青天の霹靂 上
幼馴染みに泣きつき、励まされ、立ち直り。
家まで送っていってくれ、料理も作ってくれ。
一方僕はその庇護を受けるばかりでなにもできない。
男なのになにもできないなんて情けない。でもこの身を委ねるのは楽だからつい甘えてしまう。
甘えとはなにかしら悪いものかもしれない。
だってこの後しっぺ返しが来たんだから。
これから幼馴染みのことを愛と呼ぶことにしよう。
愛に抱きついた状態のまま家へと戻る。
昼間からそんな状態で歩いている男女二人組は当然道行く人の視線を集めるわけで。
僕は彼女を独占しているような心地に溺れていて注目されていることに気づかなかったけれども、後日愛から聞いた話では大体の人がすれ違うときに見てきたらしい。
彼女がそれを恥ずかしく思っていたかどうかはわからない。しかし、本当に嫌だったら、その時やめてと言っただろう。その時の僕がひどく落ち込んでいたから強く拒絶できなかった可能性もあるけど。
でも、僕が抱き締める力を強くすると、彼女は僕の手をぎゅっと握ってきた。
愛が寄り添ってくれている。そんな感覚が心地よかった。
「最初外へ出たとき、『なんでこんなに空が青いんだろう。僕がすごく傷ついているんだから鉛のように重い空であってほしかったのに』って思っていたんだよね」
家へと戻る道中、愛に話しかける。彼女は背後からの声にくすぐったそうに首を動かして言う。
「ただの八つ当たりじゃない」
手厳しい。
「うっ・・・・・・」
「でも、『思っていた』のなら今は違うってこと?」
訂正。彼女はたしかに手厳しいが、ちゃんと話を聞いてくれるし、話を広げてくれる。とても優しい。
「うん。なんかこう、世界に色々な人がいて、誕生日だから今日が幸せっていう人もいれば、僕みたいに最悪の日だっていう人もいるから・・・・・・ごめん、わかりづらいね」
「いいわよ。続けて」
「ありがとう。それで、もし今日が曇っていたら、もし今日が嵐だったら、幸せに思っている人たちは悲しむだろうから、今日は晴れてよかったんだなって」
「あら、人類の幸せを願うだなんていつの間に教祖になっていたの。かけて欲しい言葉は何?アーメン?南無阿弥陀仏?」
「いやいや、宗教じゃなくて詩的だといってもらいたいけど」
「理系の分際で何をいうか」
愛のつっこみでお互い笑いあう。
他の人からすれば他愛ない、しょうもない会話かもしれないが、僕にとっては彼女と知り合いであるという、大袈裟に言えば関わりを持っているという証明のようで、形はないが大切なものだった。まさに無形文化遺産。
彼女に心も身体も支えられながら歩くこと十数分。家の前に着いた。行きはお店に着くまでの時間が吐きそうになるくらい長く感じた。3月初めの柔らかな陽気は突き刺すように熱く痛く、まるでバターン死の行進のようだった。しかし、帰りは本当に同じ道筋を通ったのかと思うほどあっという間だった。心理状態と時間感覚には何らかの関係があるのだろうか。そういえば、アインシュタインは小さい子供に相対性理論について問われた際、君が好きな女の子と一緒にいるとき時間が短く感じるように観測者によって時間経過は異なるんだよ、といって説明したらしい。あれ、これじゃあ、まるで僕があいつのことを・・・・・・。
ピーンポーン
間抜けなインターホンの音が僕の考えを妨げた。
「はい?」
「どうも、お久しぶりです」
「あら、愛ちゃん。久しぶりねぇ。上がっていらっしゃい」
「すみません。お邪魔します」
愛が礼をしたので背負われている僕は背負い投げのような形で浮き上がる。
・・・・・・あれ?この流れってもしかして。
「えっ、うち来るの!?」
「もう来てるじゃない」
「いや、そうじゃなくて上がるの?」
「上がっていいよって言われたからね」
「そうですか・・・・・・」
「なによ、嫌なの?」
「いや、嫌ではないけど・・・・・・」
君を家に入れるのはなんか恥ずかしいんだよ、そう続けようとしたときガチャリと玄関のドアが開く。
「はーい。いらっしゃ・・・・・・い?」
