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殺され役

 長い爪で腕を貫かれ、アリアスの背中で発振器官がかん高い悲鳴を張り上げた。


 てらてらと濡れる岩に身を転がす。痛痒に背中が震えていた。営巣のくり貫かれた通路だが、他にひと気はない。

 アリアスの前に立つ同胞が、下卑た笑みの音を背中から漏らす。

 頭骨は後頭部に向かって長く伸び、様々な光を捉える複眼が細長く張り付いている。口腔の脇からは三対の食指がくるくると手招くように蠢いていた。大きく膨らむ発振器官を背負うように屈んだ身体は精悍に引き絞られ、腕に垂れるアリアスの青黒い血が、ぬらりと光を反射する。


 シャッと音を上げて降り下ろされた爪を、アリアスがかわせたのは偶然だった。

 長い爪が深々と岩を貫く。アリアスが転んでいなければ、この爪は身体の真ん中を貫いていただろう。同胞を殺すためらいなど寸毫も含まれていない。

 アリアスは転びまろびつ通路を這って逃げ出した。憐れな音を出しながら逃げるアリアスを、若い成体の嘲笑が追いかける。

 しゃり、しゃりと、聞こえよがしな岩を裂く音が、アリアスの恐怖を駆り立てた。壁を跳び、天井の穴を潜り、風が吹くように駆けるアリアスだったが、その動きは追跡者もまったく同じだ。


(仕方ないことなんだ)


 死に物狂いの逃亡をするアリアスは、しかし同時に諦めていた。


(ぼくは「なりそこない」だから。あの勇ましいゴルテオが、ぼくたちの[繁殖周期]でいちばん[宙跳び]の上手かったゴルテオが、ぼくを追うのに飽きたとしても、また誰かがぼくを殺しに来るだろう)


 それでも、アリアスの体は逃げ続ける。体を弾ませ、尾で跳ねて、営巣に張り巡らされた通路を駆ける。

 爪先が、岩戸に触れた。壁を這ってぐるりと体を翻し、岩戸に爪を立てる。営巣にあるまじき重さだった。がりがりと必死にこじ開けるアリアスは、追跡者のだじろいだ音に気づかない。

 かろうじて開いた隙間に体を滑り込ませ、アリアスは部屋に飛び込んだ。

 ギャッと発信器官が音を立てる。閉まった岩戸に尾の先端が潰されて、千切れた。

 アリアスの眼前を、蒼い光が閃く。


「誰だ」


 涼やかな声。

 アリアスは辺りを見回した。

 その空間は、岩塊をくり貫いた営巣とは思えないほど整えられていた。

 中心にある長机は木材で出来ているし、その机には綿を寄り合わせた真っ赤な布が掛けられている。その上にあるのは、まさか硝子だろうか。漏斗型や雫型の不思議な調度品が並んでいた。本棚には紙製の本が詰められていて、暖炉では酸素が炊かれている。

 支配種クイーンの部屋もこれほど豪華ではないだろう。


「誰だ、と聞いている。それともこの営巣の兵役種ソルジャーは会話する脳もないのか?」


 ざり、と石床をこする「靴音」。ずいぶん無用心だな、どアリアスは思った。だが、その思いも、声の主が視界に入った途端に消し飛んだ。

 一見すると鉛のような、謎の金属で作られた鎧。それを襤褸布をまとって隠している。

 手足は一対ずつ。直立し、二足だけで歩けるのに、片腕の五指で杖を握っている。

 黒杖は義足ではなく、儀礼めいたものだということは、予備知識がなくても分かっただろう。先ほど蒼い光芒を発したのはこの杖だ。頭は丸く、鎧と同じ金属の兜で覆われている。


「死神……」


 怯えた声が出た。

 死神は不快そうに鼻を鳴らし、杖をアリアスに向ける。

 蒼い閃光がアリアスの視界を焼き、ギャッとまた背中が鳴った。


「私は、お前は誰だ、と聞いている。ここの支配種とは不可侵の契約を結んであるはずだが? まさか兵役種一匹で襲撃もあるまい。お前は誰だ、何をしにきた」


 鈴の鳴るような清廉な響きが、不意にトーンを落とす。


「これ以上問いを煩わすようなら、不可侵契約に基づいて、お前達を殺すぞ」

「すみません、ぼく、アリアスって言います」


 種族の一員たる本能が、アリアスを喋らせた。

 死神を敵に回してはいけない。


「この部屋が死神さんの部屋だって知らなくて……ごめんなさい。入っちゃいけないと言われていたのは知っています。でも、どこかは分からなくて」


 すぐ出て行きます、と言い掛けたアリアスの咽喉が躊躇った。

 外には、まだゴルテオがいるのだろうか。

 この重たい岩戸を開けて、閉めて、それからまた逃げ出すなんて悠長な時間はないだろう。

 この部屋から出たら、串刺しにされて、おしまいだ。


「知らない、だと? お前達が? 嘘を言うな、兵役種め。共振器官を持つお前達が、群れの知識を共有していないなど、ありうるものか」


 死神が杖を揺らす。蒼い光が杖の先端でちらちらと舞っていた。

 その輝きを見たアリアスの内に、ある欲求が湧き上がっていく。その衝動を隠して、誤解を解くための言葉を捜す。


「ほんとうなんです。幼生は共振がうまくできないから、死神さんの居る間は閉じ込められるんです。ぼく、成体じゃないから、共振がうまくできなくて。だから、ほんとうに知らなかったんです」

