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営巣資源と呼ばれるものたち

「よし、焦点があった。おい! まだ見つからないのか? 指示薬について訊いてきたのはお前だろう」


 展望台の観測装置に張り付いたまま、死神が大声を出した。

 アリアスは兵役種の体躯をへこへことと縮こまらせながら死神にかしずく。紙に包まれた試薬を恭しく死神の手に載せた。


「ごめんなさい、死神さん。持ってきました」

「ありがとう。次は光析機と分振機を持ってきておいてくれ」

「はい! ……あっ」


 アリアスが振り返った拍子に、長い尾が展望台に並べた小瓶をひっくり返す。


「ご、ごめんなさい死神さん!」

「何度目だ……。もういいから、早く持ってこい! 光析機と分振機!」

「はいぃ!」


 怯えの音を背中から漏らし、アリアスは部屋に戻っていった。死神の器具を持ち出すためだ。

 あれから。

 死神の星海盤に魅せられてから、アリアスは公然と助手として観測を手伝うようになった。

 有能な助手ではない。アリアスが大きく動けば、死神に合わせて設えた備品に体のどこかが衝突する。

 恐縮しきりで、大人しく引き下がろうとするアリアスだが、死神に言いつけられた指示を放って逃げるなどあり得ない。必死になって応じ、またなにかを壊す繰り返しだった。


 アリアスには、理解できない。

 死神は群れに私室への進入禁止を言い渡して、器具を保護したのに。

 死神の道具をアリアスが破壊しても、死神はアリアスを怒らないのは、なぜなのか。

 アリアスはその日も部屋と展望台を幾度も往復して、いくつも備品を壊した。

 部屋に死神が戻ってきてやっと、観測が終わったことに気づいたほどだ。

 両手に抱えた装置を机に並べながら、死神はくつくつと笑う。


「しかし、何だな。お前は、大人しくしていると分からないが、動くとしっかり大きいのだな」


 アリアスは、なにを今さら、と思った。

 骨格的に前屈みで手を床につくため、基本的に死神を見上げる形になる。だがその状態でも死神の胸元まで至る兵役種は、厳密に体躯を比較すれば、死神より二回りほど大きい。

 アリアスはそんな体を小さくして、頭を下げた。


「すみません、また色々壊しちゃって」

「まったくだ。きちんと後片付けをしてもらう」


 死神は当然のことと応じる。その声に怒りの色はない。


「前にも説明したがな。今の観測は定刻ごとに距離を調べて、星の動きを算出するものだ。たとえ後片付けで仕事の総量が増えたとしても、観測時間内に出来ることが増えるなら、そのほうがありがたい。お前の手伝いには助かっている」


 だいたい、と死神は直立二足歩行の体で両腕を大きく広げて見せる。

 本棚と暖炉のあいだにほとんど隙間がなくなった。


「兵役種の体格で、私向けの部屋を機敏に動けというのが無理な話さ。問題があるなら、さっさと追い出してる」


 アリアスは謝罪の言葉を呑み込んで、深く首を垂れる。


「それにな」


 死神は少し恥ずかしそうに顔を背けた。


「こんな気持ちで観測をしたのは久し振りだ。本当に、久し振りなんだ。お前のお陰だ」


 アリアスには、その言葉の意味を捉えることはできなかった。

 だが少なくとも、あえて言葉にすることを選んだ理由は、間違いなくアリアスを励ますためだ。

 ふくるるる、としぼむような音を漏らしながら、アリアスは箒と塵取りを持って展望台に出る。

 アリアスの手は、刃のような長く鋭い爪を伸ばす指と、その両脇に小さな拇趾と捕指が備わっている。

 死神のように、五指でものを掴む、という真似はできない。その代わりに、この爪は代謝を繰り返して鍛えていけば、いずれ金属すら容易く引き裂く武器となる。

 それが兵役種というものであり、兵役種に与えられた役割だった。


「でも、ぼくは、なりそこないなのになぁ」


 ふとアリアスは振り返る。

 展望台の向こう、営巣の稜線に影が引っ込んだ。かたららら、という音が霞んで消える。


「……ゴルテオ?」

「掃除はどうした」

「あっ、死神さん。すみません、すぐやります」


 立ち尽くしていたアリアスは慌てて硝子片に駆け寄る。その背中に死神は声をかけた。


「なにか気になるものでも見つけたのか?」

「え、あの、はい。ゴルテオが――えっと、成体になったばかりの兵役種が、ここを窺ってたみたいなんです。……死神さんの領域は不可侵だから、関わる必要なんてないはずなのに」


