一章 飼い主と飼い猫 ④
新人賞の応募原稿で、最初から最後まで、毎日少しずつ上げていきます。
アレグリア帝国魔術学校は、国立の魔術教育機関だ。
通称〈アカデミー〉。
帝国内にいくつも点在し、現代魔術を初歩から上級まで、広い範囲で学ぶことができる。
三年制で十五歳から十八歳までの学生が在籍し、前期、後期の二期制で、大別して座学と実技演習を修める。
〈アカデミー〉は国費で運営されている。
優秀な魔術師を育成することが目的であるため、素質や素養を持つ子供が経済的な理由で教育の機会を失うことは、帝国としての損失になるからだ。
この理念こそが、魔術先進国となった基盤だと言える。
〈アカデミー〉が輩出した魔術師たちは、魔術の社会運用に大きく貢献している。
アレグリア帝国は現代魔術の活用という点において、近隣諸国よりも一日の長があり、その功績は帝国内だけでなく、他の連合国にも知れ渡っている。
ビアスとアーニャが入学するのは、〈アカデミー〉ローレル校だ。
荘厳な造りの校舎は、高い壁に囲まれ、その威容を誇示している。
また魔術的なセキュリティも完備され、夜間は魔術錠がなされ、昼間は事前に許可された場合を除いて、関係者以外の立ち入りが禁止されている。
開閉式の鉄柵の正門の前に、「入学式」と書かれた看板が立っていて、二人が到着すると、新入生とその家族でごった返していた。
和気あいあいと団欒をしたり、写真を撮り合ったりしているようだ。
敷地内は手入れされた敷石と庭園があり、その一角に構内の見取り図がある。
ビアスはそれをざっと眺めた。
アーニャもつま先立ちをしながら見上げる。
校舎は一年生校舎、二年生校舎、三年生校舎、特別棟、後は食堂とか中庭とかグラウンド、少し離れたところに大きなイベントで使われる第二グラウンドなどがある。
入学式は、大実技室で催されるらしい。
実技室とは、魔術の実技の授業で使用される部屋のことで、式典で使用される実技室も含めた、広さが必要な授業で使われるような規模だと、大実技室と呼ばれる。
ビアスは式典が行われる大実技室と、一年生校舎の場所だけ確認し、早々に歩き出した。
見取り図に見入っていたアーニャは、慌ててトコトコとついてくる。
会場に向かっていると、近くから少女の声がした。
「ビアス!」
声がした方を向くと、高身長で、さっぱりとしたショートカットの美少女が駆け寄ってきていた。
一つのくすみもない純白の髪が踊っている。
凛々しく光る翠玉の瞳を輝かせ、ビアスの前までやって来る。
スレンダーで、かつ女性らしい曲線も持つ、均整のとれたモデル体型だ。
全体的にハイレベルだが、その中でも特に目を引くのは、タイツに包まれたすらりとした長い脚だろう。
この瞬間も、男女問わず多くの新入生の視線を集めている。
「シンクレアか」
シンクレアと呼ばれた少女ははきはきとした口調で、
「おはよう。良い朝だな」
「おう。入学式はだるいけどな」
「まぁ、そう言うな」
シンクレアは可笑しそうに笑った。
「お前のことだから、遅れてくるかも知れないと思って、式が終わってからゆっくり探そうと思っていたんだが。こんなに早く会えるとは、これは僥倖と言っていい」
「さすがに入学式に遅刻しねーよ」
喜色満面の彼女を見ていたアーニャが、ビアスに聞く。
「誰?」
「ちょっとした知り合いだよ。中学は違ってたんだけどな。〈アカデミー〉で一緒になるってのは聞いてたんだが、こうして実際に学校で会うとやっぱり新鮮だな」
「ビアスと同じ学校に通えると知ってから、私は本当に楽しみにしてたんだぞ」
親しそうに話す二人を前に、アーニャはわずかに不機嫌そうに唇を尖らせている。
一通り会話したシンクレアが、アーニャに向き直る。
「でも、まさかビアスに妹がいるなんて思わなかったぞ」
「妹じゃないわよ!」
吊り目をさらに吊り上げて怒るアーニャは、ぐっと一歩近づき、
「制服着てるでしょ!」
