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月としっぽと肉まんと

作者: チシャ猫

 

 今夜は一段と冷え込むな……。

 そう思った途端、何か温かいものが食べたくなった。

 いつも通りの帰り道を脇に逸れて、いつもはだらしなく緩めたネクタイを首元まで締める。単に窮屈なだけで申し訳程度の防寒効果もないことに苦笑が漏れた。

 数分も歩かないうちに、薄暗い夜道の中にもの悲しげに浮かび上がったコンビニの看板が見えてくる。ポケットに入れていた手を出して扉を押し開く。金属製の取手は、かじかんだ手にはひどく冷たかった。

「いらっしゃいませ」

 大学生くらいだろうか。レジにいる女性に軽く会釈を返して、ぐるっと店内を物色する。店の立地条件が悪いせいか客の姿はほとんどない。

実は店の扉をくぐった時から欲しいものは決まっていた。それでも真っ先にレジに向かわなかったのは、ほんの少しの気恥しさが原因だ。

「肉まん一つ、お願いします」

 女性の店員さんが商品を用意してくれている間に視線をずらすと、隣の棚に暖かそうな缶コーヒーが並んでいた。

「そちらも追加なさいますか?」

「……あ、はい」

 商売上手だな、と口元が緩む。一瞬だけ目が合った彼女は、控えめではあるが可愛らしい顔立ちをしていた。思わずネクタイの結び目に手が伸びて、今まで息苦く感じていた理由を教えてくれた。

 ――俺もまだまだ学生気分が抜けていないのかもしれないな。


 コンビニを出てからすぐ近くに落ち着ける場所があったことを思い出した。冷めないうちに食べてしまおうかと思う。

 公園と呼ぶには遊具が少ないが、空き地と言うほど荒れてはいない。そんな中途半端な場所にあるベンチに腰掛ける。回りにほとんど灯りが無いためか、空に浮かぶ月がとても綺麗に見えた。

 「上弦の月、だな」

 独り言を呟きながら手に提げていたビニール袋を探る。ほかほかの肉まんが冷えた指先を温めてくれた。

 まず水気取り用に敷かれた紙をはがしてから、肉まんを真ん中でほぐすように二つに割る。するとたちまち昇ってきた湯気が白く吐いた息と同化して消えていく。たまらずかぶりつこうとした瞬間、隣から聞こえてきた声に体が硬直した。

「にぃやぁー」

 思わず跳ね上がった心臓の鼓動を抑えて首を回す。すると、どうやらこのベンチには既に先客がいたらしい。真っ黒な毛並みの猫が満月のようにまん丸い目を輝かせてこちらを注視していた。いや、正確に言えば俺の持っている肉まんを、であるが。

「まったく、驚かせるなよな」

 そうぼやきつつ、肉まんの皮の部分をちぎって差し出してやると黒猫は舐めるようにしてあっという間にお腹の中に収めてしまった。そして、

「にぃやぁー」

 ……何だよ、まだ欲しいのか?

「ほら」

 改めて観察すると、本当に漆黒と呼ぶのにふさわしい毛並みである。角度を変えて見れば完全に闇と同化してしまうだろう。そのすらりとした肢体に、何の根拠もなくこいつは雌猫であると確信する。

 そんなことを考えながら無意識に手を動かしていたら、いつの間にか肉まんが二回りほど小さくなっていた。

「にぃやぁー」

「だめだめ、もうこれ以上はあげないからな!」

 猫相手に弁解しながら残りの肉まんを一口で頬張る。黒猫は心なしか残念そうな顔をして、不意に視線を月に向けるとそのまま大人しくなってしまった。よく見ると右耳がほんの少し曲がっている。縄張り争いで負った傷痕だろうか。