 死神はアリアスの示す稜線に視線を向けて、ふん、と吐息を鳴らした。


「放っておけ。どうせ何も手出しはできん。普通の成体にとって、支配種の契約は絶対のものだからな」


 アリアスは曖昧にうなずく。

 普通の成体でない個体という複雑な心境を、背中の器官は巧みに表現した。


「それより、早く片付けたまえ。遅れたらまた私が手伝うぞ」

「そんな、ぼくのドジなのに手伝ってもらうなんて……い、急ぎます!」

「そうしろ。次の観測時刻は決まっているぞ」


 結局、死神は片付けを手伝った。


 その日最後の観測を終えて、アリアスは後片付けに従事していた。

 最後の観測はうまくいった。死神の求める道具の置場所を把握できていて、すぐに応じることができた。それもこれも、今まで道具をひっくり返し続け、自らの手で片付けたからだ。あまり喜べない。

 破壊した硝子瓶の破片を集める背後で、パキン、と割れる音がした。


「あぁ、また尻尾でやっちゃったかな……」


 うんざりと振り返ったアリアスは、凝然ぎょうぜんとなる。

 細長い足が、硝子片を踏み潰している。黒々と伸びる尾が悠然と波打った。長い爪を打ち鳴らし、発振器官が殺意を奏でる。


「ゴルテオ……?」

「イイご身分ダナ、アリアス。死神ニ取り入った生活ハ快適カ?」


 しゅるる、と音が漏れるような声でゴルテオが言う。

 食指の割れた口腔で喋ることに、まだ慣れていないのだ。


「ゴルテオ、何でここに? 死神さんの領域は不可侵契約で入れないんじゃ」


 戦慄わななくアリアスの声を、ゴルテオがわらう。


「デハ、オ前ハ、ドウナノダ」


 アリアスは絶句した。

 死神が許したことで、そしてその善意に甘えることで、死神が締結した支配種との不可侵契約を有名無実にしているのは、アリアス自身だ。


「部屋ニハ、入ッテイナイ。死神ニモ、手出しシナイ。ソレニ」


 くつくつと。ゴルテオは幼体には不可能な笑い方をした。


「ソレニ、死神モ、不干渉ノ契約ヲ破ッタ。群れノ一員を、不当ニ私物化シテイル……明確ナ、営巣資源ノ搾取ダ。ソウダロウ、アリアス?」


 アリアスの背中が、噛み損ねたように鈍く鳴った。

 アリアスは、殺され役(ペレイ)だ。

 群れに殺されることが、アリアスの生きている意義。

 殺されなければ、アリアスに生きている意味はない。

 かちかち、とゴルテオが爪を鳴らす。食指がうごめく。殺戮の予感に喜悦の音を響かせる。


 アリアスはいつの間にか逃げていた。

 彗星の外縁に爪を立て、恐怖を背中から流しながら。強靭な脚力で微かな重力を振り切らないように、地面をなめるように低く、小刻みに。

 両手が空いている。死神に借りた掃除道具は、いつ落としたのだろう。展望台からどれほど離れたのかも分からない。体を貫かれる恐怖に縛られて、動きを鈍らせることはできなかった。

 爪を突き立てた稜線の向こうに、微かにガス星雲のきらめきがにじむ。

 アリアスは、そこではじめて気がついた。

 背後に誰もいないことに。

 最初から、誰もアリアスを追っていなかったことに。

 アリアスはいつの間にか営巣を一周して、また展望台の近くに戻っている。

 ゴルテオが仲間を集めていた。若い成体たちが、展望台の観測装置を囲む。その儀式めいた装置を指差して笑っていた。


「だめだ」


 アリアスは聞こえない声で呟く。涼やかな声が脳裏に響いた。

――この測定器は全て役割があり、どれを欠いても精確な測定ができなくなる。


「やめろ、触るんじゃない」


 アリアスの声は小さい。薄い大気にかすれて消える。

 仲間たちを威嚇して、ゴルテオが一歩観測装置に近づいた。爪を打ち鳴らし、死神に怯える仲間を嘲弄する。

――観測したら、記録する。私は記録を完成させたいだけさ。


「触るな、触るな、触るな……!」


 ゴルテオがまた一歩踏み出し、部屋をちらりと振り向いた。食指を不敵に歪ませて、大きく爪を振り上げる。

――きみになら、見せてもいいだろう。


「装置に、触るな! ゴルテオ!」


 アリアスは叫んだ。

 ゆっくりと振り返ったゴルテオは、アリアスを視界に認めて、

 食指の裂けた口腔を歪ませる。

 嗤った。

 弱い重力に引かれ、断ち切られた円盤状の目盛りが地面に倒れる。

――これが、私たちのいる、宇宙だ。


 涼やかな声が消えていく。

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