第10話:手帳の中の狂気
きな臭い話に…なってきます…
夜の静けさが、部屋を包んでいた。
アイナは机に向かい、引き出しの奥から手帳を取り出す。
古びた革の表紙は、指先に冷たく、重く感じられた。
開いてはいけない。
そう思いながらも、ページをめくる手は止まらなかった。
最初の数ページには、母の日常が綴られていた。
庭の花のこと、トウヤの笑顔、アイナの成長。
穏やかで、優しい言葉。
けれど、ページを進めるごとに、言葉の調子が変わっていく。
トウヤへの愛が、少しずつ濃く、重くなっていく。
「彼は、私の誇り。私のすべて。」
「彼の笑顔が、世界を照らす。」
アイナは眉をひそめた。
母の筆跡が、どこか焦りを帯びている。
そして、あるページで、手が止まった。
そこには、一枚の用紙が貼られていた。
――出生証明書
目を凝らす。
父親欄に記された名前。
「……トウヤ・カグツチ」
息が止まった。
兄だと思っていた人が、父だった。
思わず手帳を投げ捨てる。
心臓が早鐘のように鳴っていた。
母は、兄を愛しすぎてしまった。
その愛が、常軌を逸していたことを、アイナは理解した。
けれど、詳細を知る勇気はなかった。
鏡の前に立つ。
自分の顔が、誰かの仮面のように見える。
「私は……誰?」
記憶が揺れる。
母の怒鳴り声、トウヤが庇ってくれた日々。
その理由が、今になって繋がっていく。
――兄は知っているのだろうか。
ふと思った疑問を解消するには、あの手帳を再度見る必要がある。
怖い、知りたい、怖い、知りたくない、怖い……知りたい。
震える手で手帳を拾い直す。
震える指で、文字をたどっていく。
生々しく書かれている言葉全て、アイナの心を突き刺す。
――自分が生んだ最高傑作
――あんなに愛しいものは他にはない
――どれほど愛しても、愛しても、足りない
――いっそ、あの子を私のものに
歪んだ愛が、これでもかと書きなぐられていた。
そして、遂に事に及んだことも、はっきりと記されている。
――とても、美しい時間だった。
――あの子が、私の中にいる愉悦。
――ずっと、ずっと…あの子は私の物。
アイナは、部屋の隅に座り込んだ。
手帳を抱えたまま、膝を抱える。
トウヤの声が、遠くから聞こえる。
「アイナ、起きてる?」
返事が、できなかった。
この事実を、彼に伝えることなどできるはずがない。
彼は、何も知らなかった。
全て、兄を眠らせてからの、母の狂行だった。
自分が作った芸術品を、母は毎夜のように愛でていた。
そして、父に知られたと書かれた後、日記はぷっつりと止まっていた。
日付は……両親が亡くなった、前日――
窓から差し込む白い光が、鳥かごの小鳥を照らしていた。
その羽が、静かに震えている。
まるで、自分の心のように…
次回更新予定は11/16です。