母親が来客用の笑顔を顔に張り付けたまま数瞬固まった。家の掃除ができてないから、突然の来客で困っているのかな、なんて思ったが、愛を後ろから抱き締めている僕の腕に向けられた母親の視線と、それに気づいて慌てて腕を振りほどいて下を向いた愛の反応からしてそういうことではないらしい。
「あなた達、まさかその格好で帰ってきたの!?」と訴えてくる母親の視線を二人で華麗にスルーパスして家へ入る。愛が家に来るのって何年ぶりだろう。小学生時代は家が近かったのに中学に入ってあっちが引っ越しちゃったから、家に遊びに行くにはバスに乗らないと行けなくなっちゃったんだよなぁ、と回想に耽っていたが、よく思い出してみると愛と遊ぶことはあっても、お互い家にお邪魔するみたいなイベントは全くなかった気がする。わぁ、ありもしない過去を懐かしむなんて恥ずかしい。2メートルくらい穴が掘れそうだ。
そんな僕をよそに両親と愛の間では「久しぶり」「お久しぶりです」「もうお昼だし昼食でも」「ありがとうございます。せっかくだし手伝いますよ」「あら、嬉しいわねぇ」というように話がまとまったようで、昼食の準備に取りかかっていた。母親がスパゲティーを茹でる隣で愛がソースを作っている。トマト缶と挽き肉の良い香りがする。どうやら作っているのはボロネーゼのようだ。
「いやー、お前は良い友達を持ったな」
キッチンを見ながら父親が言う。
「?」
「さっきと顔色が全然違うぞ」
「そうかな?」
「言われてみればそうね」
母もスパゲティーを茹でながらこっちを見て言う。
「血の気が出てきた感じがするよ」
父にそう言われて顔をペタペタ触ってみると確かに冷たかった顔が人肌程度には温かくなっているのが分かった。
「ほんと大変だったんですよ。家から出てきたときこの世の終わりみたいな顔をしていて」
「その状態からここまでに回復させられるなんてすごいわよ」
うんうん、と父親が首肯する。
そうですか~、ありがとうございます~なんて照れている愛を見るとなんだか恥ずかしくなってくる。心臓がむず痒い。
「はい、出来たわよ」
「お、これは美味しそうだな」
「『美味しそう』じゃなくて『美味しい』わよ。私と愛ちゃんが作ったんですもの。当然よね」
「そうですね。うふふ」
なにが「うふふ」だ、お前普段はそんな風に笑わないだろ、なんて文句は心にしまう。
まあ、確かに良い匂いもして美味しそうだし、なにより泣いたせいでお腹が空いているから食べるとしよう。
「「いただきます」」
ボロネーゼはとても美味しかった。
ゲームやアニメなら母親あたりが「こんな子がお嫁さんだったらねぇ」と言って女の子を照れさせるみたいな萌えシチュエーションがあるけれども現実ではそんなことはなかった。
残念。・・・・・・なのか?愛がお嫁さんとは想像ができないからそんなでもなかったりするかも。
結局僕はおかわりして計二皿食べた。愛が半分手伝った料理を二皿食べたので実質彼女の手料理を食べたことに等しい。お腹が満たされたのとは別の満足感に浸れた3月のある午後だった。
久しぶりです。2週間振りくらい、いやそれ以上かも。まあ、閲覧する人がいないのだから「何やっていたんだ!」なんて気にする人も居ないのでしょうけど報告だけ。
書くのに飽きました。
覚悟はしていたけど、誰も見てくれないのはやっぱりキツイかも。モチベーションが保てなかったり。確かに最初は自分の所信表明みたいなところから始まったけど、記憶を思い返すと「これ面白いんじゃない?」みたいに思える場面はたくさんあったわけで、それを書いたら面白いかなーって思った。けど、全然面白いわけでもなく、物を書くことが初めてだからうまく表現もできないどころか日本語さえ怪しいし。自己嫌悪。
嘘です。
二日遅れのエイプリルフール。
浪人するか後期のY大学に行くかつい先日まで迷っていてわけで。
結局浪人することにしたのですが、その葛藤も後に書こうかなって。
でも、表現力が無さすぎて読みづらいし、日本語も崩壊して読みづらいしで自分を磨かなきゃと思っているのは事実だったり。
悔しい気持ちは消えてない。
頑張ろう。