第12話:鏡の中の私
その仮面は、その白は、誰のためなのでしょう…
成人の誕生日、前日。
白いドレスが、アイナの体を包んでいた。
柔らかな布地は肌に馴染み、まるで自分が誰か別の人間になったような気がした。
鏡の前に立つと、そこには見慣れたはずの自分が映っていた。
「……きれいだ」
背後から、トウヤの声が響いた。
その言葉に、アイナの胸が軋む。
――どうして、そんな顔で笑えるの。
――あなたは、何も知らないのに。
「ありがとう」
声が震えないように、必死に笑った。
その瞬間、鏡の中の自分が、口だけで笑っていた。
目は、真っ黒な空洞になっていた。
アイナは目を逸らした。
鏡の中の自分が、自分ではないように思えた。
笑顔は、誰かの仮面。
言葉は、誰かの台詞。
「これは、私?」
「それとも、嘘でできた“誰か”?」
その夜、アイナは眠れなかった。
ベッドの上で膝を抱え、天井を見つめていた。
トウヤの優しさが、今は刃のように胸を刺す。
彼の言葉が、彼の笑顔が、すべてが痛かった。
――私は、彼に何も言えない。
――この嘘の世界で、私は何を守っているの?
アイナは立ち上がり、静かに部屋を出た。
誰にも気づかれないように、足音を殺して階段を上る。
屋上への扉を開けると、夜風が頬を撫でた。
街の灯りが遠くに瞬いている。
空は曇っていて、星は見えなかった。
アイナはフェンスの前に立ち、両手を握りしめた。
「……もう、終わりにしよう」
呟いた声は、誰にも届かない。
兄に真実を告げることもできず、嘘を重ね続けた自分を、もう許せなかった。
――本当の私は、どこ?
――誰か、教えて。
そのときだった。
世界が、音を立てて割れた。
空が、ガラスのように砕ける。
足元の床が、鏡に変わる。
無数の自分が、笑っていた。
「やめて……」
耳元で囁きが響く。
――オ前ハ、誰?
――オ前ノ名前ハ、嘘ダ
――オ前ハ、人間ジャナイ
視界が白に染まる。
鳥かごが、目の前に現れた。
その中に、白い少女が座っていた。
――それは、アイナ自身だった。
――いや、違う。
――アイナの姿で、顔だけがトウヤだった。
「……ああ……」
声にならない声を漏らしながら、アイナはその鳥かごに手を伸ばした。
その瞬間、世界は完全に閉じた。
――新たなレリクスの、誕生の瞬間だった。
彼女は、檻の中で目を開けた。
その瞳は、空洞ではなく、深い深い闇を湛えていた。
笑っていた。
泣いていた。
叫んでいた。
鏡の破片が空中に舞い、アイナの記憶を映し出す。
母の手帳、出生証明書、トウヤの笑顔。
すべてが混ざり合い、溶けていく。
彼女は、静かに立ち上がった。
鳥かごの扉は開いていた。
彼女は、檻の外へと歩き出す。
その足音は、誰にも聞こえなかった。
けれど、確かに世界は変わった。
アイナはもう、いなかった。
けれど、彼女の残したものは、確かにそこにあった。
白いドレス。
割れた鏡。
そして、檻の中の空虚。
夜風が、静かに吹き抜ける。
街の灯りが、遠くで瞬いている。
彼女は、空を見上げた。
その瞳に、星は映っていなかった。
次回更新予定は11/30です。




