第5話:鏡の檻と虚構の声
やっと戦闘に入るとか…入らない…とか?
オブリシカが顕現すると、その周囲は立ち入りを禁止される。
先に進めるのは、レガティマという証を持つ者たちだけだ。
廃墟のようになった街並を3人は歩いていると、突如として霧が発生し、霧の奥に、それは静かに姿を現した。
ガラスと鏡で組み上げられた城。
陽光を受けてきらめくその姿は、まるで理想の象徴のようで———どこか、壊れかけていた。
ひび割れた壁。欠けた装飾。美しさと脆さが同居する異様な光景に、3人は足を止める。
「………お城、みたい……」
リッカが小さく呟く。
「………なんだよ、これ……」
シンの声には、戸惑いとわずかな恐怖が混じっていた。
ユウヒは低く、冷たい声で、囁く。
「———あれが今回の“レリクス・オブリシカ”だ」
近づくほどに、空気が冷たくなる。
肌を刺すような冷気に、リッカは肩をすくめた。
城門は開かれていた。
まるで、こちらを誘うように…
足を踏み入れた瞬間、世界が反転する。
床も、壁も、天井も———すべてが鏡。
無数の自分たちが、無言でこちらを見返していた。
「……全部、鏡…?」
リッカの声が、やけに大きく響く。
「うわっ!なんだこれ!」
反響音にシンが落ち着かない様子でキョロキョロと周囲を見回す。
「………反響が、妙だな…」
ユウヒは短く呟いた。
足音が響く。だが、その反響は妙に遅れて返ってくる。
と思えば、先に音が響き、足の着地と共に音が止む。
音が、嘘をついている———そんな感覚。
パリン。と、軽い音を立てて足元の鏡が割れた。
その瞬間、かすかな声が、どこからともなく———
いや、頭の奥で響いた。
『———オ前ハ、守レナイ』
ユウヒの眉がわずかに動く。
進むたびに、鏡が割れ、声が増える。
『———ドウシテ、殺シタノ?』
『———ナゼ、ソッチニ、イル?』
「……今、何か……」
リッカの不安げな声に、ユウヒはキッパリと短く返した。
「聞かなくていい」
その表情はどこか鋭く、普段の柔和な笑みは一切ない。
そして、少し焦っているような印象も受けた。
———
どこまで行っても同じ景色だった。
手掛かりはない。
シンとリッカの集中力もそろそろ限界か?とユウヒは短く息を吐き、止まるように2人に促す。
「あまり、やりたくは…ないんだけど…」
そう呟くと、ユウヒは自身の左耳に手を伸ばし、つまむように指を握ると、そこから何かを引き抜くように腕を前へと動かした。
銀の光が糸のように伸び、冷たい光沢を放ったそれは、ユウヒの手の内に笛を出現させていた。
それは彼の…ユウヒがレリクスと戦うための武器だった。
「少し、無防備になる。もし攻撃が来たら、自分で対処しろよ」
言うと、ユウヒは笛を唇に当て、音を放った。
澄んだ音色が響く———はずだった。
だが、返ってきたのは、歪んだ残響。
音がねじれて、真っ直ぐに戻ってはこない。
何度か音を響かせて、やっぱりか…と、ユウヒは笛から口を離す。
視線は、空間をなぞっていた。
「……反響が、拾えない。空間が、偽っているみたいな…」
「偽ってるって…」
「虚像だな…虚構、のほうが正しそう…」
———カモフラージュしている
———歪んでいる空間・虚像・虚構
———響いてくる偽りの言葉
「“嘘”、か…ここの、概念…」
情報を元に思索していたユウヒの中で、何かがパチリと嵌った。
そのときだった。
鏡の壁に亀裂が走る。
そこから、白くひび割れた羽根が、音もなく飛び出した。
「来るぞ!!」
飛んできた羽根を笛で弾き返し、ユウヒが叫ぶ。
構えた2人に対しても、容赦なく羽根が飛んできた。
弾いたそれも、避けたそれも、壁や床に当たると弾け、その場の鏡が砕ける。
鏡が割れるたび、先ほど微かに聞こえていた囁きが大きく響いた。
『———オ前ハコッチ側ダロウ』
『———オ前ノ出自ハドコニアル』
ユウヒの視界が、一瞬揺らいだ。
鏡に映る自分が、口元だけ笑っているように見える。
———そんな、はずはないのに…
その笑みが、声と重なる。
『———オ前ハ、××ジャナイ』
胸の奥に、冷たいものが流れ込む感覚。
ずっと、胸に秘めていた疑問。
偽っていたものを呼び起こす声。
これは…精神を抉ってくる。
ユウヒは、咄嗟にシンを見た。
「撤退する!ここは…俺らには、相性が悪すぎる」
有無も言わさぬようにユウヒは2人の肩を掴むと、入ってきた方向へと走るよう促す。
