溜め息の中の幸せ
これを書くこと以外、なにもしたくない。
朝が寒いから暖房をつけた。
それでも寒いから布団にくるまった。
そうして時間がたっていく。
時は金なり。
ならば僕は一体どれだけのお金を無駄にしてきたのだろう?
また自己嫌悪。
暇だ。
いや、明日の後期試験に向けて勉強しなければならないのだけれど。
気力が湧かない。
ほんの2、3週間前まではお昼ご飯を食べることすら忘れて励んでいたというのに。
目標が遠ざかったからなのか、気分が落ち込んでいるからなのか、はたまた別の理由があるのか。
後悔の念がとめどなく溢れてくる。
もっと早く勉強に集中していれば。わからないところを強がらず、正直に質問していれば。試験当日、数学をしっかり見直しをしていれば。
そんなタラレバなんて終わった以上意味のないことだ。
それはわかっている。わかっているんだけど飲み込めない。
選択を誤ったのは過去の自分であって、今の自分とは違う、なんていうけれど、僕は過去の自分が現在の自分を形成しているのだと思う。
だから、自分が嫌になる。失敗した自分が残っているから。
確かに人間は間違いをおかす。その上でその間違いからどうすればいいよかったかを考え、次に生かすのが賢い人のやり方だ。
僕はそれができない。
次に繋げようとするのではなく、過去を振り替えって自分を嫌いになるのだ。
今まで何回自分が嫌になったのだろう?
何度自分を殴っただろう。
自分を嫌いになる度、罵りの言葉を求める。自分を客観的に見てバカにして自分を慰めたいから。
アホだとか生きる価値がないとか死んでも全く影響はないよとか。
でも、皆優しいからそんなことは面と向かって言わない。
だから自分で自分をけなす。
でも、やっぱり心ない言葉には傷ついてしまう。
本当に僕はめんどくさい。
ごめんなさい。
とりあえず謝ってみる。誰に対してなのかはわからない。何をしたことについてかもわからない。
全くスッキリしない。溜め息ばかりでる。
「溜め息をすると幸せが逃げる」とよく言われる。今の僕には逃げる幸せがないから、それは嘘だと思った。だけど、それは間違いだった。
考えてみよう。
熱い物を冷ましたいとき人は「ふぅ」と冷たい息を出す。
一方、寒いとき人は手を口に近づけて「はぁ」と暖かい息を口から出す。
人は冷静さを取り戻したいとき、深呼吸をする。「すぅ」と息を吸って「ふぅ」と吐く。そのときの息は冷たい。
一方、人は落ち込んでいるとき、溜め息をつく。
「すぅ」と息を吸って「はぁ」と吐く。そのときの息は暖かい。
暖かい空気は軽いし、冷たい空気は重い。
だから、暖かい空気は上へいき、冷たい空気は下へいく。
じゃあ人の気持ちは?
楽しく感じているときは身体が軽いし、悲しいときは身体が重い。
つまり、希望は暖かいし、不安は冷たい。
それならば「ふぅ」と出した冷たい空気に含まれるのは不安なのではないか?
人は落ち着くために不安を息にのせて体外へ放出しているのではないか?
じゃあ、溜め息は?
「はぁ」と出した暖かい空気に含まれているのは期待ということになる。
人は悲しいとき期待を息にのせて捨てているのだ。
だから、「溜め息をすると幸せが逃げる」なんていう。
幸せになりたいときにわざわざ自分からそれを逃がすなんて何とも皮肉なものである。
でも、それならば。
溜め息をつくとき人は何かしらの期待や希望を持っていることにる。
そのストックが切れたとき人は溜め息をつくのをやめて、希望を持つのをやめる。
その先は考えたくない。
とりあえず僕は今希望をもっているらしい。
さぁ、勉強しよう。
そういえば、小学校の頃、悲しいことがあって溜め息をついたら隣にいた女の子がすぅ、と大きく息を吸って「幸せゲット~」なんて笑っていた。つられて僕も笑顔になった。
それが僕の初恋の相手だった。