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中編

 何度目かの休憩の時、水を飲んでブナの根元で休んでいると、ドン、ドンと、重たい足音が近づいてきた。その正体は、大きなクマだった。クマはアライグマたちの前にやってきた。


「なんだよ騒がしい!」


「アライグマ君、と、人間!?」


「あぁそうだよ、今忙しいからどっか行ってくれ」


「あぁ、アライグマ君、助けてくれないか!」


 アライグマとアレンの前で身振り手振りをするクマ。リスたちに追われているということだった。いたずら好きのリスにとっては、クマは良いからかい相手なのだった。


「はぁ、情けねぇクマだなぁ!」


「そう言わずに……」


 アレンは、ある昔話を思い出していた。その話では、狩人から逃げるために、クマが岩のふりをするのだ。狩人はそれが岩と分からず、クマは命拾いする。


「クマさん、こっちに来て、丸まっておいで」


 クマは、アレンに言われた通り、ブナの根の前に丸くなった。アレンは丸まったクマに背中を預けて座った。アライグマもそれに倣う。アレンの考えを、アライグマも察したのである。ほどなくして、ドングリを抱えたリスたちがやってきた。ドングリをクマに投げつけて、狩人ごっこをしていたらしい。


「あぁ、これはアライグマ君じゃないか。クマ見なかったかい?」


 そう質問したと同時に、他のリスが、その隣に座る人間の男の子を見つけて声を上げた。


「人間だ!」


 リスたちの興味はその瞬間、すっかりクマからアレンに移ってしまった。なんで人間がここに? 名前は? 狩人なの? リスたちが一気に質問する。


「一斉にくっちゃべるな、やかましい!」


「ごめんごめん、悪気はないんだよ。でも、なんで人間がこんなところに?」


 リスの質問に、アレンは事のいきさつを話した。

 リスたちは、アレンの話を耳を立てて夢中で聞いた。アレンの話す話の内容もそうだが、人間の声そのものにも、リスたちは好奇心をくすぐられていた。大体話を聞き終わったところで、リスの一人が言った。


「水神様の池って、ドングリ池のことじゃない?」


「あぁ、そうかもね! あの池は、僕らの聖地なんだ!」


「年に一回行って、ドングリを投げるんだよ。もしかしたら願いが叶うかもしれない!」


 口々に話し始める。


「応援してるよ。ほらみんな、アレンにドングリをあげようよ。おい誰だ、松ぼっくりを入れたやつは。――よし、これだけあれば十分だね。全部投げ込めば、一個くらい叶うさ。じゃあ僕たちは、栗拾いに行くからまたね。今日はアライグマ君に邪魔されることもなさそうだし」


 ふんっと、アライグマを鼻を鳴らす。

 リスたちはけらけら笑いながら、あっという間に行ってしまった。アレンは袖にドングリをしまった。


「行ったかい?」


「行ったよ」


 ささやき声でクマがたずね、アレンが答えた。クマは顔を持ち上げ、リスたちがいないのを確認すると、ほうっと息をついた。アライグマが首を振って、尻尾で目を覆う。


「お前それでもクマか! 図体ばっかりでかくなりやがって、その牙は飾りか、使わねぇならそんな爪引っこ抜いちまえ」


 アライグマのあんまりな言い草に、アレンは思わず笑ってしまった。アレンの知っているクマは、凶暴で恐ろしく、銃で撃たれても簡単に死なない、そういう猛獣である。ところが、この森のクマはそれとは正反対の、気の優しいクマなのだった。


「人間にもいろんな性格があるし、向き不向きもあるんだから、落ち込むことないよ」


 アレンの慰めに、クマは大きな感動を覚えた。

 臆病だの、弱虫だのと散々言われてきたが、慰めてもらうということはほとんどなかった。


「アレン君、君は、弱いクマでもクマだと思うかい?」


 クマの質問にアレンは答えた。


「クマはクマだよ。僕は目が見えないけど、大きいんだろう? でも大きいからって、威張り散らすのは、本当の強さじゃないって、お父様が言ってたよ。時には戦うことも大事だけど、戦う時に戦うのが男だって。戦う必要がない時に戦うのは、真の強さじゃないって」


 アライグマもヘビも、そしてクマも、アレンの言う事に耳を傾けていた。アレンの言うことは、他のどこでも、聞いたことがなかった。森には、そんな考えはなかった。


「アレン、君の力になりたい。ついていってもいいかい?」


 クマの申し出に、アレンは笑顔で頷いた。




 歩くたびに、アレンの熱は上がって行った。

 昼間を過ぎた頃には、歩くのもままならなくなり、歩けなくなったアレンをクマがその広い背中に乗せて進むことになった。その頃には、アレンの手は肘のところまで、足は膝のところまでが、黒くなっていた。


 明日、明後日の命――。

 昨夜のフクロウの言葉が、アライグマに呪いのように伸し掛かった。まだ着かないのか、まだ着かないのかと、アライグマは何度も大蛇にたずねた。そのたびに大蛇は、「もう少しだ」と答えるのだった。しかし、いくら進んでも水の音や水草の匂いもしてこない。


