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白昼堂々、図書室で。

作者: 野宮 志津

 かびくさい古い本の香り。簡易の鉄製本棚が立ち並ぶ図書室の書庫。最深部のここまで来る人は誰もいない。何年も読まれることもなくたたずむ本たちの上には白い綿ぼこりのベールをまとっている。

 日陰のここは涼しくて夏休み間近の暑い今日でさえひんやりしてる。立ち読みをしていた私が背もたれにして使っているコンクリートの白い柱はひときわしっとりと冷たくて気持ちがいい。

 すぐ横にある大きな窓はまぶしく輝く太陽の光がアスファルトを照らしていた。ちらりと視線を元に戻し、真っ白で少しざらざらした質感の紙に落としたインクの文字を追った。




 いま頭の中にあるのは本の中の世界の事。あまずっぱい青春の物語。この想いは、あなたは、彼は……陳腐なようでだからこそ青春の切ない想いがあふれている。そうして現実にはきっとありえないくらいの眩しさに一種の羨望を覚える。私も、恋がしたい。

「こい、したいなぁ」

 いいな、とつぶやく。縁がない私にはよけいに熱く恋い焦がれてしまう、けれど遠すぎてぼんやりとかすんで見えるものだった。実体のないかげろうのようにゆらめく、そんなもの。

 くい、と本が傾く。いつの間にかひとつの人差し指が本の上部にかかっていた。顔を本からあげるとそこには図書司書の神崎先生がいた。

「かっかんざき先生……」

 おどろく私にいつものように微笑む神崎先生。いつもはかなげな微笑を浮かべている。静かな笑顔がとても似合う先生。彼をしたう女子生徒は多い。……私もひそかに憧れてる。だからこそ、少し苦手な先生。

「なに読んでるの?」

 気さくに声をかけてきた神崎先生に緊張してしまって、黙って表紙を見せた。「あぁこれ」と新刊で入ったばかりの人気の本を手に取る。

「君もこういうの好きなの?」

「は…い、この作者の人が好きで」

 切ない恋愛話を得意とするこの著者の本は、本が出るたびに図書室を利用して読んでいた。

「そうだったね。いつも借りているよね、この人の本」

「え、なんで知って……るんですか?」

 目を見張る。どうしてそれを知ってるの? 驚いた私は思わず敬語を忘れてしまって慌ててつけたした。

「雪野さんが本を借りた時、僕がハンコ押してるから、かな」

 図書室で借りる本は貸し出しカードに記入後、図書司書ないし図書委員が貸し出しの受付をする。受付は本にはさまった貸出カードと生徒の貸出カードにハンコを押す仕事だ。

 非常にアナログだけど、自分のカードが本の名前で埋められてゆくのは楽しいし、カードが二枚目になったときの誇らしさと喜びは、アナログじゃないと分からない。




 受付はたいてい時間に割り当てられた図書委員がするけど、ときたま図書委員のいない時は神崎先生が受付をするときもある。

 この学校の図書委員は休み時間もいることが多いから、神崎先生が受付をすることはめったにない。

 それゆえにレアでなかなか会う事ができない彼を見るためだけに毎学期ごとに変わる図書委員に立候補する女性とも少なくなかった。激戦区の図書委員に選ばれた人は、堂々と休み時間も図書カウンターに居座り、ガラスに仕切られた職務室の向こうにいる神崎先生を見つめ、話すことができる特典を得られるというわけで。

 だからいつも図書委員がいて、神崎先生が受付する機会はめったにない……なんて無限ループに陥ってるのだ。ときたま先生が出てきて生徒たちと話すときもあるが、やっぱり職務中だし喋られる機会も限られてくる。

 神崎先生が私にハンコを押した回数も1、2回あったという程度。カウンター越し以外で話すこともこれが初めて、かもしれない。そういうわけでこの状況は限りなく珍しい、ということになる。

