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ハムスターさえ養えない男  作者: SEI
パチンコ屋に入り浸る男
4/9

気にしない男


 早朝のJR中央線、車内はスーツ姿のサラリーマンや学生服の若者で溢れていた。過乗車としか思えない人の群れがぎゅうぎゅう詰めに押し込められ、呼吸をするのも困難である。つり革につかまる事さえ難しい車内で俺は場違いな私服でその群れに押しつぶされていた。改めて思う……こいつら毎日毎日よくこんなストレスに耐えられるな、と。

 俺には絶対に無理な事だ。事実俺には無理だった。かつて俺も普通に働いていた時期があった。高校からエスカレーターで入った大学はそこそこにレベルの高い大学だったので就職活動も楽に進み、いわゆるサラリーマンというやつに俺はなった。

 自分でも思うが、あれは早かった。しかし五月病という言葉があるように普通の事なのだろうか? 結論から言えば一ヶ月で辞めてやった。

 その仕事が合わなかったとかやりがいが見付けられないとか、そんな理由は何もなくただ俺には……そう単純に無理だった。

 魚が空を飛ぶ事が如く、俺が働くという事は不自然な事。そんな不自然な環境で無理して生きる事は不可能な事。

 そう自分で悟った。そしてこの生き方に身を任せた。

 電車がとまり、乗車口の扉が開いた。今日の目的地上野駅に到着だ。

 今日は一日、月に一度のビッグイベントだ。上野は東京で最も熱いと言っても過言ではない地域で俺は月に二、三回の頻度で此処に通っている。

 駅をおりてホール前に着くと、早くも四百人近い行列が出来上がっていた。

 相変わらずすごい行列だ。平日の朝っぱらからよくこんなに集まるものだ。

 自販機で買った缶コーヒーで暖をとりながら、その行列に並ぶ。

 抽選が始まるまでまだ時間がある。暇つぶしに、と携帯を取り出すとちょうどメールを着信した。

 スロ友の石川からだった。石川は俺と同じような生活を送っている同業者だ。

『今日来てる? 俺ケバブのあたり並んでんだけど』

 俺は少し背伸びをして石川の姿を探してみた。ケバブの店はホールのすぐ前なのでほぼ先頭にいるという事になる。

 さすがに四百人挟んだ前方にいる石川を見つける事は不可能だった。

『当たり前、今着いたとこだ』かじかむ指先で携帯に打ち込む。すると一分もしないうちに『だな笑、抽選引いたらコンビニで待ってるよ』と返信がきた。

『了解』と送り俺は携帯を閉じた。



 四百人居た行列は徐々に進み、やがて俺の抽選順番がやってきた。

 ニコニコと不自然な笑顔を振りまく店員に促され抽選を引く。

 さあ、何番だ? 俺は若干ドキドキしながら番号を確かめる。

「ぎえ!」思わず奇声をあげる。

 朝起きは三文の得? ……やれやれだ。

 引いた整理券を静かに握り潰して、俺は石川の元へと向かった。



「よう、どうだった?」コンビニに着くと石川は開口一番にそう尋ねてきた。

 俺は無言で整理券を取り出し石川の眼前につきつけた。

「五五七番!?」石川が吹き出し笑う。「それほぼ最後尾じゃねえか?」 

「そういうお前はどうなんだよ」ムッとしながら尋ねる。

「いっひっひ〜三十番」

 意地の悪い笑いだった。このやろう……

「石川、相談がある」

「ん? なんだ?」

「それ交換しようぜ」

「はあ? そんなのだめに決まってるじゃねえか」

「良いじゃねえか、どうせ女に貢がせてたんまり金持ってるんだろ? それぐらい俺に譲る度量を見せてくれよ」

「おいおい譲れる訳ないだろ、それより俺何打ったら良いと思う? この番号なら緑ドンも打てるよな、お前どう思う?」

「ああ、打つなら緑ドンだ、俺が打つからそれを俺にくれ」

「しつこいよ、その話。っていうか……もしかして本気で言ってる?」

「ああ本気だ、緑ドンが打ちたい」

 俺は石川が持つ整理券をひったくった。

「あ! てめえ! なにすんだよ!?」

「俺は緑ドンが打ちたい!」

「お前いい加減にしろよな!」

 石川が怒声を荒げた。本気で怒っているようだ。まあ当たり前か、三十番という番号は喉から手が出る程貴重な良番だ。だが、だからこそ俺も諦められない。なんとしても……! それに俺には勝算もある。

