弱った女を口説く男より王子の方がましだと思うんだけど
あいかわらず筆が滑りまくってます。すみません。
王都の中心通り。
令嬢たちに人気のカフェは今日も盛況だ。
午後の陽が傾いて、テラスの白い卓にも影が伸び始めていた。
ミルリーフ亭は令嬢たちの情報交換の場でもある。
テーブルの上の紅茶はすでに冷めていた。
「私思うんだけど」
「何?」
アネリーゼは銀の匙で冷めた紅茶をかき回しながら続けた。
「婚約破棄されて隣国の王子に求婚されたり、辺境伯に可愛がられたりするのはいいんだけどさ。それっておかしくない?」
「どこが?」
「だいたい、振られたばかりの女の子にいきなり言い寄るのはどうよ」
「言い寄るって」
「想像してみて。町で彼氏に振られて泣いてる女の子がいたとして。その女の子の肩に手を置いて『俺にしとけよ』って、どう考えても体目当てでしょ」
「言い方」
ブリジットはそう言って焼き菓子をひとつ取って、割った。断面からドライフルーツが覗いている。よかった。嫌いなレーズンじゃない。
「それで女の子が、『素敵!』とはならないでしょ?」
「ならないわね。なんならひっぱたく」
「それに、そもそもスペックは王子の方が断然上でしょ」
「それはそうだけど、でも性格が悪いじゃない」
アネリーゼの匙が止まった。
「悪いって言っても、あざとい女に騙された純情ボーイとも言えるじゃない? ようはただの馬鹿なんだけど。でも、女の弱みにつけ込む男より、よっぽどいいと思うわけ」
ブリジットは焼き菓子の欠片を皿に戻した。
「そういう見方もあるのか。まあ、そういう気弱な王子を許して無双する令嬢もいるんだけどね」
「本当は令嬢が一番強くて賢かったっていうパターンね。でも、最初の時点で浮気されてると、ほんとに優秀だとは思えないのよ」
「またそんな」
「優秀な人間は兆候の段階で気づくでしょ。浮気が成立してる時点で、観察力か判断力のどっちかに欠陥があると思う」
「あんた何の査定してるの?」
「査定は大事でしょ。一生の問題なのよ」
テラスに風が通った。ミルリーフ亭の看板が軋む。
「じゃあ聞くけど」
ブリジットが紅茶を一口飲んだ。冷めていることに、今さら気づいた顔をした。
いったい何時間いるのだろうと思ったが口には出さない。
「あんたの査定基準だと、どういう相手ならいいの」
「えっ」
「婚約破棄からの王子はダメ。辺境伯もダメ。泣いてるところに声をかけるのもダメ。じゃあ、どうやって出会うのよ」
アネリーゼは匙を置いた。
紅茶の表面が、小さく揺れて、止まった。
「……条件を整理すると」
「すると?」
「いない」
ブリジットは二つ目の焼き菓子を取った。
「知ってた」
「知ってたなら早く言いなさいよ」
「言ったら面白くないでしょ。あんたが自分で気づくまで待ってたの」
給仕がグラタンを運んできた。火曜日のミルリーフ亭はグラタンがうまい。理由は知らない。ブリジットが言うのだから、たぶん本当だ。
アネリーゼはフォークでグラタンの焦げ目を崩した。チーズが糸を引く。
「だいたいここはナーロッパでしょ?」
「自分で言うな」
「中世ヨーロッパなら日本人の知識で無双できるんじゃね? でも中世ヨーロッパを書くには知識が無さ過ぎるし、かと言って調べるのも面倒くさい。だからここはナーロッパね。ジャガイモやマヨネーズごときでガタガタ言うなっていう、作者の怠惰と煩悩が生み出した世界でしょ」
「あんた殺されるわよ」
「誰に?」
「世界に」
アネリーゼはグラタンを一口食べた。うまい。ジャガイモが、うまい。
「だったらさ。王族に奥さんが何人いてもいいはずよ。すぐに男を乗り換える女のくせに、なんでそこだけ潔癖なの?」