「敬愛する兄と同じ制服を着てみたかったのだろう?」
「違うわよ! 生徒よ! ここの! 私も新入生よ」
審議を確かめるため、シンクレアがビアスに視線を向けると、
「本当だよ。俺、妹いねーし」
シンクレアはこの証言によって信じたようだ。
「これは失礼した。私はシンクレアだ」
アーニャに握手を求める。
「どうも。アーニャ・アルカナよ」
握手を交わし、シンクレアが笑いかけながら、
「アーニャと呼んでもいいか?」
「別にいいけど。あなたフルネームは?」
「えと、その……」
シンクレアがと、びくっと震える。
「シンクレアってファミリーネームでしょ? ファーストネームは?」
「…………むにゅむにゅ」
もじもじと言い淀むシンクレアを見て、アーニャは小首を傾げている。
見かねたビアスが口を挟む。
「こいつファーストネームはショコラっていうんだけど、恥ずかしいからファミリーネームのシンクレアって呼んでほしいって、出会う人皆に言ってるんだよ」
「何よ、それ」
アーニャが眉をひそめて、シンクレア――ショコラに視線を向けた。
ショコラは頬を上気させ、目を伏せている。
「コンプレックスなのだ。……ショコラなんて可愛らしい名前、私には似合わない」
「別にそんなことないと思うけど」
「いいや、気を遣ってくれてるんだろう? アーニャも、どうか私のことはシンクレアと呼んでくれ」
アーニャは仕方ないという風に頷き、
「分かったわ、シンクレア」
「ありがとう。助かるぞ」
安心したのか、シンクレアは表情を緩めた。
「ところで、二人はどういう関係なのだ? 同じ学校だったのか?」
今度はアーニャが動揺を見せる。
ビアスとの関係については、共同生活のこと、そして隷属契約のことといった、秘匿すべき事柄があり、それらを知られてしまったらどうしようという思いのせいだ。
「私はこの春からローレルに引っ越してきたから、学校が同じとかじゃないわ」
「じゃあ何故ビアスと知り合いなのだ?」
「それは、その……」
口ごもってしまうアーニャに、ビアスが助け舟を出す。
「親戚なんだ。俺達の親が兄弟、所謂従兄弟だ。こいつがローレルで生活して、〈アカデミー〉に通うことになったから、俺が面倒見てるんだよ」
もう〈アカデミー〉にビルシュタインとアルカナのファミリーネームで登録してしまっているため、兄妹ではややこしくなってしまうが、従兄弟くらいの関係性なら通せるだろうという考えだ。
「なんだ、そうだったのか」
ショコラは納得した様子だ。
「アーニャ、仲良くしてくれ。同じクラスに配属される可能性だってあるし、もしかしたら良い縁になるかも知れないぞ」
「そうね。よろしく」
三人の周囲では新入生たちが慌ただしく、入学式の会場に向かって歩き出していた。
ビアスがその人の流れを眺めながら、
「そろそろ行くとするか。話し足りないなら、後で会えばいいんだし」
「ビアス、あの、その」
ショコラがビアスを呼び止めた。心なしか、もじもじとし始める。
「わ、私の制服姿はどうだろうか。やはり私にスカートなど似合わないだろうか」
不安そうに、上目遣いに見つめてくる。
「そんなことねぇよ。よく似合ってると思うぞ」
新入生向けの学校案内のパンフレットに、来年から彼女の制服姿が採用されても、誰も不思議に思わないだろう。それどころか、入学者数が飛躍的に増えそうだ。
「すげー可愛い」
ショコラは、「か、かわ」と痙攣し始める。
そして、両手で真っ赤になった顔を覆い、その場でへなへなと蹲ってしまった。
「可愛いとか、言っちゃダメだ。立てなくなるだろう」
「何してんだよ。式始まるぞ?」
ショコラは立ち上がれず、「うぅ~」と呻いている。
「しょうがねぇなぁ」
ビアスは彼女の腕を取って、立ち上がらせる。肩を貸しながら、
「おい、アーニャも手伝えよ」
「知らない」
アーニャは刺々しい声音で言い捨て、一人でさっさと会場に歩いて行ってしまった。