居場所
「それで、きみはどうしたんだい」
「外に出たいなあって呟きました」
「そしたらどうなった」
「青空が広がりました」
薬品の臭いが漂う部屋にミキトはいた。不可抗力の事故とはいえ、城の一部を破壊してしまったせいで、居場所を失ったのだ。駆けつけた兵士たちは槍を構え、ミキトを始末しようとさえした。無事でいられたのもイリスと、そして今対面しているメディクという男のおかげだ。
メディクはその容姿に見合わず、六十を越える高齢らしい。たしかに白髪ではあるが、老いを感じさせない白さだ。たぶんそれは異なった世界にいるからだろう。元の世界の常識は、ここでは通用しない。
彼は医師であると同時に、子供たちに魔法や勉学を教える教師でもある。この国にいる三分の一の住人は彼の教え子ともイリスに教えられた。
「どうなんですか、先生。ミキトは魔法を使えるんですか?」とイリス。
ミキトの起こした破壊行為は、魔法の発動によるものだと判断された。ただミキト自身にその自覚がないのと、彼を見た人間が彼に魔力を感じなかったため、もしかしたら別の力が働いた可能性も考えられた。なによりミキトは別の世界の住人だ。この世界の常識は通用しない。
「なんとも言えないね。魔法は知識がなければ使うことができない。魔法の存在を認知していても、魔力の扱い方を知らなければやはり使えない」
「じゃあ、どうして」
「イリスくんの言ったことが正しければ、ミキトくんは他所の世界の人間だ。もしかしたら、まだ魔力に色や形がないのかもしれない」
「どういうことっすか?」ミキトは訊いた。
「魔力というのは、普段は目にすることができない力だ。ただ技術があれば、その色を見たり、その形を知ったりできる。逆のこともできる。気配を消す感覚に似ているね、それは。ただどんなに技術があろうとも、魔法を発動するときは魔力の反応が出てしまうものなんだ。きみにはそれがない。まだきみの魔力はこの世界に適応していない可能性がある」
「じゃあ、つまり時間が経てば、普通の人と同じになれるんですよね?」
「難しいな。思っただけで魔法を使った人間に僕は出会ったことがない。本当に思っただけで自動的に発動してしまうのなら、日常生活に支障をきたすレベルだ。どこか別の場所に隔離した方がいいかもしれない」
「そんな……」
イリスがリアクションをとるので、ミキトは平然とメディクの話を聞いていられた。魔力の話はどこか憶えのあるような気がしたが、思い出すことができなかった。
小腹が空いていたので、出された飲み物に手を出した。色や臭いは紅茶のようだけで実は違う飲み物だという恐れを抱いていたけど、ただの紅茶だった。美味しいとは思えなかったが。
「でも今のところは隔離をしない方がいいかな」
「じゃあ、私がミキトの面倒を見ます」
「うん。僕は概ね賛同するよ」
「なにか問題が?」
「イリスくんは姫様だからね、常時ミキトくんと一緒というのは、誰も賛同してくれないと思うよ。彼はまだ僕たちにとって危険因子に変わりないんだから」
「そうですよね。たしかにそれは想像できます」
「ミキトくん」
「はい!」いきなり話を振られて、ミキトは焦ってカップを落としそうになった。
「寝泊まりは僕の部屋でしなさい。部屋といってもいくつかの部屋が合わさったところでね、空き部屋があるんだ。そこを使うといい。できるかぎり魔法について教えよう。きみに必要なのは、危険だから隔離するのではなく、まずは基礎を憶えて制御を知ることだと僕は思う。どう?」
「よ、よろしくお願いします!」
「やったね、ミキト」
ミキトにとって願ったり叶ったりの展開だ。下手に城下町に住むことになったら、それこそ生きることが大変だっただろう。まず自分に必要なのは、この世界の環境に慣れることだと思っていた。寝泊まりできる場所をもらえ、なおかつ魔法について勉強できるのなら断る理由はない。
「僕が仕事でいない日中は、イリスくんといるといい。彼女といればこの国から攻撃されることはないし、あらゆる施設に自由に出入りできるはずだ」
「便利だなあ」
「ものじゃないからね、私はっ」
「わかってるって」
「それにイリスくんもミキトくんを案内するという名目で、町に下りられるかもしれないね。その場合護衛が一人くらい付きそうだけど」
「その手があった」イリスは両手が合わさり、音を立てた。
「まずは城内にある図書室に行くといい」
「そのつもりです」
「ミキトくん、なにか質問は?」
「いえ、ないです。ありがとうございます」
「僕からは、あとこれだけ」
そう言って、メディクは壁にかかっていた白衣をミキトに渡した。薬品の臭いがついているが、汚れはない。
「なんですか?」
「きみの格好は目立つからね。とりあえずそれを羽織っておきなさい。それを着ておけば、僕の助手になったといえば、問題は起こらないはずだ」
「なにからなにまで……感謝です!」
「僕もきみで異世界について知られるからお互い様だよ。感謝の言葉なんていらない。さっきの『よろしく』だけで充分だ」ミキトの肩をポンと叩いてから、メディクはイリスを見た。「城内の案内もよろしくね。とりあえず一人で僕の部屋まで帰ってこられるようにはなって欲しいからね」
「わかりました」
「それじゃあ、解散。国王たちには僕から話しておくよ」
ミキトは立ちあがって、イリスと頭を下げた。そして白衣を着て、部屋の外に出た。
部屋の外はメディクの部屋と比べて数段に明るい。照明の数に雲泥の差があった。照明類は蝋燭であり、その担当の係がいるらしい。火を点けたり、短くなったものを取り換えたりするだけだが、その係の人間は二十人を越えるという。こまめに城内をくまなく見回らないといけない大仕事なのだ。
なにもかもが規格外な場所。庶民の家で過ごしてきたミキトには、刺激が強過ぎる場所でもあった。
二人は図書室に向かって歩き出す。通路も二人並んで歩いても邪魔になることはない幅がある。まるで二車線以上の車道を歩いているかのようだ。
「メディクさん、いい人だったでしょ」
「あんな人もいるんだなあ。怒らなさそう」
「怒らないからこそ怖いんだよ」
「そうか?」
「そうだよ」
広く長い廊下、階段を進んでいると、当然ミキトの存在は目立った。金髪が多い中、一人だけ黒髪なのだから仕方ない。日本で髪の色の違う外国人を見るのと同じようなものだ。わかっていてもやはり視線は気になってしまった。
城内には子供があまりいない。大人ばかりだ。
「そういえば、イリスって何歳なんだ?」
「私? 私は十七だよ」
「今年で?」
「うん」イリスは頷いた。
「じゃあ同い年だ」
「ほんとに? 嬉しい」
「嬉しいの?」
「私、同年齢の友達っていないの。一つ上や一つ下ならいるんだけど」
「学校とか……あ、そうか、行かなくても来るのか」
「そうなの。だから学校って行ったことがないの」
「やっぱりお姫様なんだな」
知り合いの顔とそっくり過ぎて、あまり実感はなかった。この世界の環境に慣れることがあっても、イリスに慣れることは難しいだろう。どうしてもカコと重なってしまう。イリスをイリスとしてきちんと見られる日が訪れればいいが。
意識が戻ってから、もうどのくらいの時間が経っただろうか。元の世界と同じように時間が流れているのなら、騒ぎになっているころだ。神隠しの七人目の被害者として、世間を賑わすことになるだろう。
胸がぎゅっと締めつけられた。
「着いたよ」
そうこうしているうちに、図書室に到着した。