【13】
それから日は過ぎ、本格的に雪の季節になった頃。
「ー凛、おつかいを頼めるか?」
大雅の言葉に、凛はすぐさま答える。
「いいよ。どこに行けばいいの?」
「ここだ。地図を描いておいたから」
地図を手渡され、凛は風呂敷を持つ。中は店の品物だと思うが、何が入っているかは内緒だった。
「ー行って来ます」
「行ってらっしゃい」
大雅に見送られ、凛は外に出ていく。今日はどんよりとした雲が浮かんでおり、夜にはみぞれになるかもしれないと推測する。
ーはあ。寒い。
手に息を吹きかけると、目的地を目指して歩いていく。皆、早足なので、天気が気になるらしい。凛も早く済ませようと考え、小走りになっていく。しかし寒さを感じると、視界が狭まるようで、橋の上に来た時、後ろから体当たりされた。
「きゃあ!!」
凄い勢いで転んだのだが、相手は失礼なことに詫びもなく行ってしまう。どういう教育を受けているんだと、凛は憤慨する。
ー普通、助けるでしょう? 全く。
人間関係の最低な場合だと、凛はすかさず睨みつける。しかし相手はもういない。残された凛は悔しさから唇を噛み、動かずにいる。すると
「大丈夫?」
女性の柔らかな声、しかも聞いたことのある声に、反射的に顔を上げる。やはり相手はぼたんだった。
「ぼたんさん…。どうして?」
「いいから。怪我してない?」
両手を確認され、凛は血が出てないから大丈夫と安堵する。
「それにしても失礼な人間ね」
肩や胸を叩いてごみを落としてくれる。しかしその時、
ーあれ?
何か引っかかるものがあったのだが、ぼたんに立たされ、膝のごみも叩き落としてもらう。
「とりあえず、大丈夫そうね。痛いところはある?」
「ないです。ありがとうございます」
ぼたんの優しさに、凍っていた心が溶けていく。人間、捨てる者もいれば、拾う者もいるのだと感心する。
「凛ちゃん、おつかいなの?」
「はい、そうです。父に頼まれて…。ぼたんさんは?」
「私はー」
ぼたんが何か言おうとした途端、後ろから悲鳴があがる。
「わあ!!」
「きゃあ…!!」
「…何?」
何が起きているのか分からず、ゆっくりと振り返る。いや、実際には素早く見たのだが、凛自身、とても時間がかかったように思えた。
「ば、馬車が!! 暴走している!!」
男性の言葉に、凛はようやくはっと我に返る。ぼたんも馬車が来るのを見たらしく、凛の腕を強く掴む。
「危ないから行きましょう」
「は、はい。でも…」
馬車は道を通る人達を邪魔だとばかりにはねていく。転ぶ人、泣く人、様々な状況が生み出されていく。
ー早く逃げなきゃ!!
そう思うのだが、足が動かない。得体の知れない怖さを感じ、ぼたんを先に逃がそうとする。
「ぼたんさん、先に行って!!」
「でも…!! 凛ちゃんも早く!!」
「私は…!!」
言いかけた直後、御者が降りて逃げ惑う人達を追っていく。歳は40代くらいだろうか。手には包丁と鎌を持っている。
ー何? 何? 何? 何をするつもり?
凛が呆然としている中、座り込んだ人や逃げ遅れた人達が次々と襲われていく。血の香りが濃くなり、凛は恐ろしくなっていく。
「全員、殺してやる!!」
どうやら男は皆殺しにするつもりらしい。特定の相手が憎くて殺すというよりは、誰でもいいから殺すつもりらしい。
ーそんなのってある…?
凛の前には悲鳴と怒鳴り声と、色々混じって聞こえる。
「お前らだけ楽しくしやがって…!! 馬鹿にした奴ら、全員、殺してやる!!」
勝手な言い分に、凛は男に対して嫌悪感をもつ。
ー楽しくって…。皆、苦労しているかもしれないのに!!
男の顔は真面目そうだが、今はかえり血を浴びて恐ろしい形相になっていた。どうやら目は血走っているらしい。
「役人を呼べ!! 役人を!!」
皆、蒼白な顔で走っていく。ぼたんが腕を引っ張ってくれるのだが、どうしても凛は動かなかった。
ーこういうのって何ていうの? 無差別殺人?
頭は冷静になってきており、誰か止める人はいないのかと周囲を見回す。しかし、皆、自分の身だけ守るのに必死で刺された人を見捨てて逃げていく。
ー誰かが止めないと!!
