一章 飼い主と飼い猫 ⑥
新人賞の応募原稿で、最初から最後まで、毎日少しずつ上げていきます。
ホームルームが終わり、この日は終業となった。
ショコラがビアスの席に来る。
「ビアス、帰ろう」
「そうだな」
「良かったら、この後食事でもしないか」
ビアスはアーニャの席を一瞥した。彼女の姿が見えない。
鞄もないので、もう教室を出てしまった後のようだ。
「悪い。今日はやめとくよ」
「そうか。急な誘いだし、仕方ない」
ショコラが躊躇いがちに、
「一つだけ聞いていいか」
「なんだ?」
「アーニャはどんなやつなのだ?」
ビアスの様子を窺うようにおずおずと尋ねた。
「アーニャのこと、気になるのか」
「私にとっては、新しい友人だ。アーニャ自身に思うところはない。私が気になるのは、ビアスの目にアーニャがどう映ってるのかだ」
ビアスはひとしきり考える仕草を見せてから、
「何かとてつもない力を秘めている気がするんだよ」
「可能性、という意味か?」
「どうだろうな。分かんねぇけど、まぁ、悪いやつじゃないよ」
ちょうどそのとき、何人かのクラスメートたちがショコラのところにやって来た。
「シンクレアさん、良かったらこれからどこかでお話しませんか?」
ショコラとお近づきになりたいらしく、声をかけてきた女の子を筆頭に、人集りができていく。
ショコラが快く頷き、
「構わないぞ。私も皆と話がしたい」
にっこり微笑むと、一斉にクラスメートたちに囲まれてしまう。ビアスは立ち上がり、
「じゃあな、シンクレア。また明日」
「あぁ。気をつけて帰るんだぞ、ビアス」
ショコラと別れの言葉を交わし、ビアスは教室を後にした。
中庭は食堂と隣接している。
色とりどりの花壇と綺麗な芝生、そして白い丸テーブルと付属のチェアがある。
そのチェアの一つに、ちょこんと座るアーニャ。
肩を落とし、ただでさえ小さな体が、より一層コンパクトになってしまっている。
アーニャの頭に、一人の少女の姿が思い浮かぶ。
ショコラ・シンクレア。
背が高くて、手足も長くて、かつ魅惑的なラインも持っている。
女の子なら誰もが憧れる理想のフォルム。
まるでモデルみたいだった。
しかも、軍に認められ、〈グロリア〉にも所属しているなんて。
才色兼備とは、彼女のためにある言葉なのかも知れない。
一方、私はどうだ。
幼い頬や、小さな手。
チビで、矮躯に不釣り合いな大きな胸。
バランスの悪い体だ。
シンクレアの言葉が蘇る。
――妹がいるなんて知らなかった。
ある考えが、頭をもたげている。
シンクレアは、私に無いもの全部持ってる。
どっちにするか決めろ、と先生がいったとき、もし私が席に戻らなかったら、ビアスはどう答えたのだろう?
考えるまでもない。
誰に聞いたって、誰が考えたって――。
二人はどういう関係なのだろう。
未来の新妻という言葉が、ずっと引っかかっている。
――もう、いい。
どうだっていい。
ビアスとシンクレアがどんな仲だって、私には関係ないことだ。
きっと、今頃一緒にお昼ご飯でも食べているのだろう。
同じテーブルで二人楽しく、新しいクラスのことや、これからの学校生活のことをお喋りしているのだろう。
「だから、私には関係ないって」
「何が関係ないんだ?」
気が付くと、すぐ正面にビアスが立っていた。
アーニャは目を丸くして、黙ってしまう。
「だから、何がお前と関係ないんだよ」
「こ、こっちの話よ。それより、何でここだって分かったの?」
何とか声を出して、疑問に思ったことを聞いた。
「隷属契約のおかげだよ。支配者は、配下の魔力を探知できるんだ。だから俺は、お前がどこにいるか分かる」
「ストーカー」
冷たく言い放ち顔を背けたアーニャは、しかしすぐにビアスを一瞥し、
「何しに来たのよ」
「何って、一緒に帰ろうと思って」
事も無げに答えるビアスに対し、アーニャは緩みそうになった唇に力を入れた。
「あの子はいいの?」
「シンクレアか? 食事に誘われたけど、断った」
「何でよ? いいの? 未来の新妻なんでしょ」
若干皮肉めいた響きを感じたのか、ビアスは呆れた声で、
「お前、何か勘違いしてないか」
「勘違いって?」
「俺とシンクレアは、別に何もない」
アーニャの口端がぴくっと微動した。
「あんなに綺麗なのに?」
「だからだよ。俺もあいつは美人だと思う。〈グロリア〉にも入ってるし、凄いやつだ。だからこそ、俺みたいなだらしないやつには勿体ない。アーニャもそう思うだろ?」
「そうね。その通りだわ」
我慢せず、口唇を綻ばせるアーニャ。
私のところに来てくれた。
今だけだったとしても、私を選んでくれた。
「アンタみたいなどうしようもないやつ、話し相手になる女の子なんて私くらいよ」
「そうだな。ペットの遊び相手になるのは、飼い主の務めだからな」
「ペットって言うな!」
アーニャはチェアから腰を上げ、
「からかった罰として、ショートケーキ奢りなさいよ」
「はいはい。じゃあどっか店行くか」
ビアスとアーニャは、四方山話をしながら、ケーキ屋へ向かった。