小ダヌキ ノノ
イラスト小説企画『小説風景12選』5月参加作品
「いいか! あのホコラにだけは、近づいちゃならんぞ」
タヌキの集落から少し離れた切り株をぐるりと囲むように、小ダヌキのクロ、マル、ノノを集めて、ジーちゃんが熱く語り出した。
そんなとつぜんの出来事に、クロ、マル、ノノは仲良く目を丸くする。
生い茂った葉が風に遊ばれて、ひどく大きな音をたて、小ダヌキたちが身じろいだ。
しかし小ダヌキたちの反応を待っているのか、ジーちゃんはなにも言わない。耐え切れなくなったクロが、しかたなく小さく口をひらいた。
「ホコラ?」
「そうじゃ。あそこは池もあって緑も多くて、木の実もたんまり落ちているが、ぜったいに行ってはいかんのじゃ」
大きくうなずきながら、くどくどと繰り返すジーちゃんに、クロとマルは困ったようにまた顔を見合わせる。
一番小さなノノが、小さな手をあげる。
「ジーちゃ」
「なんじゃ、ノノ」
「かーちゃにどんぐいたのまえてうのー。ノノ、かえうねー」
えへへと笑って、ノノは背を向けヨチヨチと歩き出した。
それを見て、いっしゅんあんぐりと口を開けたジーちゃんだったが、慌ててノノを呼び止める。
「まま待て待て! どんぐりなら、ジーちゃんがたんまりやるぞい。じゃから、話を聞いてくれんか? 大事な。とっても大事な話なんじゃよ!」
切り株にすがりつくような形のジーちゃんへと振り返り、ノノは目を輝かせて戻ってきた。
隠していたとっておきのおやつを、涙をのんで切り株に山と積む。
「……これじゃ。好きなだけ持ってけ」
「うわーいっ!」
大喜びなのは、クロとマル。ノノはせっせとどんぐりだけを集め出している。
「ジーちゃんの後ろの茂みをな、まっすぐ行くとホコラに出られるのじゃ。いわば、秘密の道じゃな」
「ひみつー?」
秘密大好きな女の子、マルがすぐさま飛びついた。
少しばかり声をひそめて、ジーちゃんは切り株に身を乗り出した。
「そうじゃ。ジーちゃんしか知らない、だれにもナイショの道なのじゃ。ホコラは危ないからな」
「ナイショなの?」
「クロ、こわいのキライだ」
干し柿をほおばりながらクロがつぶやけば、古だぬきと小ダヌキが同時にクロを見る。
無言の圧力に、クロは身をすくめた。
「クロ。男の子でしょ!」
「だからなんだよー。おとながあぶないっていってるんだぞ」
「ひみつはロマンでしょ! ナイショは柿よりもあまいんだから!」
鼻がくっつきそうなほど近づいて、細い犬歯をむきだしてくる。クロはたじたじと後ずさるしかなかった。
「ノノ、いくよー」
「いや、じゃから行っちゃダメじゃというのに」
「でもナイショよ。ひみつなのよ! オトメのたしなみよ!」
クロには完全に背を向けて、どんぐり積みをやりとげて満足げなノノにターゲットがうつされた。彼の小さな手をにぎり『オトメのたしなみ』を熱く語り出す。
半分以上、話はわからなかったノノだったが、笑顔でずっとうなずいていた。
「ノノがこまってるだろー。いきたいなら、マルだけいけばいーじゃん」
とんがった鼻をさらに細く見せるようにとがらせて、クロは目を細める。すると、ひどく冷たい目つきで返され、バカにするように鼻をならされた。
「なによ。女の子をまもるのは、男のつとめでしょー? ねー、ノノ」
「そー、ねー」
マルが首を傾けた方向に、ノノもにこにこと真似をする。
「クロはいかねーかんな!」
「いいわよ、こなくって」
「ほ、ホントのホントだぞー?」
必死に言うクロから、プイッと顔をそむけて、マルはノノの頭をなでた。
「ノノは男の子だもんねー。いっしょにいくよねー?」
「ノノ、いくよー」
「じゃから、行ってはならんと言うに」
まったく心のこもってない言い方になりながら、ジーちゃんはこっそりとほくそ笑んだ。
行かないと言われたらどうしようかとも思ったが、かなり簡単に事は進みそうだった。