「これまでお前には色々と良い情報まわしてやったよな」

「はあ? なんだよ突然」

「いやなに、店の養分で借金浸けだったお前を救ってやったのは誰だったかって話さ」

 石川はぐっと息を詰まらせた。

「そう、おれだよな? 二百万あった借金も返す事ができた。あまつさえ仕事を辞めて専業にもなれたんだ。すごいよなー誰のおかげだ?」「

「……そりゃお前には感謝してるけ……」

「いいのか?」石川の言葉を遮り俺は疑問を投げかける。

「え?」

「専業になってもう自信満々か? これから自分一人でやっていけるのか? どう思ってるんだ? 俺はお前なんか目じゃない程に情報持ってるんだぞ?」

 そう、これが俺の勝算だった。石川はどうあっても俺には逆らえないのだ。

「もう一度言うけど、俺は緑ドンが打ちたい。どうする?」

 迷うまでも無いだろ? と目で圧力をかける。

「……わかったよ」石川は力なくそう言った。

 ああ、やっぱり早起きは三文の得だったな、いやWhere there is will, there is a way(意思あるところに道は通じる)か。ニヤリと笑い俺はそう思ったのだった。



 結論から言えば今日の稼働は最悪だった。ああ、どうして今朝の俺はもう一つ隣の台に座らなかったんだろうか、意味の無い後悔だけれど悔しくって仕方が無い。

 石川から交換して(奪い取って)手に入れた整理券で無事に緑ドンを打つ事は出来た。しかしピンポイントで低設定の台に座ってしまったようだった。

 石川の方も良い台を稼働させる事が出来なかったようで、夕方六時の時点で二人して十万近く負けていた。

 今日はもうまともな稼働はできない、そう判断して二人は駅前の居酒屋に来ていた。

「もう今朝みたいのは勘弁してくれよ?」石川がビール片手に愚痴をもらす。

 今朝の事……俺が石川の整理券を奪った事だろう。

「ああ、わりいな」ビールで喉を潤しながら俺は淡々と謝った。

「三十番なんて番号、滅多に引けないから、つい……な? まあどっちにしろ負けたんだからそんな気にすんなよ、な?」

 我ながらなんて身勝手な言い分だろうと思い、自嘲的に笑みで口角があがってしまう。

「……はあ、今日は勝ちたかったのに……はああ」石川はやたら実感の伴った溜め息とともにそう言った。もしかしたら負けが込んでいるのかもしれない。

「まあ、そんな落ち込むなよ、はれ、携帯見てみな?」

 俺は机上に置かれた石川の携帯を指差し、そう言った。

「なにこれ? おお!」

「俺が集めたここ近辺の最新データだ。わかんない事あったら何でも聞いていいぞ?」

「す、すごいなこれ……ふむふむ、A店はガックンが利くと、え、B店はそんな法則があるのか……ふむふむ、なるほど、勉強になるな」

 石川は俺が送ったデータをしげしげと眺めながら確認するように独り言を続けた。基本的に真面目な奴なのだ。そして真面目にやらなければこの世界で専業などやっていけない。その意味で石川には才能があるといえる。