「だって読んでる人間には現実の彼氏すらいないから」
「あんた殺されるわよ」
ブリジットは水を飲んだ。まったく悪びれていない。
事実ですが何か問題が?とでも言いたげだ。
「まあ、いいわ。ここからが本題ね」
アネリーゼはグラタンのチーズをフォークに巻きながら言う。
「これからの令嬢に求められるのはね。肝っ玉よ」
「肝っ玉?」
「ええ、肝っ玉母さんよ。あんたも好きでしょ? 大家族のドラマ」
「いや、母さんって言ってる時点で、それもう令嬢じゃないから」
「そういう豪胆さがこれからの令嬢に求められるって事。王子が新しい女を連れて来ても『また好きな子ができちゃったの?やだ、子供までいるじゃない。まあいいわ。家族は多い方がいいもんね。みんなで仲良くやりましょ。ガハハハ!』これよ」
「これよ、じゃないわよ」
「奥さんの一人や二人増えたからって、これからの令嬢はオタオタしないのよ。全員王妃にして、嫉妬や策謀や派閥争いを楽しむくらいじゃないとね」
「もうそれ源氏物語じゃない」
アネリーゼのフォークが止まった。
「あんたよく知ってるわね。あんな極東の島の書物まで読んでるなんて」
「いま令嬢のあいだで流行ってるのよ。中には『私も小さな男の子を自分好みの王子に育てるわ!』って言ってる令嬢もいるんだから」
「色んな意味でヤバいわね。この国の令嬢」
ブリジットは三つ目の焼き菓子に手を伸ばした。今日はよく食べる。
「でもまあ、気持ちはわかるけど。アラサーの私たちにそんな時間はないのよ」
「急に現実に引き戻さないで」
給仕が近づいてきて、グラタンのお代わりを訊いた。
アネリーゼだけが頷いた。
ナーロッパのジャガイモは、批評の対象にするには、少しうますぎた。誰か分からないが、ナーロッパにジャガイモを持ち込んだ人間に感謝するしかない。
* * *
三日後。
王宮の大広間は、ミルリーフ亭の百倍広くて、百倍居心地が悪かった。
正面に婚約者の王子。その隣に、見覚えのある女。
背後に並ぶ廷臣たちの視線が、アネリーゼの背中に刺さっている。刺さっているが、痛くはない。正月の親戚の視線に比べれば、なんてことはない。
王子が口を開いた。
「アネリーゼ。君との婚約は——」
「ちょっと待って」
アネリーゼが王子の隣にいる女に目をやった。
「なんであんたがそこにいるのよ?」
「だってこれからは肝っ玉母さんが来るって言ってたじゃない。だったら問題ないでしょ?」
「おおありよ! 酒場の戯言を本気にするんじゃない! あれはなろうのトレンドの話なの!」
「酒場って、あれカフェだけど」
「うるさい、本質はそこじゃない」
廷臣たちがざわめいた。王子の隣の女がアネリーゼと気安く喋っている。ここは罵り合いのはず。台本にない展開にまわりはどうしていいか分からなくなっている。
「だったらどうするの?」
ブリジットの声が、少しだけ低くなった。
「後ろであんたを見てる隣国の王子や、入口で手ぐすね引いて待ってる辺境伯のところに行く?」
アネリーゼは振り返った。
大広間の柱の陰に、隣国の王子がいた。腕を組んで壁にもたれている。目が合った瞬間、その視線がアネリーゼの鎖骨から腰まで、舐めるように移動した。
入口には辺境伯が立っていた。花束を持っている。泣いている女の肩に手を置く準備が、もうできている顔だった。
「後ろの連中を選んだら、エロ小説になる未来しか浮かばない」
「溺愛って言いなさい」
「エロ小説でしょうが! 溺愛っていうのは目に入れても痛くない孫に使う言葉よ。裸で抱き合ってる表紙の小説が使っていい言葉じゃない! それに、私はエロ小説の主人公になる気はないのよ!」