「幼生? あのカマキリの幼虫みたいなやつのことか。お前はどう見ても他の兵役種と同じくらい発達しているぞ」

「でも、成人儀式ができなかったから、ぼくは、成体じゃないんです」


 ふむ、と死神が考えるような吐息を漏らす。


通過儀礼イニシエーションか。それなら、成人のなり損ないがいるのは、ありえない話じゃないが……お前達にそんな発達した社会性があるとは知らなかったな」

「ほんとうです。ほら、ぼくは、食指がまだ破られてない。動かせないんです。これが成体じゃない証です」

「おや、本当だ。なるほどな。どうやらお前が成体じゃないのは本当らしい」


 だが、と死神はもう一歩近づいた。


「お前が私の領域に入って許される理由にはならないな」

「そう、ですね……。殺すのは、ぼくだけにしてくれると嬉しいです」


 アリアスは群れの一員として、当然の要望を告げた。

 はっきりとした物言いに、死神は顎を引いてうつむいてしまう。蒼い光が散る。


「……待て。血が出ているぞ。怪我をしているのか、お前」

「いいえ。大したことありません」

「そうはいかないだろう。ひどい出血だ、貫通しているのか? 見せてみろ」


 死神がアリアスの目の前まで近づいて、アリアスは縮み上がった。

 無骨な装甲に覆われた手が、見た目とは裏腹の繊細さで優しくアリアスの腕を取る。先ほど、ゴルテオの爪で貫かれた腕だ。

 死神が血をぬぐうと、穴はどこにもない。


「ぼくたちは傷の治りがとても早いんです。腕がもげても、若い成体なら、しばらくすれば生えてきます。骨に開いた穴くらい、放っていても大丈夫です」


 岩戸に千切られた尾も、もう再生していた。

 不服そうな唸り声を漏らした死神が、そっとアリアスから手を離す。


「胴体を吹き飛ばすか、顔から後頭部まで穴を開けるか。それくらいなら、ぼくは死にます」

「殺し損ねる心配をされる謂れはない。殺すときは跡形もなく消し飛ばす。傷もなにもあるものか」


 死神が少し怒ったように早口に言った。アリアスはうなずいて、得心する。そうか、簡単に殺せちゃうから知らなかったのか。

 黒杖を床に突いた死神は、不審と不機嫌を隠さない。


「それにしてもお前、どうしてこれほど出血するほどの怪我なんて負ったんだ? 傷がすぐ治るなら、流血する暇もないはずだろう」


 不思議な問いにアリアスは首を傾げたが、すぐに理解した。死神はアリアスたちのことをよく知らない。だから、アリアスの立場を知らないのも不思議ではないのだ。


「ぼくは、殺され役(ペレイ)なんです」

「なんだって?」

殺され役(ペレイ)。なり損ない。成員になれなかった成体年齢の個体は、自由に殺していいことになっているんです」


 死神は無反応で立っていた。

 聞こえなかったかな、と思ったアリアスはもう一度同じことを言う。


「ぼくは、殺されることになっているんです」

「いや……もういい。分かった」


 死神がようやく反応を見せた。

 開いた左手を額に添えて、疼痛に悩むような苦い声を漏らす。


「狩りの練習台か。群れのリソースの有効利用と思えば、おかしな慣習じゃない。ないんだが……野蛮、と言ってしまうのは、私の価値観の押しつけなんだがな」


 やれやれ、と死神は首を振る。アリアスはその姿を見ている。

 不思議な時間だった。

 アリアスたちは死神の領域に不当に侵入したら、即座に殺されると聞かされていた。だからこそ、群れのリソースを無駄に減らす、不実な行為にあたると。群れの生命体である彼らは支配種の意向に従って、この異物を受け入れている。

 そしてアリアスは支配種を介した折衝もなく、無断で無意味に侵入した。

 なのに、殺されないのは、おかしな話だ。


「あの、どうしたんですか?」

「いや。なんでもない」

「そうじゃなくて。ぼくを殺さないんですか?」


 むっとしたように、死神は兜越しにアリアスを見た。死神の瞳を、アリアスも捉える。


「殺すかどうかを決めるのはお前じゃない。私だ。……それとも」


 鎧の手は黒杖を強く握り直し、蒼い光がちらちらと舞う。


「殺されたいのか?」

「はい」


 死神は声を詰まらせた。

 アリアスは自分の欲求に気づく。

 どうせ殺される命なのだから。

 この美しい光を使う優しい人に、殺されてしまいたい。


「ぼくを殺して下さい。死神さん」

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