表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死女の夢  作者: 朝里 樹
6/8

第六部:死者は速く駆ける

 血塗れで悲鳴を上げる人々、死肉を食らう死人たち、死者の群れに飲まれ、消えて行く父と母、それを傍観しているあの亡霊の姿と、あの亡霊によって命を奪われ、操られて私に迫る城の兵士たち。

 そうだ私は、この光景を知っている。父が、母があの死者の波の中に飲まれ、消えて行ったのを知っている。頭の中に封じられていた記憶が甦る。

 私は、私はこの亡霊たちに連れ去られたのだ。突如として城に現れたこの怪物たちによって、城の皆は殺された。今目の前で起きている惨劇と同じことが、私の城でも起きていた。

 私の記憶はあの亡霊によって封じられていた。それが一気に溢れ出し、私の頭を支配する。父は、母は、城の者たちは、皆死んでしまった。その事実が一気に私の心に突き付けられた。


第六部:死者は速く駆ける


 その心の隙間に悪魔の力が入り込んで来る。私の体の自由は奪われ、朦朧とした意識のままそれでも抗おうとするが、駄目だった。

 私の意思に反して私の首はクリスタベルの方を向き、そして腕が彼女の方に伸びる。クリスタベルは怯えた目で私を見つめている。それなのに彼女は逃げようとはしなかった。

 そんなクリスタベルの前に、彼女の母親の霊が立った。クリスタベルの守護霊は、私をじっと見据える。その目が私に何かを伝えようとしている。私の中で悪魔の力に抗う力があって、体の動きが止まった。

 きっとあの守護霊の力だ。彼女は死した後も己が娘を守り続けていたのだろう。体を失って、魂だけの存在となっても。彼女は死した後も自らの意志を失わなかった。きっと自らの意志でクリスタベルの守護霊となった。

 私は怖かった。私が私でなくなってしまうことが。だが私だってこの心を失わずとも生きることができるのだ。死者であっても、吸血鬼であっても。

 彼女はそう教えてくれているようだった。そうだ、私には私の心がある。死してなお失わなかった、ジェラルダインとしての心が。

 あんな亡霊の言いなりになどなってやるものか。亡霊などにこの身を渡してなるものか。私は私の中に巣食う力に逆らい、自らの胸に手を当てた。私は吸血鬼だ。血液だろうが魔力だろうが、私のものにしてやる。私は私の中にある亡霊の力を引き摺り出し、そして自らの力として吸収する。

 体と意志の自由が戻ってきた。私は息を整え、そして呟く。

「……クリスタベル、あなたは私が必ず助けるから」

 あのクリスタベルが私と初めて会った夜、守護霊である彼女が現れたのは、あの亡霊に支配され掛けていた私からクリスタベルを守るためだったのだろう。そして今度は私も救ってくれた。

 私はもうあの怪物の自由になりはしない。そして吸血鬼としての私を受け入れてくれたたった一人の親友を、救ってみせる。

 私はただ一人の吸血鬼として、亡霊を見据える。

「忌々しい」

 亡霊の姿はさらに変化し、レオライン卿のものとなる。大鎌を握ったレオライン卿は一歩ずつ私に近付いて来る。彼が命じているのか、死人たちは時が止まったように動かない。

「そなたが私に抗うというのならば、代わりに我が娘を傀儡とするにしよう。そなたには負けるが、幸いクリスタベルもまた、死体となるには良い素質を持っているようだ」

 今度はクリスタベルが狙われている。私は歯を食い縛り、床を蹴った。駄目だ、彼女は渡さない。

 私は亡霊に掴みかかろうとするが、その大鎌の刃に斜めに体を切り裂かれ、壁に叩き付けられる。その衝撃で吐き出された空気に血が混じり、赤く染められた床を更に汚す。

「クリスタベルはこの私が守ろう。だからお前は、もうここにいる必要はないのだよ」

 口調だけは優しく、レオライン卿の亡霊はクリスタベルの守護霊に語り掛ける。私は立ち上がろうとするが、傷の痛みがそれを阻害する。

 レオライン卿の亡霊は鎌を振り上げ、そして一刀の下にクリスタベルの母を切り捨てた。銀色のその体は霧となって雲散し、そしてただクリスタベルのみが残される。

「さあ、行こうかクリスタベル」

 亡霊の姿がまた若い男に変化する。クリスタベルは震える瞳でそれを見て、呟いた。

「ヴィルヘルム、様……。どうしてヴィルヘルム様の姿を……」

 それはクリスタベルが話していた婚約者の名前だった。ヴィルヘルムはクリスタベルの手を取ると、彼女の体が硬直する。あの悪霊が彼女の自由を奪っている。

「ジェラルダイン……様……」

 微かな声でクリスタベルは私の名を呼んだ。その声に私は無理矢理体を引き起こす。全て失った私だからこそ、彼女だけは失いたくない。体が千切れてしまいそうな激痛が走るが、それに屈服している暇なんてない。私は、彼女を守ると決めたのだ。

