夢を重ねて
低重力下で飛ぶように進むアリアスは、片爪を地面に引っかけてクルリと体勢を反転させた。バックに飛ぶ身体を抑え込んで四つん這いに着地し、再び跳ぶ。
引き返した。
アリアスの背後、逸って迫った兵役種を、蒼い光が押し潰す。
蒼の奔流が、アリアスと軍勢を隔てるように聳え立った。
「死神さん!」
「アリアス! 貴様バカ者か!」
杖を地面に打ち、死神はアリアスを怒鳴り付ける。
しかしアリアスは怯みもしない。
「戦争する時間が惜しいと言ったのは死神さんですよ。こんなに荒れた営巣の調停に取り組むより、退散した方がずっと早いはずです」
「む。……参ったな、道理だ」
死神はあっという間に怒りの矛を収めた。
「だがな、アリアス。お前の知らない理由で、それは無理だ。まず、あの観測装置は見た目より遥かに重い。今は散らかっているしな。抱えて逃げられるようなものではない。次に、観測装置よりも部屋の資料の方が重要だ。読める書物は希少だからな。ついでに言えば、私にはこの彗星の周回軌道が必要だ。観測だけでなく、私が根城とするいくつかの惑星に近づける」
以上だ、と死神が締め括る。アリアスは八割がた理解できなかった。途中から聞き取れていない。
だが、逃げて観測を続ける、という選択をしないことは分かった。
「逃げないなら、死神さんは……群れを……」
「灼き尽くす」
断言にアリアスは怯んだ音を漏らす。
だが死神は、困ったように肩をすくめた。
「……と、言いたいところだがな。お前たちは素早く、そして営巣を知悉している。一人二人と殺すのは容易い。だがすぐに全ては終わらせられない」
死神は杖を掲げる。再び光の炎が立ち上るが、巻き込まれたものはいなかった。
牽制の成果を確認して、死神は群れに背を向ける。展望台の中央に戻った。
「お前たちの生態は、まさにその『終わらせられない』という私の隙を突くことに長けている。お前たちの数と連携を相手にして、何かを守りながら戦うことはできない」
「ぼくが手伝っても、守れませんか」
死神は少しだけ笑った。
「お前の近くが、私の死角になる。攻撃の届かない範囲が増えて、群れを助けるだけだよ」
「ぼくはただ、観測装置の盾にだけなります。ぼくごと焼いても、死神さんの助けにはなりませんか?」
まるで準備していたかのような早さで、死神はアリアスを杖で叩く。
「言うと思ったぞ、このバカ者」
「すみません……?」
よく分からないまま謝罪を口にするアリアスを背に、死神は展望台の周りを見渡す。営巣を回り込んだ兵役種たちが、無数に連なり、全方位を取り囲んでいる。
ぎちぎちと爪を打ち鳴らす音がさざめくなかで、死神はアリアスに問う。
「ひとつ確認したいことがある。お前たちの成人儀式とは、父を殺すことなのか?」
「はい」
「お前が父と呼ぶのは、兵役種としての役目を終えて、餌となるために幼体を寄生させた老体だな。彼を殺さなければ殺され役として群れに追われると分かっていて、それでも、"なりそこない"に甘んじたのは、何故だ?」
「……あんまりだと、思いました」
アリアスは、今も展望台に転がる枯れた死体を振り返る。
「あの個体は、とても優秀な戦士だったと聞きました。兵役種は、幼体に腹を破られたくらいで死に至ることはありません。幼生期は父から、戦いや[宙跳び]だけでなく、たくさんのことを教わりました」
アリアスは自分の爪を見る。誰かよりも優れているわけではない、兵役種なら誰もが持っている肉体。
この中に、[宙跳び]のゴルテオや、“爪なし”ネレイのような、個体の差異を生み出す全てーー“父親の教え“が、血肉となって通っている。
「教えられるだけのことを教えて……だんだん衰弱していって……それで、最後に殺される。最高の戦士と謳われても、変わりません。……そんなの、あんまりだと思ったんです。ぼくは彼から、とても実りある、たくさんのことを教わったのに」
アリアスの背中が震える。苦く、自分を笑うように。
「ぼくの身勝手で、父さんが餓死するまで追い込んでしまいました。ぼくのワガママは何にもならないことに気づいていて、止められなかった。だからぼくは、『なりそこない』なんです」
「それは違うな」
どんっ! と蒼炎が吹き荒れる。
展望台を包む炎の壁の中心で、蒼く透き通った輝きのなかで、
死神は笑った。
一番星を見つけた子どものように。
「アリアス。お前は、自分が死ぬような目に遭うと知っていた。実際に何度も殺されかけた。それでも誰かを憐れみ、同情し、思いやってきたんだ。お前は、お前の優しさに命を懸けることができる。それができるやつなんて、宇宙中を探しても見つけられない」
そして死神は、ありえない行動を取った。
観測する張本人が、観測装置の支脚を蹴り倒す。支えを失った観測装置が弱い重力に引かれて崩れていく。
「なにやってるんですか!?」
「こんなものは単なる道具だ。その気になれば、いくらでも作り直せる。むしろ、もう観測なんてどうでもいい」
飛び上がって驚くアリアスを振り返り、死神は手を伸ばす。
「だがアリアス、お前と二度出会うことは不可能だ。私はお前をこそ守りたい。星に同じ夢を重ねられるお前とともに、星を見続けていたい。だから、私と一緒にいてくれ、アリアス!」
アリアスは見た。
自分に手を差し伸べる死神と。
背を向けた彼女に向けて飛び掛かる、無数の兵役種を。
(間に合うだろうか?)
アリアスは足場と脚力を確かめる。
血に染まった視界のなかでは、迫る兵役種たちの爪撃をじっくりと眺める余裕さえあった。
(ぼくが盾になっても、死神さんを助けることはできない。爪の数が多すぎる)
だからアリアスは、宙を見た。
暗闇をも飲み込むような、永劫の虚無。
かすかに見えるガス星雲の面影から、光らない星々がいくつ、どこにあるか思い浮かべる。自分の足元がどれほどの速さで動いて、どのように回転しているか。自分と死神の重さはどれほどか。
そして、少しだけ迷った。
(死神さんが思うほどの価値が、ぼくなんかにあるのかな?)
たぶん、ない。
だけど、あろうがなかろうが、関係ないのだ。
きっと、生きていたほうが、死神さんは喜んでくれる。
なら、それでいい。
「死神さん、ごめんなさい」
アリアスは死神の差し出す手を取らずに、身をかがめた。
「な……アリアス!?」
「たぶん、すごく痛いです」
蹴る。
死神に肩口からぶち当たり、長大な尻尾と脚力で旋転したアリアスは、跳んだ。
重力圏を振り切り、虚無の彼方へと。
宇宙に吸われる。