成人儀式の末路
アリアスが傷を気にしながら歩いていると、キィと甲高い声が響いた。
見た若い成体が通路の奥へ逃げている。すぐに消えた影を見送って、アリアスは首をかしげる。
(ぼくが成体を何体も殺したから、経験の浅い成体から恐れられているんだ。でも、殺され役から逃げるなんて、なんだかへんな感じ)
アリアスはすぐに歩き始めた。理由が何であれ、死神のもとへ行きやすくなったのはいいことだ。
そうしてたどり着いた岩戸を開けると、木製のテーブル、ガラスの器具、酸素を惜しみ無く炊いた暖炉といった豪華な調度品が言葉なくアリアスを出迎える。死神は部屋にいない。
アリアスは迷わず展望台に向かう。
果たしてそこでは、死神が観測装置の残骸を集めていた。
ふと顔をあげ、死神はアリアスを振り返る。“彼女”は立ち上がり、嬉しそうに手を広げてアリアスを歓迎した。
「やあアリアス、待っていたぞ」
「はい。すぐ手伝います」
アリアスの申し出に驚いたようで死神は顎をあげる。苦笑を含ませてかぶりを振った。
「いや、違うんだ。人手がほしくて待っていたわけじゃない。もし何か頼むとしたら、この退屈な時間の話相手だよ」
不服そうな音を漏らすアリアスを指で示して、死神は悪戯っぽく肩をすくめる。
「だいたい、アリアス、お前の手が細かい作業の助けになると思うのか?」
「う。それは……」
思わず己の長く鋭利な爪を見るアリアスに先んじて、死神は声を上げた。
「アリアス、また怪我してるのか。血が出ている」
「あ! 拭うのを忘れて……あれ?」
ぼたり、と垂れた血滴にアリアスのほうが驚く。
この傷を負ったのは部屋に来るずいぶん前だ。普段ならとっくに治っている。
そんなことを考える目の前で、小さな傷口が蠢いて止血される。傷跡に変わったところはない。
「なんだ、また道中襲われたのか?」
「いいえ、今日は誰にも。この怪我は違うんです。なんていうか、事故みたいなもので。いつものことなんです」
「……お前は、刃物のうえに転ぶ習慣でもあるのか?」
「そういうわけじゃ、ないんですけど」
アリアスは説明しずらそうに頭をこする。
ふむ、と死神は一通り訝ってから、うなずいた。
「たいした怪我じゃないのなら、いいさ。どこかで傷口が開いたのかもな。手当てはいるか?」
「もう塞がりました。ありがとうございます。それより、やっぱり、修理を手伝えることはありませんか?」
死神は仕方ないと言いたげに息をつき、
「部屋から、光析器を持ってきてくれないか。絞りの位置を確認するのに使うんだ」
「分かりました!」
アリアスは飛ぶように部屋に戻り、慣れた手つきで器材を持ち出す。
光析器は大量の組み合わせレンズと試料置き場を備えた大型の装置だ。揺らさないよう丁寧に運ぶアリアスを見て、死神は笑みをこぼす。
「やはり、アリアスのような者はアリアスしかいないな」
意味がわからず、アリアスは死神の兜を見上げる。
「昨日は、群れを見て回ってみたんだ。今まで関わってこなかったから、アリアスのような、星に思いを馳せられる者を見落としていたのではないか、とね。だが無駄だった。私が学者であることすら、理解できる者はいなかった。最初の印象の通りに」
死神はアリアスに向き直る。
「アリアス。きみだけが特別だ」
真正面から言われ、アリアスの背中から奇妙な音が躍った。
いつの間にか止めていた足を、すり足で動かして機材を運ぶ。
「ぼくは、なりそこないですから」
「ふふ。だとしたら、私にとって『なりそこない』こそが群れで最も優れた個体、ということになるな」
「物騒な冗談はやめてください。……っと、ふぅ。次に運ぶものはありますか?」
「当分ないよ。本来、光析器は頻繁に持ち運ぶものじゃないからな。調整は腰を据えてやる仕事だ。何か飲み物でも淹れようか?」
「いえ、結構です。ありがとうございます」
答えながら、アリアスは小さな違和感を抱いていた。
あまりにも悠長に構えすぎている。
昨日までは、観測の時間に間に合わせるために、観測時間にひとつでも多くの星を測定しようとあれほど息巻いていたのに。
今はまるで、アリアスと言葉を交わすほうが関心事であるかのようだ。というよりも、
(観測装置に関わりたくない……?)
