入り混じる感情が擦り合わされ舞い落ちた種火
こんなものは異世界系のライトノベルが流行る昨今、誰も読んでくれないだろう。
それでもいい。
これが僕の決意表明だ。
空が青いのが憎い。カラスが鳴くのが憎い。タイムラインでの合格報告が憎い。
何にも、誰にも非はないのに憎んでる自分に嫌気がさす。
変に気を使う友達に嫌気がさす。
なんでこんなのものを書き始めたのだろう?
目立ちたいから?それとも慰めの言葉がほしいから?
正直自分でもわからない。
いや、心という容器がドロリとした重油で満たされたような、世間に知られることのないであろうこの気持ちと、不可視の手が口から侵入し胃袋をむんずと掴まれるような不快さと息苦しさ、そして549もの番号の中に自分を示す番号がない無念さ、うちひしがれた思い、自身への失望。これらの負の感情を誰かが見つけ、味わい、黒く染まっていくのを仲間をみる目で嘲笑いたいのかもしれない。
僕はまだ18歳だ。
こんなことで絶望していてはこの先、もっと辛い出来事が起きたときどうするのか、しっかりしろ、と人生の先輩方は仰ってくれるだろう。
だが、違うのだ。
絶望とは目標に向かって精一杯努力したが夢破れた人がするものだ。
では、僕はこの3年間何をしていた?
1年生の時は皆が遊んでいたから、Youtubeやスマートフォンゲームの合間の少しの勉強でも上位には入れた。
2年生になり選抜クラスというものができた。それは学期毎に入れ換えがある成績上位者専用クラスだった。
成績上位だった僕はそこへ入った。当然だと思った。選抜クラスに入れなかったやつより僕は頭がいいのだ、と優越感に浸った。
しかし、夏休みが始まると皆ゲームや放課後のサッカーをやめ勉強に集中し始めた。上位だった僕の成績は次々と追い抜かれ中位になった。それでも危機感はなかった。僕はまだ本気を出していない、それにやつらは1年生のとき僕より成績が下だったじゃないか、何て思っていた。
クズだ。考え方が腐っている。今から思えばあのときから努力していればこんな話を書かなくてよかったのかもしれない。
3年生になった。僕は選抜クラスになんとか入っていた。しかし、友人達の勉強談義についていけなくなった。
それでも僕は懲りずにYoutubeとスマートフォンゲームに熱中していた。選抜クラスにいるから大丈夫、合格できる。そう信じて疑わなかった。しかし、心のどこかでひよりがあったのだろう。志望の学部を例年合格最低点が最も低い学部に変えた。
そして本番。その学部を8人受けて受かったのは7人。僕だけが落ちた。
僕は今まで努力をしてこなかった。模試の判定がCでもDでもどうせ受かる。現役は伸びる。合格判定なんてまやかしだ。そんな言葉を真に受けて。
僕は今黒い絶望なんてものは感じていない。心の黒色は色々な思いが混じってできたものだ。受かったやつらへの妬み、一人だけ落ちた恥ずかしさ、応援してくれた祖母への申し訳なさ、自分への呆れ。
なぜ、不快感を抱いているのか。なぜ、息苦しさを感じているのか。そして何に悲しんでいるのか。落ちたことになのか、自分の頭のよさが足りなかったことにのか、友人と進学できなかったことになのか、その友人たちに影で見下されているかもしれないことになのか。
感情の対象がわからない。
でも、様々な感情が頭の中だけでなく全身を駆け巡っているのはわかる。
突然自分を殴りたくなったり、泣きたくなったり、訳もなく家の周りを歩いてみたくなったり。
人はどうやって自分の気持ちに整理をつけるんだろう。
心の中の妖精達が気持ちを分類してたくさんの引き出しにしまうのだろうか。
それとも石油の分溜のように、またはろ過器のように手順にしたがってだんだんと分類されていくのだろうか。
馬鹿馬鹿しい。人はその気持ちを忘れることで落ち着きを取り戻すのだ。
ならば僕もこの気持ちを忘れれば楽になれるのだろう。
しかし、この気持ちは忘れてはいけない。なぜなら今これを書いているうちに新たな気持ちに気づいたからだ。
不合格で悔しい。
これも他の感情と同じく一時的なものかもしれない。
明日、目が覚めたらなくなっているかもしれない。
だが、それではダメなのだ。
努力することがエンジンの駆動だとしたら、悔しさというのは火花のようなものだ。小さな火花でも大きな車を動かす動力源となるように、人は悔しさをバネに努力する。
しかし、エンジンが動くのはガソリンと空気の混合気体が燃えるからだ。
じゃあ、人の場合のエネルギー源は?
それは人それぞれだ。悔しい結果をノートに書き残したり、目のつくところに張ったりしてモチベーションを保つ。
ここで共通しているのは悔しさを「残している」ことだ。
だから僕はこの気持ちをここに「残す」。一種の決意表明だ。
もう夕方だ。
誰がどんな気持ちであろうと夜が来て朝が来る。地球は回っている。
前に進むしかない。だが、それがつらい。
1年後。笑っていますように。
厳しい現実から逃げたくて。
もしも異世界という温室があるならばそこへいきたくて。
でも死ねなくて。死にたくなくて。
じゃあどうするのか。
現実をみるしかない。どれだけ辛くても。
逃げ続けるのはもうやめた。
自分の愚かさを見つめ、乗り越える。
それを人は成長という。