第3話:胸騒ぎと初陣
世界が少しずつ、動き出します。
地上は、ざわめきに包まれていた。
誰もが息を呑み、視線を交わす。遠くで鐘が鳴り、警報の音が重なる。
「本当に頭現したのか?」
「六年ぶりだぞ…」
断片的な声が飛び交う。
オブリシカ———その名を口にするだけで、空気が重くなる。
ユウヒとホウジュンは無言で階段を降りていた。
同じようで同じではない気配。
今回のオブリシカは、何かが違う。
確かめなければならない。胸の奥に、拭えない不安を抱えながら。
———コンシリウム。
高い天井と円卓を囲む空間に、ルクスたちが集まっていた。
「周辺の閉鎖を急げ!!」
「調査を出す必要がある!」
声が飛び交う。
六年の空白は、あまりにも大きい。
戦力不足は明らかだった。
「誰が行く?」
その一言で、場の空気が張り詰めた。
新人を連れて未知のレリクスに挑む。
それは、命を賭ける選択だ。
「……俺が行く」
ホウジュンが口を開いた。
「シンとリッカを連れて、調査にあたる」
シンが息を呑み、リッカが小さく頷く。
「はい!」と声を揃える二人に、ホウジュンは短く「無理はするな」と告げた。
ユウヒは、壁際で黙ってそのやり取りを見ていた。
表情は穏やかだが、その瞳の奥に、何かを図る光が宿っていた。
———
会議が終わり、他のルクスたちは散っていった。
さっきまでの喧騒が嘘のように、広い空間には静けさが満ちている。
残っているのは、ホウジュンとシン、リッカ。
そして、ユウヒだった。
「俺が行こうか?」
静寂を破るように、ユウヒがさらりと提案する。
久方ぶりに現れたレリクス・オブリシカ。
圧倒的に経験者が足りないと判じ、シンとリッカを、ルクスになったばかりの2人を連れていくと言ったのは先ほどのこと。
そして、主にシンの指導をしていたホウジュンが連れていくべきだと、決まったばかりだ。
「まず、会議で言えよ、お前は…」
「いや、言える雰囲気じゃなかったし…」
どうも、この男は会議自体を軽んじているきらいがあるな。と、ホウジュンはこめかみに手を当てる。
しかし、ユウヒの意見はもっともでもある。
ホウジュンは、情報戦をあまり得意としていない。
新人を連れた状態で、未知のレリクスの情報を持って来れるかどうかを懸念していたのは事実だ。
それに比べ、ユウヒは自他共に認める情報収集能力と戦闘能力があり、引率的もそつなくこなすだろう。
しかし、ホウジュンは渋い顔をする。
「お前は…どうせ無茶をするだろう?1人だと、危なっかしい」
「いや、1人では、ないだろう?」
「止められないだろう、お前が本気になれば」
なまじ、実力があるため、ユウヒは突っ走る傾向にある。それに2人がついていけるか甚だ疑問ではある。
そして…ホウジュンは、妙な胸騒ぎを感じていた。
「いや…流石に初戦なんだし、そこまで無理や無茶はしないさ…」
「……会話が既に、無茶をする前提なんだよ、お前は…」
「別に、いいならいいけど…それに…シンは、俺じゃなくてホウジュンがいいって思ってるだろうし?」
「なっ!え?ちょっ!なんでですか?!」
突然話を振られたシンが動揺して立ち上がり、慌てふためく。
その素直な反応に、ユウヒはくすくすと笑った。
それにも、シンは更に反応する。
「!!いいじゃないですか、ユウヒさんで!ホウジュンより強いし!」
「だ。そうだけど?」
必死になって弁明するシンに、ホウジュンは眉間に手を当てて、盛大にため息をこぼす。
「からかわれてんだよ、お前…落ち着け、シン」
「……ッ!!!」
ホウジュンの言葉に、顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせているシンを横目に、ユウヒはリッカに向き直る。
「リッカは?俺でいいか?」
「はい!嬉しいです」
ニコッと笑みを浮かべるリッカに、ユウヒも微笑む。
「うん、可愛い」
「え?!!」
軽口を交えてから、再度ユウヒはホウジュンを見る。
「新人2人の許可は取ったけど、どうする?お前が行くか。俺が行くか。」
「…………任せる」
もう言っても聞かないだろうと観念したホウジュンは、両手をあげて降参ポーズをとった。
──
「ずっと、渋い顔だな?何が不満なんだ?」
シンとリッカにも必要事項を伝え解散となった後、まだ考え込んでいるホウジュンに、ユウヒは声をかけた。