 しかし……、俺はさっき見た石川の溜め息を思い出していた。

「なあ、最近ちゃんと勝ててんのか?」

 俺らしくもなく少し心配になったのだ。せっかく俺が教えてやってるのだし出来るなら気分よく勝たせてやりたいと思う。

「う〜ん……全然だな、先月はちょっと色々あって稼働日数が少なかったから全然稼げてないんだ」

 石川は携帯から目をあげる事無くそう言った。そして

「最近彼女と別れて、な」と続けた。

「ははは、愛想尽かされたのか」俺は笑ってそう返した。

「いや〜それが面倒な事になって……。てか俺が振ってやったんだけどな」ちょっとムッとしたようだ。

 話を聞いてみるとその彼女は石川にベタ惚れだったらしい。ダメ人間が好きという女は確かに存在する。『蓼食う虫も好き好き』このことわざは本当なのだ。

 そしてその女は石川に結婚を望んで仕方がなかったらしい。

 この石川、実はかなりのプレイボーイで何人もの女と楽しくやっている。彼女とも本気で付き合っていた訳ではなかった。

「別にそんな好きでもんかったんだけど、あいつ金回りが良くってさ。それにちょろっとひっかけたら簡単に落ちたからラッキーくらいに思って付き合ってたんだけど……」

「だけど?」

「……その彼女に子供が居たんだ」

「ほほうっ」俺は目を丸くする。「子供かよ」

「笑えるだろ? 俺今までそんな話一切聞いてなかったってのによ。で俺その事知って、キレちゃってさ」

「思わずひっぱたいて別れたんだわ」

 石川はゴクゴクとビールを飲み干して、あっさりと言い放った。

 その後もその彼女と色々と一悶着があったらしい。しつこくまとわりつかれてストーカーじみた事になったらしい。「精神的にも肉体的にも先月は最悪だった」と石川は疲れた声でそう言った。

「そりゃ……確かに大変だったな。まあ、お前は悪くねえよ。にしても子供か……年はどれくらいだったんだ?」

「う〜ん写真しか見てないんだけど結構大きかったな。名前……なんだっけな、確かせ?しいか? だったか……もう中学生くらいの年だったろうな。

「その彼女ってお前の三つ上、ああ俺と同い年だっけ? ってことは三十三才だから……」

「うん、多分十代で産んだんだろうな」

「すごいね」俺は肩を竦めて両手をあげ、手の平を天井に向けた。

「まあ先月はそんな感じで忙しかったんだよ、あ、すいませーんビール追加で!」

「あ、追加二つくれ」

 通りかかった店員にそう言うと「はい、かしこまりました」と快活な笑顔で言って去っていった。

「お前の方は最近どんな感じ?」石川が尋ねてきた。

「俺か……最近、ねえ」

 俺は腕を組んで思案に耽った。優とはもう長い事会っていない。今までは毎日のように電話してきたり、家にやってきたりとしていたのに。なにがきっかけだったのかわからないがおそらくは……。

「別れた……っていうことになるかな」

「ふうん。愛想尽かされたか」石川は俺がさっき言った言葉をそのまま言った。

「まあ、たぶんね」その言葉はおそらく事実で、俺は言い返す気も起きない。

「あ、でも最近妙な事になってさ……変な奴と同居してるんだ」

「へえ、手が早いな。っで、変な奴ってどんな?」

「う〜ん……十代の女と同居中」

「ふうん、そうなん……ってええ!! なっええ!! 十代!?」

 石川の顔が驚きの表情に歪み大声をあげた。そしさらなる追求をしようとしてきた時、店員がやってきてビールを二つ置いていった。

「それってどんな状況だよ!?」

「う〜ん、それがだな……」

 俺は新たに来たビールに口をつけながら、話を続けた。程よくアルコールがまわっていたのだろうか。

 自分の話し口調がやたら饒舌なのに……つまり自分がとても楽しそうに話している事に気付いた。

 俺はあのガキの事を結構気に入っているのかもしれないな。

 星香と会ってからの一部始終を説明すると石川は眉をひそめて妙に真剣な口調でこう言った。

「それで……?」と

「それでって……それだけだけど?」俺は首を傾げた。

「それだけな訳無いだろ? その子の家族は? 年は? 学校行くような年齢じゃないのか? いやそんな事より、そもそもなんでその子はお前んちにやってきたんだ、その子は?」

 ……言われてみれば、俺は今言われた疑問にひとつも答えられない。何も知らない、興味が無いから何も聞いてこなかった。俺はただ、便利な優の代わりが出来たくらいにしか考えてこなかった。

「それってやばいんじゃない?」……そうかもしれない。

「家の物盗まれて来えるかもしれないし、何かの犯罪に使われてるのかも、何があるのかわからないけど普通じゃないよ」

「お前はめられてるんじゃないか?」

 そんなバカな、確かに石川の言葉を何一つ言い返せはしない、だけど……。

「だけど、あいつはそんな奴じゃない」

 そう、そんな訳ない。いつもおどおどと借りてきたネコのようになっているあいつが、なんでも俺の言う事を聞く従順なあいつが俺を騙している訳がない。

「なんでそんな事言えるんだよ?」

「なんでって……」

 俺は頭をひねる。しかし

「なんでだろうなあ……」

 考えてみてもわからず、俺はそう誤摩化すしか出来なかった。

「はああ……」

 石川の呆れるような溜め息が、なんだか異常にムカついた。


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