シアワセな日常と小さなサイナン
涼風が優の付き人になってから早1週間が過ぎた。
あの後、涼風は理事長室に向かい、理事長から付き人の証であるバッチを受け取った。そのバッチには大きな牙のようなマークが入っており、涼風はこのマークが「吸血鬼の関係者の証」だと理解した。
次に優の部屋に向かった。
優の部屋は思ったよりも広く、そして清潔だった。赤い絨毯に広々としたキングベッド、テーブルには赤い薔薇が飾られていてる。けれども、足が不自由な優にとっては、何処をどう見ても住みにくい部屋だった。
涼風の部屋は優の隣にある。理事長が「何かあってからでは遅いから」と言い、涼風の部屋を移動させたのである。それに関しては涼風も同意見だったので、首を縦に降った。
涼風は優の事を「あるじ様」と呼び、優は徐々に涼風に慣れ、涼風の事を「涼風」と呼ぶようになった。
最初、優は、涼風に遠慮ばかりして掃除も洗濯も自分でやろうとした。けれども涼風は根気強く「自分がやる」と言い続けた。「うちは貴方様の付き人なんです。仕事させて下さい」と言ったら渋々了承はしてくれた。
勉強面では涼風はテストの時以外は基本的に優と供にいた。涼風は元々特待生制度を使い、この学園に入学したので、勉強はどちらかと言えば得意だった。
けれども涼風は天才ではないので、優が寝た後、夜遅くまで勉強し、授業についていった。
学園の生徒は涼風の行動をただただ不思議そうに、一部の人や妖は気味が悪いといった表情で見ていた。尽くしても対価が得られるわけでもないのだ。金銭だって安月給ともいえる金額、玉の輿に乗れるわけでもなければ、社長夫人になれる訳でもない。
それなのに涼風はいつも笑っていた。幸せそうに笑っていた。
「あるじ様、今日は学園はお休みですけど、何処か行きましょうか?」
涼風は朝食を食べている優に問いかけた。テーブルには味噌汁とご飯と漬物という、なんとも質素なものだったが、これは優のリクエストでもあった。
最初、涼風はそのリクエストに驚いていたが、前世でも豪勢な食事とかはあまり食べなかった事を思い出し、「やはり本質は変わらんものやわ」と勝手にしみじみとしていた。
「…いいや、本を読む」
「…、うちは今日の夕飯の食材を買いに行きます故、三十分程度出掛けますが」
「留守、お願い出来ますか?」と優に問いかけたら、優は黙って頷いた。
「ほな、行って来ます。鍵は閉めておきます故。」
「…いってらっしゃい」と聞こえるか聞こえないかの小さな声がリビングの方から聞こえた。涼風は「いってきます」と言い、嬉しそうに笑った。
ーーーーーー
学園寮の一階には小型のショッピングセンターがあり、涼風はよく利用していた。学園の外に行くにはかなりの時間がかかり、少なくとも三時間は優の元から離れなければならない。
それはあまりにも非効率的なので、涼風はショッピングセンターを利用しているのである。
「今日はやっぱり鯖の味噌煮とか魚系のものがええなぁ。けど鮭のムニエルとかも、たまにはええし…」
そう言い、鯖と鮭を見比べ続けている涼風。優ならどちらも「美味しい」と言ってくれるだろうが、涼風は優に「本当に美味しい」と思って欲しいのだ。
「へぇ、こんな事までさせられるのか。付き人って奴は」
そう言って後ろから鮭をヒョイと奪ったのは学園の生徒会長の赤神 綺羅だった。赤の髪に黒のメッシュ、釣り目に開いた瞳孔が特徴的で、学園一のイケメンと言われている。赤神は紅海一族の分家であり、紅海一族の影で暗躍していたが、昔から仲は悪かったらしく、それは子供の代まで続いた。特に赤神は黒妖学園の生徒会長の紅海 神羅とは最悪で犬猿の仲すらも超えていると言われている。
「シェフはいねぇのかよ」と言い鮭を物珍しそうに見る赤神を見て、涼風は頭を悩ませた。
それもそのはず、優は紅海 神羅の実の兄である。例え本家から見捨てられた身であったとしたも、赤神にとっては忌み嫌う対象なのである。
…そしてそれは恐らく、涼風も例外ではないだろう。
「…生徒会長様が、うちに何の用でっしゃろ」
「あ?用がなけりゃ話しかけちゃいけねーのかよ」
「うちのような女に話しかけるよりも、他の別嬪さんに話しかけたほうがよろしいのでは?」
つまり涼風は「話しかけるな、あっち行け」と言う台詞をオブラートに包んで言ったのだが、赤神には全く届かなかった。
赤神は涼風の肩を掴み、強制的に前を向かせ、顔を近付かせた。整った顔が見つめるが、涼風には何一つ響かなかった。
「…なんで、てめーは、」
「?」
「あの男の付き人になろうと思ったんだ?」
「てめーの特は何一つねぇ筈だ」と赤神は吐き捨てるように涼風の耳元で囁いた。そして、唇と唇が後1センチも無い距離で、二人は見つめ合った。いや語弊か。涼風は目を細め睨みつけるように赤神を見た。
「そんなの、決まってるでありんしょ」
「惚れた男の為に生きたいと思うのは、当たり前でやんす」
その言葉を聞いた赤神は目を見開き、信じられないとでも言うように涼風を疑視した。だか、涼風はそんな事関係なく、赤神の手にあった鮭を取り、レジへと向かった。
今日は鮭の塩焼きにしようと思いながら