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その瞳に恋をして  作者: 子無狐
3/3

03 - なら、見返すしかないじゃない?

「あ」


 しまったな、と想う前に、気づくべきだった。私の悪い癖だ。

 改善することに集中しすぎて、他に配慮すべきことを忘れてしまう。


「あら」


 驚いたわ、と言った口調で茉莉が呟く。

 階段の踊り場、方向転換には場が悪い。

 バツが悪いのは、相手が怒っているだろうか、という不安じゃなかった。

 ここ二週間ばかり、茉莉に会っていなかったという不安……それが、今更に湧き上がってきたから。


 ――彼女は、この二週間、いったい誰と過ごしてきたのだろうか――


 胸中の不安。忘れていたのに、消していたのに、またその想いがよみがえってくる。

 他愛のない、本当に他愛のない、気まずい数日振りの友人との再会。


(それだけ、それだけのことのはずよ)


 なのに、今日の茉莉はとても、いつもの親友らしからぬ近寄りがたさを感じさせる。


「あ、あの……さ」


 口をパクパクとさせながら、もしかすると、と想う。

 回りの友人が語る、私の中の感覚と異なる、周囲にとっての茉莉の認識。

 まるで見えない壁があるような、それでいて触れられる存在でもある、不思議な距離感。

 ――これこそが、皆が茉莉を遠い存在だと呼ぶ、理由なのかもしれない。

 眼が、私を見ている。

 笑っているような、怒っているような、窺うような、からかうような、底の知れない瞳。


(――ああ)


 なんだか、とてもとても、胸の奥がざわざわしてくる。

 他人を嫌いだなんて、憎いだなんて、ましてや怒っているだなんて、本気で想ったことはないはずなのに。


(どうして、私ばっかり、心配して)


 彼女は、違う。

 彼女に出会ってから、私はぐらぐらしっぱなしだ。

 からかわれて、遠ざけられて、はぐらかされて、それでいて――。


(茉莉からは、何も言ってこないわけ?)


 心のざわめきが静まり、代わりに、グツグツと煮えたぎるものが奥底から沸きあがってくる。

 その瞳。その瞳を見て。

 私は、覚悟を決めた。

 吐き出さなければ、こちらがその黒いものに飲み込まれてしまう。

 奥にあるもの、埋めてはいけないもの。

 それを、言葉にしなくちゃ。


「……今日は、その、アンダーソン先生の講義があるけど」

「あるわね。あなたの苦手な、けれど、とても大切な講義」

「そう。だから、その……」


 一歩。そう、たった一歩。


「一緒に予習しながら、教室へ行ってくれない? ……私に、あなたのことを教えてほしいから」


 言葉を吐いても、やっぱり私はとても緊張している。

 黒いものが、心にわきあがって――周りの殻が、はがれてゆく。


「ええ。喜んで」


 茉莉はにっこりと微笑んで、それでいて窺うような眼はやめなくて、こちらの瞳を見つめ返してくる。


 ――やっぱり、駄目だ。


 心の中のドロドロがはがれて、中からすっと湧き出る、奇妙な愛しさに塗りつぶされてゆく。


「久しぶりね、茉莉。なにをしていたの?」


 その二つの綺麗な瞳に、見つめられたら。

 なぜだが私は、とても冷静になってきた。

 茉莉だけに、見られているという――不思議な安心感を、感じられたからだ。

 こちらを見つめることに、迷いのない、彼女の瞳。

 その奥に光る、いたずらっ子のような、常に揺れ動く不安な輝き。

 私を撹乱することのみに、その瞳は本当に光り輝く。

 それを知ってしまった、あの日から。


 ――私は、彼女に夢中になってしまったのだ。

 ――なら、見返すしかないじゃない?


 不安はあるけれど。

 不安に感じる必要などなかったのだ。

 彼女が悪戯の瞳を輝かせるのは、凛子という自分に対してのみ。

 ああ、実にくだらない。


 ――不自由はしていなくても、退屈をしていそうなのが、茉莉という人間。

 ――なのに、それを想いだせなくなっていたなんて。

 ――別に不自由していないからといって、それが、自分以外の他者だという話を茉莉はしていなくて。

 ――そして私という人間が、それを誤解することを、茉莉という人間は知っていて。

 ――厄介なことに、それを楽しむ類の人種なのだと、ようやく気づいて。


 あまりにもくだらなさすぎて、くだらない勘違いすぎて、少しばかり恥ずかしい。

 そんな内心に気づいているのかいないのか、くすくすと笑いながら、茉莉は私の質問へと口を開く。


「待っていたの」

「待っていた? いったい……誰を?」


 期待するような含みが、少しばかり言葉に漏れてしまったのは、失態だなと想う。

 私の失態に気づいたのかどうか、わからなかったけれど、茉莉の答えは答えじゃなかった。


「あなたはいったい、なにをしていたの?」

「なにをしていた? そうねぇ……」


 こちらもくすくすと笑って、茉莉の言葉を受け流す。答えなど、きちんと返す必要はない。

 だって、答えは……お互いに、知っているのだから。


「あなたが寂しがってると想って、帰ってきてあげたのよ」

「そうね。あなたが寂しがってると想って、待っててあげたのよ」


 そうして、二人一緒に瞳を見つめあい。

 微笑み合って。

 ものの見事に、講義には遅れてしまったけれど。


 一人じゃない二人の時間が、戻ってきたのだった。


「で、凛子。ジュース代は十一(といち)ね」

「心は真っ黒ね、茉莉」

「わたしを待たせるから、黒くなっちゃったのよ」


 あなたのせいね、と微笑む茉莉。

 ……まあ、いつもどおりに戻ってきたのだった。


「ふふ……」


 想わず、笑ってしまうほど簡単に。

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