廷臣たちが息を呑んだ。王宮の大広間で聞く言葉ではない。だが、もっと聞きたい欲求を抑えられない。
「だいたい困るのよ。私は幸せになりたい令嬢ものを探してるのに、エロ小説とBLのあいだに並べないでよ! ゾーニングはどうなってるのよツタヤ!」
「買わないの?」
「買うわよ! 一番上に幸せになりたい令嬢を置いて持って行くわ」
「あっ、それ意味ない。順番にレジを通したら、エロ小説が一番上になるわ。店員にガッツリ見られるから」
「それを先に言いなさいよ。ていうかエロ小説と認めるのね」
王子が、小声で訊いた。
「あの、何の話をしているの……?」
二人の令嬢は答えなかった。答えられなかった。そんなジャンルを読んでるとは知られたくない。
「幸せ令嬢もいいけど、あれ長すぎない?」
誤魔化すようにブリジットが腕を組んだ。
「幸せになるまでどんだけかかるのよ。待ってられないわ」
「アラサーだもんね。私たち」
「だから現実に引き戻さないで。——で、どうするの?」
王子が一歩前に出た。
「あの?」
「「黙ってて」」
「……はい」
王子が黙った。大広間が静まった。
辺境伯が花束を持ち直した。隣国の王子が壁から背を離した。
廷臣たちが固唾を飲んで待っている。
アネリーゼは天井を仰いだ。
建国王の天井画。その隣に三人の王妃が並んでいる。
「分かったわよ」
声が、変わった。
「やってやろうじゃないの。なってやるわよ、肝っ玉母さんに」
王子が目を見開いた。
「いったいどういう——」
「あんたね。どうせこのあと陛下に責められて王太子の権力を剥奪されるんでしょ? 北の塔とかに幽閉されて反省するんでしょ! そんなあんた見たくないから!」
「それって——」
「だから、好きだって言ってんの!」
大広間が止まった。
隣国の王子の腕が解けた。辺境伯の花束が少し下がった。廷臣たちの息が、止まった。
「だいたいねえ。小さい頃からの幼馴染で、婚約者としてずっとあんたを支えて来て、情もあるのに、昨日今日あらわれた王子なんかに心惹かれるわけないでしょうが! あんた私をなんだと思ってるのよ! 絶対に離れないから!」
「でも……」
「でももへったくれもないわ。だいたいこの国の王になるんだから、女の一人や二人どうにでもなるでしょ! 全部手に入れりゃあいいのよ全部。私にはそれくらいの度量があるんだから!」
「許してくれるの?」
「どうせあんたの事だからどっちも選べないんでしょ?そいつも好きだし、私にも未練がある」
「う、うん」
王子の隣の女が、自分が「一人や二人」に含まれていることに気づいてニヤリと笑う。
「それとあんた」
「はい」
ブリジットが背筋を伸ばした。
「やるとなったらとことんまでやるから。こいつが大陸を統一して覇王になるまで止まらないから。あんたのその剣聖のスキルもフル活用するからね」
「はいはい、大賢者様」
王子の顔から血の気が引いた。
「覇王? そんな大それた——」
「まったくナーロッパの男はなにも分かってないわね」
アネリーゼはまっすぐに王子を見た。
「女はね、自分の男が上っていくのを見るのが大好きな生物なの」
大広間の窓から午後の光が射していた。
アネリーゼの全身が浮かび上がった。
「スローライフとかのんびりとか、そんなの求めてないから! 男なら野心。これ一択でしょ! ランキングを令嬢に占められて悔しくないの?」
辺境伯がくしゃみをした。花束の花粉だ。
もう誰も振り向かなかった。
隣国の王子はいつの間にか姿を消していた。
当然だ。一刻も早く国に帰って戦の準備を整えなければならない。
「わかったら覚悟なさい。女を二人以上娶るってことは、大陸を統一するより難しいんだから!」
読んでくれてありがとうございました。




