ハムスターさえ養えない男
ハムスターさえ養えない男
「もうこりごりよ! うんざりだわ!」
突然の事だった。今日は優(俺の恋人)が俺の部屋に来ていた。洗濯やら掃除やらと身の回りの世話をしにやってきていたのだ。そんな優を尻目に、俺はテレビゲームに熱中していた。スパイスーマンというアクションゲームでまさに今ボス戦で銃やら剣で戦っている時。
そんな時、突然この言葉を吐かれたのだった。
ゲームにのめり込みながらも優と適当な話をしていたはずなのだが、さて何の話をしていたのだろうか……。思い出そうと頭をひねるがまるで思い出せなかった。
俺は優の顔を覗き見た。目がつりあがり顔が紅潮している。その鋭い眼光は俺を捉えて離さない。かなり怒っているのがわかった。
「いいかげん就職しようと思わないの!? 私たちもう三十三だよ? いつまで無職でいるつもりよ!?……もう、しっかりしてよ!」
そういえば……言われてみればそんな話をしていたかもしれない。適当に相槌をうっていたはずなのだが何を突然キレているのだろうか。
俺はそのまま疑問を口にした。
「あのさあ、なんでいきなりキレてんの? 突然すぎて訳わかんないんだけど」
「突然じゃないでしょ! もう何回……ううん。何十回も話してるじゃん!? なのに聖ったら全然話きいてくれないんじゃん!」
「いやだからさ、そうじゃなくて何で急にその話になって勝手に一人でキレてるんだって話だよ。そんな話また今度でいいだろ?」
俺は心底うんざり、といった様子で返事を返した。
スタートボタンを押してテレビ画面に視線を戻しゲームを再開させた。
……やばいな、体力が無くなってきた。などと熱中してボタンをカチカチと鳴らせていると優が横から手を伸ばしてきた。
「いい加減ゲームなんか辞めて話聞いてよ!」
「ちょっちょっと待てよ! 何すんだよ!」
「いい加減にしないとゲーム消すよ!」
優の指先がリセットボタンへと添えられた。
「おまえ……ッ!」
俺は鋭い目で優を睨みつけた。しかし優は折れるつもりがないようで力強く視線を返してくる。
「……あーあーわかったよ。なに? なんなの?」
諦めてコントローラーを脇に置き、不機嫌な顔を隠そうともせずに優に向き直った。
「これからの事どう考えてるの?」
「これからって?」
「就職の事に決まってるでしょ!」
優がバンっと机を強く叩いた。
「ちゃんとやってるよ。話はそれだけ?」
「何をやってるの?」
「は?」
「ちゃんとって何をやってるの?」
「何をってそりゃお前……」
俺は言葉に詰まった。なにせ就職活動たらは何もやってない。なにせ就職するつもりなどさらさらないのだから当然だ。
「お前には話してないけど、俺は俺なりに色々とやってるんだよ」
「嘘でしょ」
優はぼそりと小さな声で、しかし妙に力強い声で囁いた。その瞳は相変わらず真っ直ぐ俺を捉えて離さない。
その真剣な眼差しに思わず「まあね」と本音を言ってしまいそうだった。まあ言わなくとも嘘だとバレているようだが。
「何なの……何で? もう私聖が何考えてるのか全然わかんないよ」
優の瞳は今にも涙がこぼれてきそうだ。
「あの、さ〜前から言ってる事だけどさ、仕事ってやりたい事やらなきゃ続かないと思うんだよね。実際俺そうだったじゃん? やりたくもねー仕事だったけど単に採用されたからって理由で働いて。そんなんじゃ意味ないだろ? だから本当に好きになれる仕事探してるを探し……」
「いい加減にしてよ!」
俺の言葉は優の怒声にさえぎられた。
「もう一度言うけど私たちもう三十三才なんだよ!? そんな事言ってる余裕なんか……! ちょっとは……ひっく……真面目に考えてよ……」
優はとうとう泣き出してしまった。ぽろぽろと涙が頬を伝い床に落ちてゆく。
自分の彼女が自分のせいで涙を流している……そんな状況にあっても俺の頭の中にあるのは(ああ……面倒臭い……)という事だけだった。
はあ、思わず溜め息がこぼれた。
俺は仕方なくティッシュをたぐり寄せて優の涙を拭ってやった。優の瞳からは、こんなに涙が出るのか? と驚く程に涙が溢れてくる。
「ひっく……ひっく……」
やがて優は少しずつ落ち着きを取り戻したが目頭を押さえたまま俯って動かなかった。
「……私、お見合い……しようと思うんだ……」
優がぼそりとそう言った。
「はあ?」
「相手は三十五才でね、豊多自動車の営業部長なの。年収は一千万くらいあるんだって、会社でも期待されてるらしいの、優しい人らしくてね、それから……」
優はからくり人形の如く淡々とお見合い相手の経歴を喋り続けた。
聞いてもいない事をぐだぐだぐだぐだと……俺はそれを聞いていてイライラが募って仕方がなかった。
「なあ!……いい加減にしてくれっかな。俺が回りくどいの嫌いだって知ってるだろ? 何? 何が言いたい訳? 俺にひき止めて欲しいわけ? その相手と俺を比べてやる気にさせようとか考えてんの? は! うざっ。お見合いでもなんでも好きにすりゃ良いじゃねーか、勝手にしろよ」
「…………ッ」
優はビクっと全身を萎縮させ、俯いていた顔をあげると俺の顔を頼りなく覗き込んできた。涙を流し続けたせいで目蓋が腫れぼったく眼球は充血している。
「なんだよ」
「私……聖の事本当に好きだったよ。働かないで、毎日遊んでばっかで長所なんて見つけるのも大変なくらいなのに……でもなぜだか好きだった……」
一呼吸おいて優は静かに言った。
「だけど、もう終わりだね……」
優がすっと立ち上がる。まるで幽霊のように存在感が希薄だ。そして音も立てずにするすると歩き部屋から出て行った。
キキーバタンという扉の無機質な音が響き、俺は一人部屋に取り残された。
「これ……邪魔なんだよな」
部屋の片隅にハムスターのゲージが置いてあった。一月程前に優がどうしても欲しがったので仕方なく飼い始めたのだ。
ふと覗き込むと……
ハムスターは死んでいた。そう言えばもう四、五日……一週間くらいエサも水もあげていない放ったらかしの状態だった。
「優にもちゃんとエサやってれば良かったのかな」
俺はそう呟くと、何事も無かったかのようにテレビゲームを再開させた。