 コーヒーはいつの間にかすっかり冷めてしまっていたし、ちっとも腹が膨れた気はしなかった。それでも、不思議と穏やかな気持ちになっている自分に気が付いた。



 その日から、仕事帰りにあのベンチで肉まんを食べるのが習慣になった。

 ――いつも空を見上げている、あの黒猫と一緒に。



「いらっしゃいませ!」

 いつもの店員に、最初の頃より暖かい笑顔で挨拶される。今ではすっかり常連客だ。

「はい、これ。いつものですよね?」

「ああ、ありがとね」

 肉まんと無糖の缶コーヒー。いつも通りの品を注文する前に揃えてくれる。

「ありがとうございましたっ! またお越しください!」

 ――またお越しください。

 他の客には言わないその言葉を初めて向けられたときは、柄にもなく胸が弾んだ。


「あれ?」

 いつも通りの場所に座ろうとして、いつでもそこにいた黒猫の姿がないことに気が付いた。夜空を見上げると、月の影も見当たらない。

「そうか、今日は新月だ……」

 肉まんの皮を食べているとき以外、黒猫は決まって空に浮かぶ月を眺めていた。まるで、そこが自分の帰るべき場所なのだというかのように。

「ん?」

 月の光のない闇に目が慣れた頃、それを見つけた。ベンチの上に置かれた古い鍵である。

「うみつき荘?」

 鍵に付けられた古い木製のプレートから、「海月荘」という文字がかろうじて読み取れた。

名前からしてアパートか何かなのだろうが、聞き覚えがない。

 しかし放っておいていいものでもないだろう。


「いらっしゃいま……あれ?」

 本日二度目の来店に店員さんが首をかしげる。

「ちょっとごめん、聞きたいことがあるんだけど」

「えっ!? な、何でしょう……?」

「ここらへんに、うみつき荘ってアパートか何か、ないかな?」

「うみつき荘、ですか?」

 店員さんが心なしか残念そうな顔をしていると感じるのは俺の気のせいだろうか。

「うん、たぶん落とし物だと思うんだけど」

 そう言ってあの鍵を見せる。

「ああこれ、海月(くらげ)荘って読むんですよ。すぐ近くにある木造のアパートですけど……変な名前ですよね?」

 確かに。というか、素で読み方を間違えたのが恥ずかしい。

「そうなんだ。よかったら場所教えて貰えないかな? これ届けなきゃ」

「ええ、もちろん。でもあそこって確か……」


 ――最近、取り壊されたはずなんですよ。


 店員さんが首を傾げながらも教えてくれた場所は本当にすぐ近くだった。わずかに残された支柱数本のみで何とかアパートの外見を保っている。だがそれも数日のうちだろう。

 「工事中につき立ち入り禁止」と書かれた看板を脇に敷地内に入る。仮設置された工事関係者の詰め所から漏れる明かりが、まだ人が残っていることを教えてくれた。

「すいませーん」

「……はい、何でしょうか?」

 詰め所から顔を出したのは、じきに定年かとおぼしき白髪交じりの男だった。

「これ、ここのアパートの鍵ですよね? 一応届けた方が良いかと思ったんですが、」

 と言いつつ辺りを見渡す。当然のことながら既に住人などいない。

「必要なかったですかね」

「あー確かにこのアパートの鍵ですね……。わざわざありがとうございます」

 鍵だけ渡して帰ろうとしたところ、お礼にお茶でも召し上がって下さい、と言う男性の好意に甘えることにした。

「いやー寒かったでしょう? ここんところ急に冷え込みましたからねぇ」

「本当にそうですね」

 温風ヒーターの生温かい風にかじかんだ手をかざしながら応える。すぐに出してくれた日本茶をありがたくすすっている間に、男性は鍵に書かれた部屋番号と書類を照合しているようだった。

「あーっと、この部屋の主はっと……あれ?」

「どうかしました?」

「この鍵、どこで拾われました?」

 素直に答えると、男性はますます訝しんだ顔つきで唸り出した。

「えーっと、何か問題でも?」

「っと、すいません。いえね、実はこの鍵の部屋の住人と連絡が取れなくて困ってたんですよ。家賃は来期の分まで振り込まれてるからこちらとしては問題ないんですがね。ただ……」

「ただ?」

「私財の処理に困りましてね……まさか勝手に処分するわけにもいかないし。とは言っても、私物は絵くらいしかなかったんですが」

 そう言って立ち上がった男性は、布をかぶせて壁に立てかけられていた絵を見せてくれた。

「ほら、この絵だけですよ部屋にあったのは。全く生活臭がなくて……これは何か訳ありかと勘繰っていたんですがね」

 そんな男性の話は、目の前に掲げられた絵に目が釘付けになっていたせいで半分も頭に入ってこなかった。

「これ、って……」

 そこに描かれていたのは、満月を見上げながら優雅に佇んでいる一匹の黒猫だった。

「どうということのない絵ですよ。左右の耳のバランスもおかしいし……素人目でも価値がないことは分かります」

「……この絵、どうするつもりだったんですか?」

「んーそうですね……取り壊し作業が完全に終わったら処分するしかないでしょうね。今更これだけ取りに戻ってくるとは思えませんし」

 そう聞くなり、自分でも思いがけないほど大きな声が出た。

「なら……それなら、俺に譲ってもらえませんか!?」

「いや、別に構いませんけど……そんなに気に入ったんですか?」

「いえ気に入ったというか……」

 俺はこれでも猫好きである。この絵の猫は、どこからどう見てもと俺と一緒に肉まんを食べたあの黒猫と同じだ。

「まあ何でも構いませんわ、かえって助かったくらいです。ただ、一応念のために連絡先を控えさせてもらってもいいですかね?」


 住所を書き留めてお茶の礼をした後、真っ直ぐ家に帰ろうとしてふと思い直す。


「いらっしゃいま、せ……」

「やあ。あの鍵、無事に届けられたよ。ありがとう」

 とんでもありません――そう言って照れる店員さんが、今日は一段と可愛く見えた。

「えっと、さ……良かったら名前、教えてもらえないかな?」

「え……はいっ、喜んで!」

 今までで一番の笑顔を背に、くすぐったくなるような昂揚感と共に店を出た。


 あれから一週間。あの絵をうちに飾ってから、黒猫がベンチに姿を現すことはなくなった。

 それでもコンビニ通いの習慣は変わらない。レパートリーが肉まんからあんまんに変わりつつあることを除いて。


 もう一つ、あの絵のことについて言えば――買ってきた中華まんを家に持って帰ると、知らぬ間に一回り小さくなっていることがある。

 絵から抜け出した黒猫がこっそりつまみ食いしているのだ、と俺は思っている。




「月と猫」をテーマに、地味だけどありそうな話を書こうと仕上げた作品です。

その割にリアリティがありませんね……今読み返すとよく分かります。


ともあれ、読んでくれたあなたが肉まんが食べたくなったなら、こちらの思い通りですw


同じく月を見上げる猫が登場する話に『クリーム色の恋』があります。

そっちの方が上手く書けている……はず!

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