任せるとは言ったが、納得してないような態度に、ひっかかりを感じた。
いや…と言葉を濁すホウジュンだが、ユウヒはそれを許さず、じっと彼を見つめる。
一度ため息をこぼしたホウジュンは、頭を掻きながら口を開いた。
「不満とかじゃねぇよ。ただ……」
「ただ?」
首を傾げるユウヒに苦笑し、ホウジュンは自身の胸あたりを摩る。
「なんとなく、落ちつかねぇんだよ。ここら辺…ざわつくっていうのか?」
へぇ。と、ユウヒがこぼす。お前がねぇ…と言葉が続き、茶化すなよ。とホウジュンが嗜めた。
「普段特に感じないやつが、急におかしいだろう?別に大したことじゃ…」
「普段感じないやつが感じてるんだから、何かあるに決まってるだろう?」
ホウジュンの言葉を遮るようにユウヒは言う。
別に茶化してないとも付け加え、何やら考えるそぶりを見せる。
「そう言う直感は、信じた方がいい。何かあるって考えてた方が、すぐ動けるからな」
「ユウヒ…」
「気にしておくよ。で、他にも何かあれば言え」
情報は多いに越したことはない。と、彼はいつもの笑みを浮かべる。
普段なら、その表情に気持ちは晴れるが、今は一向に拭えなかった。
「わかった。何かあったら、すぐに知らせる」
「何もなくても、知らせてくれていいぞ」
「なんだよ、それ…」
普段の軽口に小さく吹き出しながら、ホウジュンはユウヒの頭を雑に撫でる。
この胸騒ぎが現実に起きないといい。
そう、願いながら…
──
「準備はできたか?」
セントリウムの門前で、ユウヒはシンとリッカに声をかける。
3人とも軽装だ。長く行く予定はないため、荷物は最低限にとどめられている。
ユウヒに至っては、ほぼ手ぶらといった格好ですらあった。
「無茶は、するなよ?」
「だからしないって……それより」
ホウジュンの言葉に笑いつつ、ユウヒは自分の胸に指先をトントンと叩きながら、逆に問いかける。
「まだ、引っ掛かってるか?」
ホウジュンは少しためらってから、ああ。と答えた。
「なら、オブリシカ関係だな…何が待ってるんだか…」
真剣な表情で、ユウヒは遠くにあるオブリシカを見つめた。
普段、軽口を言うようなものとは違い、その目はとても鋭かった。
それを見たシンとリッカは驚きと共に、気持ちを引き締める。
そんな2人を見て、ホウジュンはポンと、2人の肩を叩いた。
「今から張り詰めてたら、保たねぇぞ」
わかってるよ。と、シンが強がりを口にする。
くしゃくしゃと、ホウジュンはその頭を撫でた。
「大丈夫だ。ユウヒを信じて、ついていけばいい」
ホウジュンの言葉に、2人は頷く。
プレッシャーかけるなよ。と、ユウヒは軽口を叩いた。
「まぁ、今回の目的は討伐じゃない。攻略でもない。調査だ。自分の安全と、命と、それを、最優先でいい。帰ってさえくれば、情報はついてくる」
強張っているリッカの頬を軽くつまみ、可愛い顔が台無しだぞ。とユウヒは笑う。
もう!とリッカはユウヒを嗜めるが、ドキドキしていた気持ちが緩んだ気もした。
それを見て、ユウヒは軽く頷いた。
「最低限、あのレリクスがなんなのか、それだけ持ってこれたら上出来だ。気負わなくていい。今日明日で、決着なんてつかないから」
まだ固いな。と、ユウヒはシンの肩を叩く。
そんなことねぇよ!と強がるシンに、とりあえず深呼吸しとけ。とホウジュンが笑う。
「初陣に、成果なんて期待してねぇよ。お前たちがやることは一つだ。……生きて、帰ってこい」
ホウジュンの言葉に、シンもリッカは頷いた。
よし。と、彼は2人の肩を叩く。
そして、視線をユウヒへと向けた。
「頼んだ」
「ああ…」
頷くユウヒを見て、ホウジュンはシンとリッカの背を押して送り出す。
「行くぞ」
「「はいっ!!」」
ユウヒの言葉に返事をし、3人はオブリシカを見据えた。
ユウヒが手元を何やら操作すると、3人は光の幕に包まれ…その場から姿が消えた。
オブリシカが顕現した時にだけ使える転移装置──アクシス・コードが、3人を死地へと送ったのだ。
ホウジュンは、それを見送る。
彼がユウヒを見送るのは、今回が初めてだった。
ひっ迫状態でもない限り、もう2人は共に出ることはないだろう。
どちらかが戦い。
どちらかが守る。
「生きて、帰ってこいよ……3人とも…」
不安は、拭えない。
けれど、見送ることしかできない自分が、歯痒かった。
次回更新予定は9/28です。