 日が落ち始め、森も寒くなってきた。

 夕日は沈む直前に、その最後の命を燃やすようにカっと赤く燃え、森を照らした。その夕日も、やがてあっけなく沈んでゆき、夜行性の猛禽が嘴を鳴らす音や、オオカミの吠える声が森に響き始める。


 夕日の残した残光が微かに残る森の中を、アライグマたちは進んだ。

 そしてふと、アライグマは歩みを止めた。鼻を上に向けて、匂いをかぐ。

 水草の匂いが、微かに漂ってきた。クマもちょうど、同じ匂いをかぎ分けていて、アライグマと顔を見合わせた。


「アレン、もうちょっとだ! 男だろ、頑張れよおい!」


 クマの上のアレンは、伏せるようにクマの首に抱き着いていたが、アライグマの声に顔だけを傾けて、頷いて見せた。アライグマは天を仰いだ。生まれて初めて、神様を信じたくなった。


 アライグマたちが再び歩き出そうとしたとき、後ろから、低い唸りのような声がした。


「どうしてここに人間がいる」


 暗がりの中から、声の主が姿を現した。

 かぼちゃ色に黒縞模様の毛。見ただけで獲物を硬直させる黄色い目に、太い足――トラである。狩人はトラを獲物にするが、この森では、狩人がトラの獲物になる。


 トラの姿を見ただけで、クマはただでさえ短い尻尾をさらに丸め、身体を縮こませた。アライグマは、そんなクマを蹴飛ばし、トラの前に出た。


「人間がいちゃ悪いのか?」


「人間は、シカやイノシシよりも先に喰う決まりになってる。そうだろう、クマ」


 クマはふるふると震えて、トラと目を合わせない。

 トラは、嘲るようにクマを見据えた。


「哀れなものだな、人間を背に乗せるとは。次は曲芸でもやらされるのか?」


「おいトラ公、生憎俺たちは、おたくらが決めた『肉のルール』なんて知らないし、関係ないんだよ」


 アライグマは、何倍も体の大きいトラにも物怖じしなかった。

 トラの黄色い目が、今度はアライグマに向けられる。


「人間の次は、お前だ、アライグマ」


「へっ、そんな脅しが通用するかよ。ここはお前の森かもしれないが、俺の森でもある。牙が鋭けりゃなんでも思い通りになるなんて思うなよ」


 アライグマは全身の毛を逆立てて、前足を屈めた。

 トラは鼻を鳴らし、それから、今度はアレンに向かってたずねた。


「どこへ行くつもりだ、人間」


 トラの質問に答えたのは、大蛇だった。


「水神様の池に行く」


 そこで初めて大蛇の存在に気付いたトラは、微かに退いた。トラにとってこの中で最も手ごわいのは、威勢のいいアライグマでも、憶病なクマや銃も持たない瀕死の人間ではなく、大蛇だった。