凛はふと聖也と優のことを思い出し、もう後悔したくなかった。
「ぼたんさんは逃げて!! 早く!!」
彼女の背中を押すと、ぼたんは逆に凛の襦裙を強く引っ張ってくる。
「何をする気!? 凛ちゃん!!」
「それはその…。ちょっとごめんなさい、ぼたんさん」
うめき声が聞こえる中、凛は男に対して近づいていく。そして、はっきり聞こえる声て言う。
「やめなさい!! 皆、怖がっているでしょう!!」
「誰だ、お前…!! 良い人ぶりやがって!! 殺してやる!!」
凛に向かって来たので、とっさに距離をおく。そのまま、じりじりと対峙する。
「…何が目的なの?」
「ふん!! お前なんか死んでしまえ!!」
全く会話にならなかった。やばいと頭の信号が危機を伝えているのだが、凛は逃げようとしなかった。
「俺なんか…俺なんかどうでもいいんだ!!」
自分勝手な言い分で走ってきたので、避けようとし、腕を怪我する。
「痛っ!!」
それでも凛は逃げようとしなかった。彼自身の闇が悲しすぎるような気がしたのだ。
ー強い孤独感と憤りを持っている人だ。
同調はできないが、同情することはできる。この男は全てを捨てる覚悟で行動しているのだと考える。
ー犯罪には地位も名誉も関係ない!! 目の前の動くものにしか反応していないんだ!!
人間の狂気を感じ、男を追いつめれば追いつめるほど、増していくような気がした。
ー一歩、間違えれば、私もそうなっていたかも。
そう思った途端、雅巳の顔が浮かび、勇気づけられる。彼も孤独だが、一生懸命もがいて生きている。だから目の前の男は自分勝手すぎると結論づける。
ー全ての人間が憎いなんて…。中には優しい人や穏やかな人だっているのに…!!
そう思っていると、ぼたんが大声を出して言ってくる。
「役人が…!! 役人が来たわよ!!」
数十人単位でやって来て、男を取り囲む。すでにこの場は地獄絵図だった。重軽傷の人達、殺された人達、あまりの無惨さに凛は嗚咽をもらす。
ーう…。血の香りが濃い…。でも。
男の最後はどうなるのか気になり、注目する。男は役人に取り囲まれ、逃げる場をなくしていた。それでも包丁を振り回したり、鎌を動かしたりと、まだ暴れ足りないようだった。
「おとなしくしろ!! もうお前は終わりだ!!」
役人の言葉に、男がふと笑った。なぜこの状況で笑えるのか知らないが、狂っているとしか言いようがなかった。
「凛ちゃん!!」
危ないのに、ぼたんが駆けつけてくれ、大事そうに抱かれる。ありがたいことに、凛の周りの人間は思いやりがあるし、恵まれた環境だった。
ー多分、こういう関係を築けない人だ、この人。
人間関係の始まりは親子関係なのだが、それが上手くいっていないのではないだろうか。守って守られて、褒めて、褒められて育つのに、この男は哀れなことに安心を知らない気がした。
「くそ!! くそ!! くそ!!」
何とか役人を払おうとするのだが、槍を突きつけられ、男は「ちっ」と舌打ちする。包囲され、上手く動けないようだった。
「こうなったら…!!」
包丁を首に当てようとしたところを、役人達がめがけて追いつめる。素早く縄で縛られ、男は動かなくなった。
「この野郎…!! 俺は死ぬんだよ!!」
理由のわからないことを言い、男は役人に殴られる。
「死にたいなら、なぜ周りを巻き込んだ!! 1人で死ねばいいだろう!!」
役人の言葉はもっともで、凛も同感だった。
ー何がしたかったの、この人…? 周りの人に八つ当たりして…。皆、必死で生きているのに!!
ぼたんが手巾を出し、手当てしてくれる。
「ありがとうございます、ぼたんさん」
「いいから。今は動かないこと。いい?」
今度はぼたんの言うことを聞くことにした。
「くそ、殺せ、殺せ! もうどうでもいいんだよ!!」
喚く声は皆の怒りを買い、白い目を向けている。
「…目立ちたいなら、頑張ればいいのに」
ぼたんがぼそりと告げたが、男には聞こえなかったようだった。男は馬車に乗せられ、連れて行かれてしまった。あとに残されたのは憎悪と虚しさのみだった。
ーこんな結果って…。最低。
誰を想ってか、目から涙がこぼれてくる。それをぼたんが怖がっていると勘違いしたのが、優しく頭を撫でてくる。
「もう大丈夫。大丈夫だからね」
「…はい」
凛はしっかりうなずくと、目元を拭ったのだった。