 だが亡霊は私の方に目を向けると、懐から十字架を取り出した。それを無造作に私に対して投げ付ける。

 それは私の左腹部を貫き、私を城の内壁に釘付けにした。私の体から力が抜けて行く。それを体から引き抜こうとする意志は働くのに、腕が動かない。

 ヴィルヘルムの亡霊はそれ以上私を目を向けることなく、クリスタベルを連れて城を去った。私はただそれを見ているしかない。彼の操る死人たちも、彼に従って城から姿を消して行く。

 やがて城は静寂に包まれる。聞こえるのは私の息の音だけ。これももうすぐ消えてしまうのだろうか。私は酷く無力だった。

 悔しさに涙がこぼれそうになった時、不意に近付いて来る足音が聞こえた。続いて、声も。

「その傷で生きているとは、やっぱりあなたも化け物なのだな」

 男の声。その声の主は私の前に立ち、そっと私の体から十字架の杭を引き抜いた。体に微かだが力が戻り、私は深く呼吸をする。

「ジェラルダイン、といったかな。君は私たちの敵ではないと信じて良いのかな」

 私は声の主を見た。そこにあるのはあの吟遊詩人の姿。あの亡霊がいなくなったことで、その支配から逃れられたのだろう。彼は死人ではなかったのだ。私はゆっくりと頷く。

「ええ……、私はあなた方の敵ではないと誓います。それよりも、クリスタベルが……」

「あの化け物に連れ去られたのか。悔しいが、お嬢様を助けるにはあなたの力が必要だ。私だけではあの怪物にはどうにもできない。とにかく私に何かできることは?」

「それならば、私を月の光の当たる場所に運んで下さいませ」

 ブレイシーは頷いた。そして私を抱えて窓の側まで歩き、私をそこに下ろした。月光が私の体を照らし、少しずつ傷が癒えて行く。

 ブレイシーは私の側に座り込んだ。彼もまた、かなり消耗しているようだった。重たげに瞼を瞬かせ、壁にもたれかかる。

「あの化け物は、トリアーマイン城に向かった私たちの前に現れたんだ。あの城は洪水何かで滅んだんじゃない。あの化け物に滅ぼされた。この城と同じように。城の中は乾いた血が到るところにこびり付いていた」

 ブレイシーは語る。私はそれを黙ったまま聞いている。

「私たちは早く知らさねばと思った。だが城を出ようとした私たちの前に、あの化け物が現れたんだ。あいつは私の従者を殺し、そしてその姿を奪った。私は逃げようとしたが捕まり、あいつに心を支配された。そしてこの場所まで案内させられた」

 ブレイシーは悔しげに顔を歪ませる。彼もまた、自分とともにこの城で暮らしていたものたちをあの化け物に皆殺しにされたのだ。私と同じように。だからその気持ちは痛いほどに分かる。

「私も同じです。あの亡霊は許せない。それにクリスタベルがあの怪物のものになるなんて認めない」

 月の光のお陰で傷は塞がった。私は初めて、自分が吸血鬼となったことに感謝した。私は立ち上がる。私が怪物だからこそ、あの怪物に挑むことができる。

「ブレイシー様、この城でお待ち下さい。私が必ずや、クリスタベルをここに連れて帰ります」

 私は床に落とした槍を再び握った。そして夜の下へと躍り出る。

 闇の向こうに黒い馬に乗った亡霊の姿が見えた。その後ろにはクリスタベルも乗せられている。まだ遠くはない。私は大地を蹴って、走り出す。




「死者は速く駆けるのだ」

 亡霊はそう呟くように繰り返す。クリスタベルと亡霊を乗せた黒い馬は闇を切り裂くように駆けて行く。私は残された力を振り絞り、視界と音を頼りにそれを追う。

 人間であったなら、生身で馬を追うことなどできなかっただろう。だがクリスタベルを救うためならば、この吸血鬼としての体を存分に使ってやる。

 しかし体の衰弱は激しいようだった。月の光のみで私の体力はいつまで持つのか、それは分からない。それでももっと速く、もっと速く。私はただ走り続ける。何があろうとも、私は彼女の命を諦めない。

「クリスタベル!」

 私は夜の下、そう友の名を叫んだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