2.朝と少女
いつものように朝起きて窓を開ける。朝露に濡れた青い葉が風に揺れる。
辺りを見回すと、地面に少女が倒れているのが見えた。
おそらく身長はイェルドの腰までしかない。腕も脚も華奢。
胸が一定の間隔で上下している。おそらく死体や人形ではないし、命に関わる怪我や病気もないように見える。むしろ頬や唇が薄紅色に染まっていて、いかにも健康そうである。
少女が寝返りを打ち、横向きになる。地面に落ちていた、ほぼ砂利のような小石が少女の頬に食い込んだ。普通なら痛みで起きるか、そうでなくとも不快感を示しそうなものである。が、その気配すらない。眉をしかめるくらいはしてもよさそうなものだが。
「………」
石が食い込んでいる部品は赤くなり、そのまま放っておけば痛々しい傷になるであろうことは簡単に想像できた。
溜め息を一つ吐き、窓枠を飛び越え少女に近づく。目の前で年端もいかない少女に、しかも顔という目立つ場所に怪我をされるのは後味が悪い。
「……おい」
声をかけるが返事はない。
肩に手をかけ、軽く揺する。ついでに横向きだったのを仰向けにしておく。やはり石の当たっていた所が痛そうだった。
「………んぅ」
小さな呻き。ごくうっすらと、少女の目が開く。
「おい、こんなところで寝るな。風邪ひくぞ」
「……だれ?」
「イェルド。ここに住んでいる」
まだぼんやりしているのか、舌ったらずな話し方だ。眠そうに半目で、しかしニコニコしながら見つめてくる少女はなんというか、警戒心がなさすぎるような気がする。
今まで見てきた子供は大抵怖がって泣くか隠れるかしたのだが、少女にその気配はない。
「ここに?」
「ああ。お前こそどうしてこんな所に……迷子か?」
そう聞いた瞬間、はたと少女の目が見開かれた。
「なんでわかったの!?」
「まあ、なんとなくな」
すごいすごいと目を輝かせている少女には悪いが、本当になんとなくだ。
ただなんとなく、この近くの街のお人好し共はこんな子供を一人で森へ放り出したりはしないだろう、と。
そんな信頼があったのである。
迷子ならば奴らに預ければ問題ないだろう。なかなか大きい郵便局もある。住んでいた所の名前さえわかれば配達のついでにでも送ってもらえるだろう。
少女の名前がわかれば親を探すこともできるか。
「お前の名前は?」
「ニーナはニーナっていうの。4さい」
「ちゃんと言えるのか。偉いな」
「えへへ」
そういえば子供が自己紹介をしたら褒めるものだったか、と思い頭を撫でる。
どうやら正解だったらしく、少女……ニーナが顔をほころばせた。
イェルドもつられて口元をゆるめる。
「じゃあ、なんていう町に住んでいたんだ?」
「んー…わかんない」
ニーナは眉尻を下げ、軽くうつむいた。
「わからない?」
イェルドは眉間に皺が寄らないよう気を付けながら、顎に手をあてて考える。
これくらいの子供なら自分の住んでいる町の名前がわからないこともあるだろう。
町の名前がわからないとなると、帰る場所を探すのにはかなり時間がかかりそうだ。もしかしたら国も違うのかもしれない。
「イェルドおじちゃん?」
「俺はまだおじちゃんじゃないからな」
ニーナの言葉を半ば反射で訂正する。おじちゃんと呼ばれる年齢ではない、はずだ。
「イェルドおにーちゃん」
「ん」
素直に呼び直してくれたので再びニーナの頭を撫でる。へにゃりとはにかむ様子が可愛らしい。
そのまま頭を撫でながら、次にエドゥがくるのは一週間後である事を思い出す。
彼らは馬車を使い近くまで来るが、イェルドは交通手段を持っていない。徒歩で街に行こうとすれば結構な時間がかかる。子供には負担が大きいだろう。
歯車技術で移動のための物を作ることもできるが、それくらいならエドゥを待ったほうが早い。
それについてニーナと話すのは長くなるだろう。
「ニーナ」
「なあに?」
呼びかけるとこちらを向いた。首が痛くなりそうな体勢だったので、少し屈んでやる。
「家を探すための話をしようと思うんだが……その前に」
「その前に?」
「一緒に朝飯でも食うか?」
「うん!」
ぱっと喜色を浮かべたニーナに目を細めながら、自宅のドアを開ける。
朝食の後には、買い置きしてあったお菓子でも出してやろうと思った。