「よく覚えてますね、先生」

「記憶力はいい方なんだ」

「そうなんですか。……探し物ですか?」

「どうして?」

「こんなところにいるから」

 神崎先生はふふ、と笑って応えた。笑ってる声は穏やかなのに、なんでかぞくっと寒気を覚える。

 やさしげな笑みなのに、なんでだろう。

「ここは図書室だから僕がいるのは当然だよ」

「はぁ…そうですよね」

 とはいえ、こんな奥まで用もないのにこなくていいのに……。本のちょうどいいところを邪魔されたせいか憧れの先生に対して、ちょっと失礼な感想を抱いてしまう。

 憧れといっても熱狂的なまでに入らないせいなのか、それとも憧れすぎて少女趣味なものを読んでいるのを見られてしまってバツが悪いせいなのか。微妙なところ。



 神崎先生は鉄製の本棚に背をあずけた。まだおしゃべりは続くらしい。

 嬉しい反面困るというのはこのことで、緊張してうまくしゃべれないし、第一なにを話せばいいの? 神崎先生みたいな大人の男の人に話せるような話題なんて私もってないのに。

 困惑しながら、先生の顔をのぞきこむと白くきめこまかい肌が見えた。普段、遠くからで気づかなかったけど神崎先生は顔がいいだけじゃなくて肌もきれいなんだ。

 薄いくちびるはかすかに開いて弧を描いている。黒く長いまつげがゆるやかに伏せられ、こちらを見ていた。とてもきれいな顔。

 なんだかドキドキして、よけい声が出せなくなる。

「いつも、ここで本を読んでいるの?」

「え……」

 緊張しすぎて、ふいにかけられた言葉が耳を通り抜けてしまった。表情を読んだらしい神崎先生がもう一度言った。

「君はいつもここで本を読んでいるのかな? 図書室に入ったきり机にはよらないみたいだったから。かといって、本を選ぶ以上の時間、図書室のどこかにはいるようだったし。どこにいるんだろう、ってずっと思ってたんだ」

「……たいてい本棚の中で読んじゃうんです。今日は暑いから涼しいここで読んでて」

「じゃあ、ここにきても毎回きみに会えるわけじゃないんだね」

「えっ」

「一週間に4日は来てるよね? そんなに本が好きなら話してみたいって思ってたんだ」

 なんだか突然の言葉にいろんな意味で驚く。けれど先生はさらりと言葉を続けた。たしかに私は本、というか図書室の雰囲気が好きで……先生もいるし、多くて2日に1回は来る。でもまさか先生が気づいてるなんて……。しかもかなり正確に言い当ててるのがすごい。

「そ、そんなに本読んでないですよ……! けっこう本棚のすきまで寝ちゃったりするし!」

「へぇ、そうなんだ」

「あ!」

 週に4日来るといっても大半は本棚の隙間でぼーっとしたり寝てたりする。本なんてぺらりと気が向いたら読むくらい。だからそんなに読書家っていうわけでもないし。そういう認識をもたれてしまうと、本来の自分と吊りあわなすぎて、むずがゆくなってしまう。

 相手が図書司書の先生であることをすっかり忘れて、思わず本音を口走ってしまったのは、そういう理由があったから。後悔しても遅いとはこのことだ。

こんなことなら普段から本を読んでれば、もうちょっとマシな返答ができたのに……。軽くヘコむ。

 神崎先生は、とくに怒るわけでもなく後ろの本棚を振り返った。

「本棚のすきまって、せまいね。せまいところで眠るの好きなの?」

「いえ! 別にそういうわけで、は……うーん……そ、そうかも、しれない」

 あせって反射的に否定したあと、いやそうでもないかも、と思ってけっきょくごちゃごちゃと言う私に先生はにこにこと話を聞いている。



 きょどってばかりのいまいち要領を得ない会話の相手によくここまで付き合えるなぁと、きょどりまくりながら感じた。はんぱなく優しい人なの、単にボケてるだけ? 先ほどのことから考えると、ちょっと変な先生かもしれない。

「こんなところに挟まって眠ってる雪野さん、かわいいだろうね」

 想像しているのか、手をあごにあててクスクスとやわらかく笑う。

 ……てゆうか、結構、変な先生かもしれない。

 さっきからチラチラ出てくる仲良くもない生徒に対して観察力がするどすぎる発言は気のせいじゃないはず。ストーカー的というか。でも自分でも記憶力がいいっていう位だから他の生徒も同じように見てるのかも? どうなんだろう。

