表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編集

囚われの男

 降らないはずの雪が降ったのだ。誰も言ってくれなかったんだ、雪が降るなんて事。ここで雪が降ったのは、あの日以来の事だったのだ。見なれぬ青白い絨毯のような道。足跡一つ無いのは、まだ夜明け前だから。夜と朝の狭間だから。どうして僕は、こんな天気の日に限って早く起きてしまうのか。

 群青の空。全てが淡く群青に染まっている。雪だけがただ青白く光る。あの日もそうだった。鮮やか過ぎる記憶は、自分を静かに傷つけるだけだというのに、身に沁みついてしまった。進んで思いだしたことなんてないというのに。あの日以降の日々は、年月相応にぼんやりと消えかけているというのに。


 いっとう鮮明なのは緋。


 そう、群青でもなく、光る青白さでもなく、緋。黒く濁った赤。絵具じゃ作れない。血液の緋。


 どうしてと聞かれて、分かるような、答えられるような、そんな単純な動機なら、きっとあんなことしなかった。サバイバルナイフが緋で覆い固まるまで、手を振りかざしたりはしなかった。


 何がしたかった?何がしたかった?何がしたかった?ねぇ、僕は何がしたかったの?


 先が見えない迷路のような、動機。考えれば考えるほどに、だんだんと輪郭を無くす。掴めなくなってゆく。ああ、どこかに行ってしまいたい。全て忘れてしまいたい。鮮やか過ぎる緋も、離れない群青と光る青白さも。人々の怯えた顔も、鏡に映らない内なる狂気と恐怖をも。全部。


 今日もまた、悪夢が襲ってくる。



******************


「あの死刑囚はまた窓の外を見てるのか?」

「ああ。刑務所(ここ)に来てからというもの毎日だな。もう三カ月以上になるぜ?」

「ずっと雪ばっかりなのにな。毎日毎日。寒くないのかよ」

 暗い牢屋の間を渡りつつ、男たちは自分の腕を寒そうにさすっている。彼らが蔑んだような目で睨んだのは、ずっとずっと窓に張り付いている、無差別殺人犯。道行く人を次々とサバイバルナイフで刺した、少年のような男。

「寒さとか、分かんないだろ。罪悪感で」

「罪悪感で」

 彼らはニヤリと笑った。しかしその後は、それ以上の興味を無くしたように、彼らは世間話をしだした。彼らにとっては風化する話題。いつか処刑される男、遠い男の話。


 暗い牢屋がずらりと並んだ間を、彼らは抜けてゆく。ひたひたと足音が響く。会話をする小声が響く。寒々しい鉄格子。色のない世界。ただ、記憶の中にだけ、いやに鮮やかな色彩が広がっているのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