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死女の夢  作者: 朝里 樹
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第四部:湖畔にて

「クリスタベル」

 私がそう呼び掛けると、クリスタベルはびくりと一度体を震わせて私を振り返った。その目で私の姿を確認した彼女の瞳はより強い恐怖に染まる。私はまた、胸に鋭い痛みを感じた。


第四部:湖畔にて


「ジェラルダイン、様……」

「ごめんなさい、怖がらせてしまって」

 私はクリスタベルにそれ以上近寄ることはせず、言葉を続けた。彼女を傷付ける意思がないことを示すためであったが、クリスタベルの様子は変わらない。用心深くなるのも当たり前だ。この夜の湖畔には、今私と彼女の二人しかいないのだから。

「何か御用でしょうか……?」

 警戒したままクリスタベルは問うた。私は胸に痛みを感じたまま、できるだけ落ち着いた声で言う。

「貴女が私を恐れているのは分かっています。だから、その理由を話してはもらえないかと思って」

 私はクリスタベルから目を逸らした。彼女の私を映す怯えた瞳を見ているのが辛かった。私は湖の静かな水面をぼんやりと眺めながら、続ける。

「私は、自分でも知らぬうちに貴女を傷付けてしまったのでしょう。申し訳ありません。私自身、私の体に起きている変化に戸惑っているの」

 クリスタベルが少しだけ警戒を解いたように私には見えた。一歩だけ彼女が私に近付く。

「ジェラルダイン様、その、ご病気か何かなのですか?」

 彼女の目に心配の色が混ざった。ああ、本当に優しい娘だ。

 私は首を横に振る。病、ある意味ではそうなのかもしれない。だがこれは普通の病と違って治すことも、私を死に到らせることもない。伝承が本当ならば、これはむしろ不死をもたらす呪いだろう。

「いいえ、そうではないの。もっと恐ろしいもの……、呪いと言えば良いのかしら」

 クリスタベルがその整った眉を寄せ、そして私に尋ねる。

「それは、貴女様の望まぬものなのですか?」

 クリスタベルの問いに、今度は首肯した。私自身どうして不死者アンデッドとなってしまったのか分からないのだ。だが私の答えに、クリスタベルは少し安心したように表情を緩ませた。

「では、昨夜の貴女様の行動は、そのせいだと考えてもよろしいのでしょうか」

「昨夜……。ごめんなさい、覚えがないの。私は貴女に一体何をしてしまったの?」

 全く記憶がない。だがしかし、それが彼女が私を恐れていた理由なのだろうか。クリスタベルは穏やかな声で語り始める。

「貴女様は私にこう仰られました。この胸に触れれば呪いが作用する。貴女の言葉を支配する、と。それからです。私は貴女様が私に対して発する言葉に抗えなくなってしまった。まるで私の意思に関わりなく、貴女様の言葉は私の行動を、言葉を支配するようでした。それが恐ろしくて、貴女様にあんな酷いお言葉を吐いてしまいました。でも、それは貴女様の意思ではなかったのですね」

 私は思い出す。昨夜、あの夢と現の中で聞いた私の言葉。それはクリスタベルに向けられたものだったのか。催眠術、それは多くの吸血鬼が持っている力だという。やはり私はそれを、無意識のうちに彼女に使ってしまっていた。私はその事実に改めて自分自身が恐ろしくなるとともに、クリスタベルに対する罪悪感が溢れて来るのを感じた。

 人の言葉に体が支配される。それは恐ろしい体験だったろう。折角親切に助けてくれた人にそのようなことをしてしまっていたことを思うと、自分自身に憎しみさえも沸いて来るようだった。

「それは、本当にどう謝れば良いのか。この森で倒れていた私を助けて下さった貴女に、こんな、恩を仇で返すようなことを……」

「そんなに恐縮なさらないでくださいませ、ジェラルダイン様。私こそ申し訳ありませんでした。貴女様がご自分の意思でなさったことではなかったのに、この城から出て連れ出して欲しいなどと酷い言葉を貴女様に向けてしまって」

 クリスタベルは言い、そして頭を下げた。どうして彼女は私の意志ではなかったと信じてくれるのだろうか。そのような虚言を吐いて、彼女に近付こうとする魔女と思われても仕方がないのに。

 それに私自身、無意識のうちにそんな呪文のような言葉を唱えている自分が怖かった。私の心までも吸血鬼化し始めている証左かもしれない。

 そんな逡巡をしていると、クリスタベルの方から優しく声を掛けてくれた。

「ジェラルダイン様、こちらへお越し下さいませ。貴女のお話を、もっと聞かせて下さい。私にも何か力になれることがあるかもしれません」

 今度は私が恐る恐る彼女に近付いた。幸い、彼女に近付いても私の心身には何も変化が起きなかった。しかし油断はできない。また無意識のうちに彼女を傷付けてしまうことがあるかもしれない。それでも私は、どうしても彼女と人として語らいたかった。

