を終えた。
何を食べても問題ない腹が欲しい……。
俺は薄れゆく意識の中それだけを考えていた。
そのあと気づいたら先ほどの青年が目の前に立っていたというわけだ。
「すまない、こちらの手違いで君はスライムになってしまった。許してほしい」
何を言ってるんだ、と思った。
その真意を問おうとしたが言葉を発することが出来なかった。
何故か手足も動かせない。意識だけがあるような感じだ。
サラサラと揺れる青色の髪の毛と、水色の一枚布を体に巻いたような服装。
現実にこんな人物を見ることはないため、夢、もしくは死後の世界なのかもしれないと考えるようになるまでに時間はかからなかった。
「君の言いたい事ももちろんだ。
私たちは君の強い願いを聴いた。前世での功績によってその者の願いを聴き届けて転生させる事。それはこちらの仕事であるのだが……。
手違いというか取り違いで、誤って君の願いを聴いてしまったんだ。
すぐに間違いに気づいて戻そうとしたが、時すでに遅く……無理矢理中断した結果、君はスライムになってしまった。
全面的にこちらが悪い。だけどもう時間が無い。
いろいろな世界、いろいろな次元、それらを管理しているため、君に謝罪ができる時間はもう終わってしまう」
ちょっと待て、理解が追いつかない。
転生? スライム? 時間が無いってどういうことだ?
「すまないと思っている。
せめても、君の転生先の世界のマニュアルを読めるようにしておく。
私たち用の説明資料のため、君には理解できない部分も多いかもしれない。
せめても、それで来世を楽しんで欲しい。すまなかった」
それだけ言うとその青年は消えてしまった。
俺はそこでようやく気付いた。
人とは違う体、緑色のぷにぷにとしたボディの生き物、スライムというやつになっていることに。
とりあえず俺はそれを受け入れた。
直前の腹痛が尾を引いていたのか、痛みのないこの状態に安心した事も理由の一つだ。
そして前向きに、神のカンペに目を通していったのだ。
世界の仕組みの事、グロリアの事、そしてスライムの事。
粗方目を通し終わった時、体が何かに引っ張られるような感覚がして、そして目の前が明るくなり、少女と相対した。
俺はこれがカンペに書いてあった召喚であるとすぐさま理解したのだ。
そのあとはご存じの通りだが……俺のスライムライフは1日もなかったな。
せめてSランク、いや贅沢は言わないからAランクのグロリアに転生させてくれていたら……。
いや、止そう。
過ぎたことを言っても仕方ないのだ。
短い命の中で少女の命を救ったのだ。
上出来ではないか。
俺は晴れ晴れとした温かな気分になっていた。
真っ暗な世界。あの青年、いや神に会った場所もこんなふわふわした感覚だった。
だけど、神と対峙していた時は温かいとかは感じなかったな。
なんていうか、この感覚は35年の人生でも長らく感じることのなかった、人のぬくもり……。
そう感じた瞬間、俺の意識は覚醒した。
◆◆◆
どこかの部屋だ。
もちろん自分の家ではないことは間違いない。
今、俺の体は人間ではなくスライムなのだから。
そのスライムボディにかかる圧力と温度が俺の視線を誘導する。
そこには俺に抱き着くようにして眠っているレナの姿があった。
「むにゃむにゃ……おやつ……」
幸せな寝顔のレナは口元からよだれを垂らして寝ている。
よかった、無事だったのか。
分かっていたとはいえその事実を確認できたことで、ほっと胸をなでおろす。
温かい。
スライムの体は温度を感じることは無いはずなのだが、子供特有の高めの体温を感じることが出来る。
俺はそれが妙に嬉しかった。
このままいつまでもこの温もりを感じていたい。そう思ったが、召喚された際のレナの泣き叫ぶ姿が脳裏によぎった。
そうだ。この子が無事で、俺も無事だったとはいえ状況が変わったわけではない。
目が覚めてまた泣き叫ばれでもしたら……。
そう思った俺はこっそりとその場を後にすることにした。