「でも———」
「命令だ、シン!」
その声は鋭く、逆らえない圧を感じる。
言葉を発することも、逆らうこともできず、シンは頷いた。
3人は、鏡の空間を駆け抜ける。
だが、そのとき———リッカの足が不意に止まった。
視界の端に、何かが映った。
屈折した空間の奥、歪んだ鏡の向こうに、白い……鳥籠のようなものが。
中に、誰かが———
「……あれ、は……?」
リッカの唇が震える。
その瞬間、ユウヒの声が鋭く響いた。
「だめだ!リッカ!止まるな!!」
その叫びと同時に、リッカの腕を掴み、自身の方へと引っ張る。
先ほどまでリッカが立っていた場所には羽根が突き刺さり、その一つはユウヒの腕をわずかに掠めていった。
「ユウヒさっ!」
「大丈夫だ!」
光景にリッカが叫びそうになるのをユウヒは制する。
掠めた羽根は鋭そうなのに、傷ができることはなかった。
が、一瞬だけ、視界が揺さぶられたような感覚があった。
脳内で、何かがざわめく感覚も、ある。
(これは……当たってはいけないものだ…)
瞬時に判断したユウヒは、シンに向かって叫んだ。
「攻撃に当たるな!回避するか、弾け!」
自身が手にしたままの笛を使って、更に襲ってきた羽根を弾き指示を出す。
シンは頷くと同時に手に自身の武器である槍を手にして、降りかかる羽根の刃を弾き飛ばしていった。
「リッカ…撃てるか?」
微かに震える彼女の顔を覗き込み、ユウヒが問う。
リッカは自身の武器である銃を手にしてはいたが、その手には力が入らず、ユウヒの方を見るのに精一杯だった。
「いいよ、大丈夫だから。俺から離れないで。撃てそうなら、撃っていい」
リッカを気遣いながら、ユウヒは攻撃を弾いていく。
静寂だったことが嘘のように、羽根の刃は縦横無尽に飛び交う。それを避けながら、3人はなんとか出口が見える付近までたどり着く。
「リッカ、走って!攻撃に当たらないように、振り返らず外だ!」
彼女の背を押して、外へと促す。
走っていった姿を確認すると、ユウヒはシンへと振り返る。
今まさに、無数の刃がシンに降りかかる直前だった。
「シン!!!」
駆け出すと同時に、ユウヒは手にしていた笛の形状を伸ばし、身の丈ほどにすると、くるくると旋回させて攻撃を弾いた。
「ユウヒさん!!」
「当たるなよ、シン!お前は絶対にだ!」
シンに厳命し、風切り音が飛び交う中、2人はジリジリと後退する。
侵入口が近くなったとき、声が響いた。
「2人とも!こっち!!」
シンが顔を上げると、そこには笑顔のリッカが立って2人を呼んでいた。
気が緩んだのか、シンは彼女の方に走り出した。
「シン!ダメだ!!」
ユウヒの声が響く。
見えていたはずのリッカの姿はそこになく、シンは無防備に空間に晒された。
空間が歪み、リッカの虚像に騙されたのだ。
そんなシンに、容赦ない羽根の刃が襲う。
「———ッ!!!」
シンに当たるはずの攻撃は、彼に届かなかった。
シンを庇うようにユウヒが覆い被さり、その背に羽根の刃が全て突き刺さっていた。
血は流れない。
肉体を切り裂く攻撃ではなかった。
けれど、ユウヒの表情は苦悶に歪んだ。
「ユウヒさん!!」
「大、丈夫…だ!あと、少し…走れ…!」
息を荒げながら、ユウヒはシンに走れと促す。
転げるように走るシン。
追い打ちをかけるように浴びせられる攻撃は、弾くのも惜しんだユウヒの体によって防がれていた。
刃が体に刺さる度、思考が揺らぎ、惑わされる。
意識が飛びそうになるのを必死に堪え、オブリシカから外へ、倒れ込むように逃れた。
———息が、詰まる…
———意識が、遠のく…
ユウヒは必死に呼吸をし、意識を保とうとしていた。
背中には無数の刃が刺さったまま。
慌てて駆け寄ったリッカが、それに触れようと手を伸ばし……
「触るなっ!!!」
反射的にユウヒが怒鳴った。
ビクリと体を硬直させ、驚きすぎたリッカが涙を流す。
悪い。とユウヒが息と共に謝る。
「これは…触れたら、ダメだ…」
息絶え絶えと言った状態ですら、相手を気遣うユウヒに、2人は何も言えなかった。
やがて、刃は溶けるように、彼の背から消えた。
———ドクンッ!!
刃が全て消えた刹那、ユウヒは息が止まるような衝撃を受けた。
頭の中に、負の感情が一気に流れ込んでくる。
あまりの衝撃に身悶えながら、ユウヒは飛びそうになる意識を何とか保っていた。
次回更新予定は10/13です。