ただ、ノノは残ると思っていた事だけは誤算であったが。危険は――実際はそうないと思うが、万が一にもまだ幼いノノが怪我した日には、母親のフクさんの怒りがおそうことは間違いないだろう。
だが、クロが行かないと言っている以上、ノノに残れと言えばマルもあきらめてしまうだろう。
「あー……クロや。さすがにマルとノノだけじゃ心配じゃて、ホコラまでは行かんでもいいから、ノノが怪我せんようについていってくれんか」
「えー? やだよー。いっちゃだめっていってたじゃんかー」
あからさまに嫌そうな顔でぶーたれるクロに、ジーちゃんは大きな顔を近づけた。
「……行ってくれたら、とっておきのアケビの実も後でやろうと思ってるんじゃが」
「え! ホントに! じゃあじゃあ、キイチゴもたべたいよー」
目を輝かせて言ってくるクロに、ジーちゃんは苦虫をかみつぶした。
クロが言った果物は、ジーちゃんの隠し財産だというのに、どこから見ていたというのか。
しかし、うなずくしかなかった。やっぱり孫には弱いのだ。
大喜びするクロに、ただ弱々しく首を振り、隠し場所を変えようと心に誓った。
春の陽射しは暑いくらいだというのに、吹く風はひどく冷たい。
ジーちゃんは少しだけ身を震わせて、さっそく冒険に出かけるクロ、マル、ノノをもう止めることもなく見送った。
*
ホコラの傍には、清らかな水をたたえる池がある。
山に住む獣たちにとっては、命と同じ意味を持つ水。
緑あふれる森には、少しの風で葉がこすれあい音を奏でる。柔らかく、優しく。ときには恐ろしい音をたてて風が吹き巻く。
茂みから小さな頭をみっつ出し、小ダヌキたちは辺りをうかがった。
自然な水の流れとは違う、あきらかに不自然な水音に、クロとマルは毛を逆立てた。
「だえか、いうねー」
声を小さくするでもないノノの口を、クロとマルが慌ててふさぎ、頭を茂みの中へと戻す。
しかし、不自然な水音はやんでいた。気付かれてしまったかもしれないと、クロは背筋が凍る思いだった。
「だれか、いるのかい?」
凛とした声は、人間のオスのものでクロもマルも絶望に目の前が真っ暗になった。
捕まれば、毛皮にされるんだと親ダヌキたちから散々聞かされていたのだ。
逃げなくちゃ。
そう思う気持ちはあふれるほどあるというのに、固まったように動けない。
その時、クロとマルの手を嫌がるように振りはらったノノが、茂みから転げ出してしまった。
ノノは、初めて見る姿形の者を興味ありげに見つめる。
目の前に立つ彼は、毛が少ない。頭のてっぺんと後ろに柔らかそうなミカン色の毛があるだけだ。四肢は妙に長くて、やはり毛がなくつるりとしている。
身体に布切れを巻きつけているのは、毛の代わりなのだろうか。
「おや。懐かしいな、タヌキの子供か」
おひさまのように温かく笑う彼に、ノノは後足で立ち上がった。茂みの中からは、すでに声をかける勇気もないクロとマルが手を取り合い、なりゆきを見守る。
「ノノっていうのー」
人間にとっては、ただ後足で立ち上がって、鼻をひくひくと動かしているようにしか見えないだろうに、彼は嬉しそうに笑ったのだ。
「そうか、ノノという名前なんだね。ぼくは……なんだったかな、長いこと自分の名前を言ったり聞いたりしなかったから、忘れてしまったよ」
「わすえたの? じゃーノノがつけたげう!」
「本当かい? 嬉しいな」
あははと声をあげて笑う彼に、ノノもえへへと笑い返す。
池のほとりに腰をおろせば、ノノも彼のとなりに座ろうと池を渡る。
横に回って、ノノは初めて気がついた。彼の尻から、ミカン色のシッポが生えていたのだ。
だが、ノノはつるんとしたヒトにも、シッポはあるものだとうたがわず、となりに座りこむ。そして、かわいらしくうなった。
ほほ笑ましくそれを眺めながら、彼は足を池にひたしていたが、ふと風の動きを探るように顔をあげる。
