第五話:呪われし雷と、刻まれた死の秒読み
あの夜、確かに盗みは成功するはずだった。
鍵を外し、結界の隙を押し広げ、気配を殺し、滑り込むように宝物庫へ侵入した。
用意した袋に金貨を詰め込み、退路も確認済み。
なのに、目を奪われた——あの、黒布に覆われた奇妙な円盤。
「……見なきゃよかった」
犬養遥は、人気のない路地裏に腰を下ろしていた。
肩掛け袋は空っぽ。
手元には何もない。代わりに——胸の奥が、疼いていた。
風もないのに、空気が微かに震える。
視界の端に、ひときわ強い“ちらつき”が走る。まるで空間そのものがノイズを吐き出しているかのように。
次の瞬間、電磁波のように“それ”が表示された。
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▼呪印 ▼
《雷喰ノ呪》
現在の魂雷充電量:9%
維持燃費:1% / 時間
解放スキル:
┗ 雷脚(瞬間加速)
警告:充電量が0%になると即座に【心停止】します。
充電残量が5%以下のときに身体異常・疼き・幻覚・心拍異常が発症
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「……9%」
呆けたようにウィンドウを見つめた。
(あの時……逃げるために、たしかに“雷脚”ってやつを使った。あの加速——あれが魔法か。雷の呪い……)
思考はぐらぐらと揺れ、心拍は早鐘のよう。
落ち着こうとしても、胸の疼きがそれを許さない。
9%。この数字が何を意味するかは、ウィンドウがすべて説明している。
「1時間で1%ずつ減る」
つまり、9時間後には——【死】。
「っ、ふざけんなよ……」
誰に向けたのかわからない怒りを、犬養は口の中で吐いた。
意味のわからない呪い。理解できないルール。そして、即死の条件。
これが……本当に、魔法の力の代償なのか。
「“呪印”って、こんなクソみたいなもんだったのかよ……!」
震える指先でスキルウィンドウを払う。だが、視界の端には微かにノイズが残ったままだ。
痛みと恐怖、そして、言いようのない不安が押し寄せてくる。
そしてもうひとつの問題——充電。
「魔石……」
言葉が漏れる。兵舎の倉庫で耳にしたことがある。
訓練用の魔石は魔力を蓄えており、魔法の媒体や補助に使われるらしい。
雷喰ノ呪が“雷の魔力”を消費するなら、魔石にそれを代替させられる可能性がある。
(自然雷なんて現実的じゃない。雲一つない空だし、落雷なんて宝くじの1等と同じ確率だ)
使えるのは魔石だけ。それも、そう簡単に手に入るものではない。
「……どこにある? 誰が持ってる?」
ぶつぶつと呟く。考えるより先に、焦燥が先行する。
なにしろ、残された時間は9時間しかない。
ふらつく足で立ち上がる。胸の奥が、またチクリと痛んだ。
犬養は、空になった肩掛け袋を見下ろした。
何も得られなかった。命を削って、呪いを抱えて、手に入れたのは9%の【死のカウントダウン】だけ。
「……呪われて、金をばらまいて……結局なんも取れてないし……」
ぽつりと、呟いたその声が、ひどく情けなく聞こえた。
思わず涙が滲む。嗚咽ではない。ただ、黙って、勝手にこぼれた。
誰かのためでも、世界のためでもない。
ただ、腐った金を利用して、自分が生きるためだった。
それなのに——自分の命すら、守れないのか。
「……次は、ちゃんと奪う」
犬養遥は、顔を上げた。
逃げてばかりはいられない。呪いが刻まれた今、時間は常に命を削っている。
だからこそ、動くしかない。
(次は……必ず)
彼の目が、夜の闇に溶けた。