幸い今はベッドの上だ。体をずらしたとしてもレナが床に寝転ぶことになるわけではない。
俺は被さるように抱き着いているレナを起こさないように、少しずつ体を動かしていく……。
うぐ……思った以上に……重い。
幼子とは言え全体重をかけられるとスライムのパワーでは振りほどけない。さすがは最弱と名高いスライムだ。
だが問題は重さだけではない。
俺のぷにぷにボディをがっしりと掴んでいるのはレナの二つの手。
俺は枕じゃないんだが……。
そんなこんなで悪戦苦闘していると、レナの目がぱちりと開いてしまった。
瞬間、まるでメデューサに睨まれて石化したかのように、俺の体は動かなくなった。
先ほどの悲鳴と逃走劇が再現されると思ったのだ。
「スー! 元気になった? ねえ、元気になった?」
レナの口から出た言葉は俺の予想とは異なるものだった。
「わーい、わーい! スー元気になった!」
何やら笑顔で俺の体をぶるぶると振るわせているレナ。
どういう事なんだ? 説明を求めたい。
――ガチャリ
ドアが開く音と共に3人の大人が室内に入ってきた。
一人は先ほどの女の先生。あとの二人は見たことが無い男性と女性。
「お父様、お母様! 見て、スー元気になったの!」
男性と女性とに向けて笑顔のレナがそう言った。
なるほど、この二人はレナの両親か。
そういわれるとどことなくレナと似ている気がする。
「良かったなレナ。レナの初めてのグロリアだ。仲良くするんだよ」
「そうね。これから長い付き合いになるのですからね」
「うん!」
???
俺の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになった。
「私もびっくりしました。まさか契約もしていないグロリアが契約者を身を挺して守ろうとするだなんて……。そんなグロリア、今まで見たことはありませんでした」
「そうなの。スーは凄いの! 怖いオオカミをやっつけたんだから!」
なるほど。
先生とレナの言葉から、ようやく俺は状況を察することができた。
グレイウルフからレナを守った事で、彼女は俺のことを見直してくれたのだと。
「ありがとうスー、私の娘を守ってくれて。
お前のように勇ましいナイトが娘のグロリアになってくれるなんて嬉しいよ」
レナパパが俺に向かって微笑みかける。
ちょっといいだろうか。
すごく気になっていることが一つある。
もしかして俺の名前って【スー】なの?
この流れでは間違いなくそうだ。
いつの間にか名前まで決まっていたなんて……。
でも、悪い気はしないな。
「さあレナ。まだなんでしょ契約。レディはね、ここぞというチャンスは逃してはいけないのよ」
レナママが淑女のたしなみを教えながら、レナに何かを手渡す。
5cm四方の手のひらサイズの正方形の物体。
金属質の表面に彫刻のように装飾が施されており、さながら美術品のようにも見える。
俺はこれが何なのか知っている。神カンペにもあったからな。
このアイテムはクラテルという。
人間とグロリアが契約を結ぶ際に使われるアイテムだ。
「さあレナちゃん。たくさん練習したから大丈夫よね。お父様とお母様にきちんとお披露目しましょうね」
「うん! レナいっぱい練習したからできるよ!」
そういうと、クラテルを俺のほうに向け、じっと俺を見つめるレナ。
その様子を笑顔で見つめる大人たち。
「レナ・ブライスの名において、汝、スーを我がグロリアとせん!」
レナの体が青白く光を放ち、それが手に持つクラテルに伝播する。そしてクラテルから一条の光が俺に向けて放たれ、俺の全身もレナと同じように青白く光り始めた。
こうして俺はスーの名を与えられ、レナのグロリアとして契約を結んだのだ。
「スー、だーいすきっ!」
その後レナにもみくちゃにされた。
いかがでしたでしょうか。
3話でようやく主人公の事情が判明しました。
つまりこのお話は異世界召喚ではなく異世界転生からの召喚となります!(大切