「ミカンがいいよー」
とうとつにかけられた言葉に視線を戻せば、輝くような金色の瞳とぶつかった。
「それはおいしそうな名前だね」
「ノノ、ミカンすきー」
「そうか! 好きな名前をつけてくれるんだね。ありがとう」
笑顔でお礼を言えば、ノノは満足そうにうなずいてみせた。
「ヒトって、ノノとおはなしできうのねー」
キラキラとした瞳を向けられれば、少しばかり気まずいようすでミカンは苦笑する。
どう話したらいいものか思案しながら、ノノの頭をなでてやった。
「ナイショだよ? ぼくは人間じゃないんだ」
「じゃー、なに?」
「……そうだね。ホコラに住む、忘れられた者。かな?」
「わす、え……? ふーん」
小さな頭で考えたようだったが、ノノは首をかしげて鼻を鳴らした。
くすりと笑い、柔らかそうなミカン色の髪の毛が、嬉しそうにふわりと揺れる。
風を読むように、ミカンがもう一度顔をあげて立ち上がった。
「ああ、大勢の人間が山をのぼってくるよ。ノノ、もうお帰り。みつかったら危ないよ」
ノノは茂みに向かおうとして、ジーちゃんの「秘密じゃぞ」という言葉を思い出す。
どうしたらいいのかと、鼻を鳴らすと、彼は困ったように笑った。
「そうか、迷子なんだね。送っていってあげようか、すみかが変わっていなければいいのだけれど」
「ノノ、おうちかえうの?」
隠れているはずのクロとマルのほうを、ちらちらと見ながら、ノノは上目づかいで彼を見上げたが、ミカン色の毛を揺らすくらい大きくうなずいている。
「そうだよ。人間は山の生き物に厳しいからね、見つかったら危ないんだよ。食べられちゃうぞー」
つるりとした前足を大きく上にあげた彼に、ノノはさすがに怖くなって背中を丸め、毛を逆立てた。
それを見て肝をひやしたのは、クロとマル。
ノノが人間におそわれる! と思いながらも、恐怖に身がすくんだままだった。
クロが小さく、ジーちゃんとつぶやいて、マルがクロを見る。
「……じ、ジーちゃんにいわないと!」
「うん、いそごう!」
固まってしまった体を、むりやり方向転換したことで、クロとマルはのぼってきた獣道を、音を立てて転がり落ちていった。
なんにも知らないノノは、ミカンの振り上げられた手に泣き出した。
「ノノ、こわいのいやー!」
キューキューと鼻を鳴らすノノに、彼はしまったと慌ててあやまる。
「大丈夫、大丈夫だよ。泣かせるつもりはなかったんだ、ごめん。ごめんね? さあ、帰ろう?」
毛も肉球もない差し出されたその手を、ノノは不思議そうに見つめる。
その様子を懐かしむように微笑して、彼はノノの右前足をそっとにぎった。
ノノは前足を優しくにぎってくれることが嬉しくて、ヨチヨチとした足取りも軽くなる。
「ノノは、歩くの上手だね」
「ジーちゃの、とっくなのー」
「……とっく?」
意味が分からなくて、ミカンは頭の中で、とっくとっくと考えながらノノに合わせて歩く。
「特訓か! ああ、すっきりした」
「へんなのー」
すでに自分のセリフも忘れていたノノは、とつぜん声を出したミカンに目を丸くした。
池に沿って歩いてきたミカンとノノ。
ふと見えてきた、対岸にひっそりと寄せられている小さな木船に、ミカン色の眉をひそめた。
「おや? タヌキのすみかには、あの船で来るしかないはずだけど」
その言葉に、小さな体をさらに小さくしてびくりと震わせる。
「ノノ、君はどうやって……ああ、迷子だったっけね。じゃあ、どこからってわからないか」
困ったように笑う彼に、ノノは小さな声でごめんなさいとつぶやいた。
不思議そうな顔で振り返った優しい顔に、ノノはうなだれる。
ジーちゃんの約束も大切だったが、ミカンにウソをつくのもいやだった。
とほうにくれたとき、対岸の茂みから転がり出るクロとマル。
「ノノ!」
「ノノ、だいじょうぶー?」