 クリスタベルが湖畔の草叢に腰を下ろした。私もその隣にそっと座る。

「クリスタベル、私はもう人ではなくなったしまったのだと思う。あの、兵士たちに襲われたことを切っ掛けにして。きっと私の姿は、もう鏡にも水面にも映らないのです」

 もしもここで湖をクリスタベルと共に覗いたところで、水面に映るのはクリスタベル一人であろう。人間である彼女と、吸血鬼である私。その間には目には見えない、大きな壁が隔たっている。

「でも、私には貴女様の姿は人とお変わりなく見えます」

 クリスタベルは私の顔を見て、そう言ってくれた。確かに私の姿を見ただけで逃げ惑う人も、恐れ戦く人もいなかった。だが私はもう自分の目で己の姿を見ることは叶わない。

「ねえクリスタベル、貴女には私の姿はどう見えるか教えて下さる?」

 私は問うた。人でなくなってから、私の外見に大きな変化があったかさえも私は知らない。クリスタベルが私の顔を見て、口を開く。

「そうですね……、まず髪は綺麗な金色です。瞳は輝くような空色で、目は少し釣り目でしょうか。鼻と口は少々小くて、背はとても高いです。ただ少し顔色は青いようには思いますが」

 それは私が最後に自分の姿を見た時とほとんど変わらなくて、少しだけ安心する。まだ見た目だけは人でいられているようだ。

「ありがとう。私の覚えている姿とほとんど変わらない。吸血鬼となっても、姿は変わらないのね」

「吸血鬼、ですか」

 クリスタベルが微かに首を傾げた。私は首肯する。

「私の予想でしかないけれど、恐らく私は吸血鬼になったのだと思う。死者が甦り、人を操り、血を欲する怪物なんてそれ以外に知らないから。まだ血を吸いたいという欲求は我慢できているけれど、いつかは我慢できなくなるかもしれない。そうなる前に、貴女たちを傷付ける前に、私はこの城を去りたいと思っています」

 もう人として生きることはできないだろう。それは覚悟している。私は太陽の下を大手を振って歩けない化け物になってしまったのだから。

「それで呪い、なのですね。でも吸血鬼から人間に戻る方法はあるかもしれません。諦めてはいけません」

 クリスタベルは前向きな視線を私に向けて、そう言った。だが彼女にそこまで迷惑を掛ける訳にはいかない。それにいつか私が吸血鬼としての本能に負けて、彼女を殺めてしまうようなことがあれば、私は自分を許せないだろうから。

「クリスタベル、貴女は優しいわ。こんな私にどうしてそんなに親身になって下さるの?」

 私は湖に映る月を見つめながら言った。何故だか、クリスタベルの方を見ることができなかった。

「色々とありましたけれど、今は私は貴女様をご友人だと思っております。話しにくいであろう事柄も私に話して下さったのですもの。友として貴女様を助けたいと思うのは当然のことです。それに貴女様が人間だろうと吸血鬼であろうと、ジェラルダイン様であることには変わりはありませんから」

「……ありがとう」

 私は思わず涙ぐんでいた。そして、まだ涙が出ると言うことに安堵する。私の中の人である部分は、きっとまだ全て失われた訳ではないのだろう。

「いいえ。貴女様とともにいると私も落ち着くのです。普段はお城から出ることもなくて、こうやってお話しする方もおりませんから、楽しいです」

 クリスタベルが私に笑みを見せる。私も自然に笑みが零れた。久々に心から笑えたと、そう思う。

「クリスタベルは良くこの湖畔に来るの?」

「ええ。毎晩のように。私、ここである人を待っているのです。婚約者なのですが、いつ帰って来るのかどうか、分からなくて」

「婚約者がいらしたのね」

 クリスタベルは頬をほんのりと赤く染めて、気恥ずかしそうに頷いた。彼女を妻とできるのだから、きっとその人は幸せ者だろう。

「でも彼は今戦争に赴いているのです。一兵士として。私には無事に帰って来て下さることをここで祈るしかできなくて」

 私は目を伏せる。そうだったのか。それは心配だろう。今起きている戦争も、一体いつまで続くのか分からない。

「貴女もまた大きな苦悩を抱えているのですね、クリスタベル。私も貴女の婚約者が無事に帰って来ることを祈らせて下さい」

「ありがとうございます。ジェラルダイン様」

 神がその意志に反して吸血鬼として甦った私の願いを聞き届けてくれるかは分からない。だが、私はクリスタベルのために何かひとつでもできることがしたかった。

 吸血鬼としてこれからどうして行けば良いのかは分からない。しかしただこの夜だけは、私はクリスタベルの友として彼女のために祈ることができた。



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