「水神などいない。いたとして、どうして人間を助ける」


 トラはそう言うと、突然声高に笑った。

 その恐ろしい笑い声は、木々に反響して、小動物たちを震え上がらせた。


「気づいているだろう。その人間から匂う、死の匂いを。それはもうじき死ぬ」


 アライグマは、きゅっと口を結んび、短く言った。


「だったら放っておけ」


 トラは微かな笑みを浮かべ、答えた。


「それはできないな」


「偉そうにしている割には、随分小せぇことを言うじゃないか」


「見つけてしまったのだから、人間は喰わねばならん。トラは、死肉を好まん」


 トラはそこで初めて、両足を曲げた。

 アライグマは覚悟を決め、トラを睨みつけた。

 トラとアライグマの視線がぶつかり、その間が、少しずつ縮まってゆく。


 ――ある瞬間、がさがさっと、トラの背後で大量の葉が落ちる音がした。

 その音が、狩人が茂みから出てくる音に似ていたため、トラは咄嗟に、自らも茂みの中に身を隠した。


「今です、逃げて!」


 どこからともなくそんな声がした。

 しかし今は、その声の主が誰かよりも、その声に従う事の方が大事だった。


「逃げろ逃げろ! クマ、早く走れ!」


 アライグマはそう叫び、クマの横っ腹を蹴飛ばした。

 クマは我に返り、慌てて走り出した。


「待て、人間ども! この爪で八つ裂きにしてやる!」


 トラは吠えながら、アライグマたちを追いかけた。

 次第に、トラが追い付いてくる。もう、追い付かれるのは時間の問題だった。アライグマは、今度こそ戦うしかないと、止まって振り向いた。――迎えうつしかない。


 トラは、アライグマに突進した。

 アライグマは身構える。トラの口が大きく開き、その鋭い爪がむき出しになる。


 その時、さきほど「逃げて」と言った声が、また、どこからともなく聞こえてきた。


「トラさんトラさん、こっちですよ!」


 トラは、爪を出したまま、声の主を探した。誇り高いトラは、自分を騙した相手がいるなら、それを見つけて、倒さないことには気が済まない。


「貴様は誰だ、姿を見せろ」


「私はさっきからいますよ。トラさんが見つけてくれないだけでしょう」


 トラは。おちょくられているのに腹を立て、鼻息を荒げた。


「それでは、クイズをしましょう。一問でも当てられたら、トラさんの立派な爪の前に姿を現しましょう。いいですね?」


「ふざけるな、俺はお前とのお遊びなんぞ――」


「全部トラさんに関する問題ですよ。トラさんは、自分のことがよくわかっているでしょう? それとも、自分のことなのに、答えられるか不安ですか? だったら別の――」


「俺が、不安だと?」


 トラは、静かに言い返した。

 声の主は木陰から、その白い口元に浮かんだ笑みを小さい前足で抑えた。


「俺がいつ不安と言った。俺は、不安など感じたことはない!」


 トラは叫ぶ。

 するとその足元に、細い根っこが音もなく這い寄ってきた。しかしトラは気づかない。


「そうでしょうとも、そうでしょうとも。トラさんは、狙った獲物は絶対に逃がさない、狩りの名人ですからね。でも、本当は一回くらい失敗したこともあるでしょう?」


「ない! 俺は、狙った獲物を狩り損ねたことなど、一度もない!」


 トラの足元に、さっきよりも多くの根っこが集まってきた。


「ほぉ、それはすごい。やっぱりトラさんは強いですね。でも、人間と比べたらどうですか。あの鉄砲より速く動くことなんて、できないでしょう?」


「鉄砲など、どうということはない! 俺は狩人の撃った弾などは、全て避けることができる!」


 根っこは、トラの前足に、後ろ脚に絡み始めた。

 しかしトラは、腹をたてているのと、質問に答えるのに必死で気づかない。


「さすがトラさん、そうでなくちゃ。でもその爪はどうですか。樵の斧は鉄というものでできていて、頑丈だし、鋭いと言いますよ。トラさん、鉄を知っていますか?」


「と、当然だ! テツくらい、知っている!」


「そうですか! ではその、鉄で作られた斧とトラさんの爪、どっちが丈夫ですかね?」


「俺の爪に決まっているだろう!」


「どっちが良く切れますか?」


「勿論俺の爪だ!」


 根っこはすでに、トラの首や腹にも巻き付いていた。

 しかしトラは、すっかり興奮していて、根っこが体に巻き付いていることなど、全く気付かないのであった。


「さすがトラさんです。では最後の質問です。この森にはホラブキという木があるのを知っていますか?」


「も、勿論だ!」


「そのホラブキ、面白い木で、その木の近くで嘘をつくと、根っこが嘘をついた動物に絡みつくんですよ。そのホラブキがたくさん生えている広場があって、私たちは簡単に‘根っこ広場’なんて呼んでいるんですけど――」


「なんだ、俺がすべて答えてしまって、もう質問がないか? 往生際が悪いぞ、早く出てこい」


「いえいえ、質問は次が最後です。トラさんは力も強いでしょう? だからその、ホラブキの根が絡まってきても、当然どうってことなく、引きちぎることはできますよね?」


「当たり前だろう。俺が、植物なんかに負けるわけがない!」


 トラが言い切り、沈黙が流れた。


「おい、早く出てこい! 俺は答えたぞ!」


「いえいえ、トラさん。当たりがあったら出ていく約束でした。だから私は、今日はこれで引き上げます」


 それを聞いたトラは怒り狂った。

 背筋を伸ばし、思い切り吠えてやろうと思った。ところが、できなかった。全く身動きが取れないのだ。トラは、すでに体中根っこに押さえつけられていて、尻尾を動かすことさえ難しい。


「こんなもの!」


 トラは体中の力を漲らせたが、根っこはびくともしなかった。自慢の鋭い爪も、これまでたくさんの獲物の肉を骨ごと砕いてきたその牙も顎も、根っこには通用しなかった。


「一晩かけて答え合わせをしてください。ちゃんと本当のことを答えられたら開放してくれますよ」


 声の主はそう言うと、唖然とするアライグマの手を引いて、クマの後を追った。根っこと格闘するトラから離れながら、アライグマは突然やってきて、自分たちを助けてくれたその動物の正体を見た。黄色い毛、ふんわりした尻尾、口から胸のあたりまでが前掛けのように白くなったその小さな動物は――キツネだった。


「キツネじゃねぇか! どうして俺たちを――」


「昔、人間に助けられたことがあるんです。まだ葉っぱを自由に使えない頃、怪我をした私を、人間の子供が助けてくれたんです」


「あぁ、それでお前さん、人間の味方をしてたわけか」


 森で唯一、人里まで出向いて行くのが、このキツネだった。森の中では、人間に媚びを売って餌をもらっていると、キツネはいつも批難の的である。アライグマも、キツネは嫌いだった。姑息で、陰湿で、じめじめした奴――そういうふうに思っていた。しかし今、アライグマにとってキツネは、命の恩人であった。


「恩に着るぜ、助かった」


 キツネはアライグマに笑いかけ、小走りで池に向かった。

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