草にまみれたクロとマルを交互にみつめ、ミカンはノノを押し出してやる。
驚いたように見上げてきたノノに、ミカンはにこりとほほえんだ。
「ミカンー」
「さあ、お迎えがきてくれてよかったね。人間たちがこないうちに、急いでお帰り」
ノノは、なにか言おうとして、でもなにも言えなくて。
小さな木船を押し出そうとするクロとマルを見つめていると、茂みが大きく揺れだした。
のぞいたのは、古ダヌキのジーちゃん。
「ジーちゃ!」
「あれ? ひょっとして」
ノノとミカンは同時に声をあげる。
今度はノノが不思議そうな顔をしてミカンを見上げた。
ミカンはジーちゃんを見つめていた。ジーちゃんは気まずそうに目を泳がせる。
長い事使われていない小さな木船は、小さなクロとマルでは動かせなくて、すぐにそろって音をあげた。
「もーマル、むりだよー」
「ジーちゃんもてつだってよー」
「あ、ああ。そうじゃな」
なんなく小さな木船を押し出してやると、クロとマルが飛び乗った。
静かな湖面に柔らかい波紋が広がっていく。
美しい水面がそれによって、乱反射をはじめた。
だが、小さな小船に乗ったクロとマルはそんな事には目もくれない。
鼻を鳴らして、ミカンを威嚇するように小さな牙を見せてみたり。腰がぬけそうなほど怖くても、とにかくノノを助けるために必死だった。
「クオー、マウー」
そんな事とは露知らず、ノノはのんきに手を振った。
こちらの岸辺に寄せるように、ミカンが手をのばしたときには、クロとマルは緊張もピークになり、こてんと船の上で気絶した。
「ふふ、懐かしいな。君も最初はこうだったね」
「そうじゃったかの? 腰はぬかしたかもしれんが、気絶まではしなかったと思うがの」
大きな獣は、かすれたうなり声を出す。
それを見たミカンが、白い肌を紅潮させて、楽しそうに笑った。
「ああ、懐かしい。君とまた会えて、すごく嬉しいよ。元気だったみたいだね」
「……すまんかった。ずっと友達じゃと言うたのに」
対岸でうなだれるジーちゃんに、大きく首を横に振って、ミカン色の髪を揺らした。
「いいや。こうして会いにきてくれただけでも、本当に嬉しいんだよ」
「ノノ、ノノもともだちー」
「おや、友達になってくれるのかい? 嬉しいな、またいつでも遊びにおいで」
ありがとう、とノノの頭をなでれば、気持ちよさそうに目を閉じて嬉しそうな顔をする。
ミカンの手を借り船によじのぼって、倒れたクロとマルの腹をポコポコと叩けば、やっとタヌキ寝入りをやめて体を起こした。
「……ジーちゃんの、ともだちかよ」
「えー。マル、人間きらーい」
警戒しながらも、クロとマルが口々に言えば、ノノが両手を広げてミカンを背に立ちふさがった。
「ノノも、ともだちー!」
なかなか聞けないノノの怒りの声に、クロとマルは肩をすくめる。
苦笑したジーちゃんは、ほがらかに笑うミカンに小さくうなずいた。
クロたちと同じくらいの時に見た彼と、同じ姿。同じ笑顔。
緑に愛されているようにも感じるその立ち居振る舞いに、ジーちゃんは目を細めた。
「……ああ、良かった」
そう言って、ジーちゃんは茂みへと足を向ける。
「ありがとう、カブ」
背後から、そう聞こえた気がしたが、ジーちゃんは振り返ることなく茂みの奥へと姿を消した。
「ミカン、ないてうの?」
「ああ、いや。大丈夫だよ、ノノ。さあ、今日はもうお帰り」
腕にゆるく巻かれている布で顔をぬぐったミカンが、小ダヌキたちを乗せた小さな木舟を、対岸に押してやる。
深い緑に包まれて、輝くようなミカン色の彼は手を振って見送った。
対岸に着き、振り返ればその姿は見えなくなっていた。
「また、またくうかんねー!」
不安になったノノが、高い声で一声ないた。
笑うように、期待するように。木々が優しく音をたてた。
読んでくださって、本当にありがとうございます!
これから、もっともっと頑張ります。