アリアスの胸中を知る由もない死神は、アリアスを労うように肩を叩き、光析器に手を伸ばす。
その手が、レンズの絞りをつかまない。
代わりに黒い杖を握る。
「何の用だ、兵役種」
「はい? なんですか?」
アリアスの返事は無視された。
死神は展望台の外れ、営巣の稜線をにらみ続ける。
そこから、若い成体が頭を出した。
彼は背負った荷物を腕に抱えると、展望台に投げ込んでくる。ばさり、と大きさの割に乾いた音を立てた「それ」を見て、アリアスが声を上げた。
「父さん!」
「なんだって?」
とても「父親」と呼ばれるようなものではない。
乾ききった麻袋のような体。枯れ枝のように伸び、あちこちで折れ曲がっている手足。尾は枯れた蔓のように細く、胴体の半分が丸くえぐれている。
ミイラ化した死体だ。
「先ホド、息絶エタ」
死体を投げ込んだ成体が告げた。
「支配種ニ返されるハズの無精卵を 『なりそこない』が略取シ、[寄生親]ニ分ケ与エルのは、珍しいコトではない。殺され役ガ役ニ立タナイのも、よくあるコトだ。ソレダケナラバ、営巣ハ長イ時間ヲ掛ケテ、充分ニ資源を取リ戻スダロウ」
この成体もまた若い。アリアスと同じ[繁殖周期]の成体だ。
幼体の頃から戦闘訓練を繰り返して爪の根を潰してしまった、『爪なし』ネレイ。ゴルテオたちよりも一足早く成体になった、優秀な個体だ。
そのネレイが、直接姿を表して、言う。
「死神。オ前ノセイで『なりそこない』ハ狂ッタ」
直截な物言いにアリアスは硬直し、死神は気分を害したように杖を揺らす。
ネレイは頓着しない。
「営巣資源ヲ強請スル貴様ガ、コノ上、有望ナ若イ成体ヲ『なりそこない』に殺させた。ソノ『なりそこない』ガ[寄生親]ヲ殺シ、成体ニ加ワル道モ、今、潰エタ」
死神に対して、淡々と断言し続ける。
感情を失ったかのように、成熟した個体は死の恐怖を覚えない。
「貴様ハ営巣資源ヲ不当ニ侵害シテイル」
兵役種が稜線から次々と顔を出す。
若いものが中心だが、中には古参の兵役種も混じっている。短命な兵役種において貴重な、『経験』という資源を抱える希少な個体だ。
「死神。我々ハ、貴様ヲ放逐スル」
アリアスの背に震えが走った。
間違えようもない。
死神に対する宣戦布告だ。
群れを浪費した罪は重い。死神をして、敵対するに値するほど。
この戦争は、群れのすべてを懸けて行われる。死神を相手に手を抜くほど、支配種は愚かな知性の徒ではない。
「死神さん。観測装置を持って、逃げてください」
「え……待て、おいアリアス!」
アリアスは制止を振り切り、展望台を降りてネレイの前に立った。
稜線の向こうに広がる軍勢にめまいがする。彗星の表面を埋め尽くすほどだ。
けれど、アリアスの心は迷わなかった。
手を突くと同時に、血を昇らせる。
赤い視界のなかで、震える大気のなかで、
アリアスは気づいた。
「残念ダ、アリアス。オ前ハ最後マデ愚カダッタ」
軍勢の全てが、赤い、兵役種の眼でアリアスを見ていることを。
この戦いでアリアスの死が逃れられないことを。
アリアスは、群れから完全に放逐されている。
「死神さん」
爪を打ち鳴らし、発振器官が殺意に吼え、営巣の大気が重力圏を離れて凍る。
氷の飛沫が輝いて、
「あなたはどうか、逃げ切ってください」
アリアスの足が地を蹴った。