 ただそれが外れるとすると、このとてもきれいで人気のある先生は実は、ちょっとヤバい先生という可能性がとっても高くなる、と思う。

 まさかのまさかだけど。うん、気のせい……だよね。

「先生、あのお仕事しなくてもいいんですか?」

 夏休みに入っているとはいえ、受験勉強などで利用している生徒は少なからずいたりする。

 もちろん、先生目当ての女の子もいるから、神崎先生がこんなところで油を売っていていいわけじゃないだろう。本来の業務もあるだろうし。

「休みも必要だよ。それに今、誰もいないしね」

「めずらしいですね」

 開館からいち早く着てほかの生徒と会うわけでもなく、ずっとここにいたから今どれだけ人がいるとか知らなかった。利用者がひとりだけなんてめずらしすぎる。

「うん、俺と君のふたりきりなんだ」

 飄々といわれてしまうと先生相手にいけない想像をしてしまいそうになる。神崎先生と図書館の奥でふたりっきり。このちょっと変わった先生とふたりっきり。でもにこにこ笑う先生の顔はとてもきれいでかっこよくて……ストーカー的な発言も忘れそうになる。

 ……でも、本当にふたりっきりはわけないじゃん!

「でも他の先生はいらっしゃるんですよね?」

「あぁ。今日の当直の職員は僕だけなんだ」

 って本当にいないなんて思わず、びっくりした。そういえば、今朝図書職員室には神崎先生ひとりしかいなかったような気もする。なにもないし、なにかあるわけじゃ絶対ないけど……本当にふたりっきりなんだ。

 さきほどの妄想がよみがえるのを抑えてふつうに返事を返そうと務める。けれど、変な緊張が生まれて声がかすれた。

「ひとりだと大変ですね」

「そうでもないよ、君とふたりっきりになれるから」

「え、先生……?」

 神崎先生のことばに耳を疑う。うそ、妄想が本当になる、なんてありえないよね。

 さっきからちょっと変な言葉が多いとはいえ、先生と生徒だもん。司書の神崎先生はいろんな女の子から告白されても先生だからという理由でぜんぶ断ってるって聞いてるし。

 先生を見つめるしかできない私に、神崎先生が近づいてくる。無表情な端正な顔も意外とがっしりした肩も初めて見るものだった。遠くから見つめるだけのものだったはずなのに。



 今は、こんなに近い。



 先生のやわらかな黒髪が耳をくすぐる。ずっと続けてるというテニスのせいか力強い腕。先生のひんやりした体が密着している。しばらく状況をつかめずにいたけど、はっと自分の置かれた状況に気づいた。

 誰もいない図書室で、私は、神崎先生に抱きしめられている。

「せんせいっ!?」

「気づいてなかったのかな、ずっと君の事見てたのに」

「えぇ!?」

 もしかして、私いま先生に告白されてるの?

 突然のことでどうしたらいいのかわからない。まず……い、よね?!

「ずっと前から気になってたんだ。図書室にきたらずっとこもりっきりで出てこない女の子のことを。たまに俺を見てたよね、だから少しは希望を持っていいかなって思ったんだ」

「あの」

 素敵だなって見てたのは本当だし、憧れてたのも事実。

 でもやっぱりありえないでしょ!?

「なに?」

「それって神崎先生が私に恋愛感情込みの好意を持ってる、というわけじゃありませんよね……?」

「もちろん、君が好きだよ」

「生徒として、その他大勢としてですよね」

「違うよ、雪野さんだけが特別なんだ。他の生徒とは違う」

 身体にやわらかな圧力がかかって、神崎先生が抱きしめる力を強める。先生、本気なんだ……。大人から見れば高校生なんて子供といってしまえる年だよ。なのに、先生はそんな未熟な私がいいって言う。




 好きだ、と思っていた先生に抱きしめられて、さらに好きだと告白された。嬉しいはずの事態なのに、いまの私は全然嬉しくなかった。なぜか異常だ、と感じて怖くなった。

 なにも知らないから憧れてた。勝手に表面だけの神崎先生を見て、先生の性格を捏造して好きだって思ってた。実際の先生とは全然違う人なのに。神崎先生は、高校生の、自分の学校の生徒が好きだっていう人。それっていいのかな、なんだかわからないけど怖い。

 自分の感情に素直だから言える言葉。はっきりいうとすれば、世間一般の常識に頓着をしめさない人。俗にいう常識のない人間といえるんじゃないかな。それを怖いと思う私はきっと常識にとらわれるタチの人間。

 先生とは違う。

 あきらかに違う人種の先生と私が分かり合えることってない。たぶん、これから先も。

「先生、私は先生のことなんにも思ってないみたいなんです」

「本当に、そうなのかな?」

 抱きしめる力がゆるんで少し身体に隙間ができて、目があう。揺れる目をみて、私の気持ちも揺れそうになる。怖いはずの神崎先生は、悲しそうな顔もとてもきれいだったから。


 きれいな顔を持つ人って、本当に恐ろしい。

 顔の美醜で人の心を簡単に掴むことができる。中身がたとえ問題があっても。



 きっと神崎先生は私と同じで、想像していた私に恋をしているんだ。私が先生に好意を持っていたように、ほとんど話したことも無い人間を好きになるのは、自分の都合のいい性格に置き換えてしまうか、ただ外見や雰囲気が好みとか何も考えてないからだ。

「先生に憧れてました。優しそうでかっこよくて」

「今は違う?」

 顔があわせづらくて、うつむいてしまう。平凡な私が神崎先生のような人に好かれる事自体がもったいないことなんだろう。

 お互いの立場が違って生徒同士や先生同士なら、私も素直に先生の気持ちを受け止められたかもしれない。私たちは年齢が違うし、話す機会もあまりなかったから、どういう人かさえ知らない。

「私、神崎先生のことをよく知りません」

 なにより教育者の先生とその生徒の関係が恋愛関係なんて許されない。教師と生徒の垣根を越えるということは、その均衡をくずすということだから。均衡をくずしてまで平凡とはいえ、不満もないこの生活に波風をたてる勇気なんて私は持ちあわせてない。それに軽々しく先生と付きあえるほどの気持ちも悩むほどの想いももってない。

 考えれば考えるほど、神崎先生へのほのかな気持ちが冷めていくのがわかった。自分の生活を乱したくない。その程度の想い。憧れと現実はこんなにも違う。リスクを背負うよりも自分を守る方が大切な人は多い。

「それに神崎先生は、先生だから。……だから、そういうのよくないと思うんです」

「でも、俺は君のことが好きなんだ」

「せんせ……!」

「どうしたら俺のものになってくれるのかな?」




 神崎先生の言葉に絶句した。

 私は忘れていたのだ。先生は、白昼堂々生徒に抱きついてくるような人だってことを!

 獲物を狙うように見つめるまなざしに身体がふるえる。

「かんざ、き先生は……」

 生徒を好きになるんですか、とかすれる声で聞いた。

「君は俺にとっては生徒じゃないよ、もうとっくに」

「生徒じゃない……」

 神崎先生にとって生徒ではない私には、目の前のこの男の人はなんなのだろう。頭が考える事を拒否する。何回も頭の中で繰り返し、うまくかみ砕けないものを、飲みこむようにゆっくりと、理解させる。先生は、先生であることを止めたのだ。

 それは、私にとって初めて神崎先生をはっきりと“男”と認識した瞬間だった。

 先生じゃない男の人、神崎先生が抱きついてきた時点で、ううん。きっとふたりっきりで図書室にいた時点から、神崎先生はとっくに“先生”を捨てていたのに。気づかなかった私は馬鹿だ。

 “先生”というブレをとってしまえば、いま目の前の人について少しわかりやすくなった。自分の立場を考えず、自分の欲しいものをほしいと迷いなく言ってのける。

 先生という枠をとってしまえば、目の前の人は自分にとって危険な男の人……。

「私にとっては、神崎先生は……怖い人です」

「怖い人、か」

「先生がなにを考えているかわかりません」

 不思議な笑みを浮かべる神崎先生。じっと私を見つめる目はなにを思っているのだろう。落ち着くことのないと思われたどこかゆらめく笑みは今はもうない。いまのそれは男の人の笑みで。

 早く、この場から離れなきゃって頭のどこかでそう警戒する声が響く。なのに、足が動かない。目をそらせない。

「結構、分かりやすいと思うけどな」



 君のことしか考えてないから。



 先生はそう呟くと、私の唇にふれた。

いつもは読専ですが初めての小説upです。

むかーし、サイトにupしていたゆめ小説だったものを改編したものです。

わりかし分かりやすいジャンル。。お目汚しすみませんでした。

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