第四話:黒翼の夜、義賊クロウ誕生
王都ヴァル=アルテ、空は完全に闇に包まれた夜。
空には雲ひとつなく、月が沈みかけている。今だ騒がしい夜の繁華街を、犬養遥はひとり歩いていた。
目的はただ一つ——“腐った金”を奪うこと。
その金は、貴族の宝物庫の奥深くに保管されている。表向きには魔導財庫と呼ばれているが、実態は搾取の象徴にすぎない。
使用人として働く中で得た内部情報と、《影が薄い》スキルの特性を最大限に活かし、犬養は今日という日に照準を定めた。
(準備は済んだ。あとは、やるだけだ)
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肩の力を抜くように息を吐き、裏口の鍵へ細工を施す。微細な音と共に錠が外れた。
魔力で構成された警戒結界も、事前に見抜いた“魔力の綻び”を利用し、魔力をずらすようにして押し広げる。
犬養は気配を限界まで希薄にし、その隙間に滑り込んだ。
薄暗い宝物庫の内部。
棚に整然と並ぶ金貨袋、宝石入りの箱、そして魔道具の数々。
どれも、貴族たちが民から吸い上げた富の塊だった。
「……これだけあれば、飢え死にするスラムの子供を何人救えるだろうな」
皮肉のような、吐き捨てのような独り言をこぼす。
だがその目は冷めていた。救いたいのではない。
——その価値を、自分の手に取り戻すために奪うのだ。
選んだのは、重すぎず、価値のある金貨袋を数個。
肩掛け袋に詰めると、ずっしりとした重みが身体に食い込んだ。
そのときだった。
視線が、棚の奥にある“何か”に吸い寄せられた。
黒い布に覆われた円盤状の物体。
金属にも見えるが、触れていないのに微細な振動を感じるような異様な気配。
周囲の空気とは明らかに異質だった。
(……なんだ、あれ)
理性では「やめておけ」と囁いていた。
だがそれでも、犬養の手は自然と布へと伸びていた。
指先が触れた、その瞬間。
「っ……!」
全身を雷が貫いた。
激痛と閃光が視界を焼き、膝が崩れ落ちる。
胸元が灼けつくように熱くなり、皮膚の下で何かが動いた。
雷の紋章——呪印が浮かび上がった。
脳内に、未知の情報が叩き込まれる。
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▼ 呪印発動 ▼
《雷喰ノ呪》が起動しました
現在の魂雷充電量:42%
維持燃費:1% / 時間
解放スキル:
┗ 雷脚(瞬間加速)
警告:充電量が0%になると即座に【心停止】します。
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「……はぁ、はぁっ……なんだよこれ……!」
呪印の刻まれた胸を押さえながら、犬養は呆然と立ち尽くす。
力が得られた。だが、同時に命のリミットが刻まれたことも理解した。
その時、警報が鳴り響いた。
「侵入者だ! 第三宝物庫に魔力反応!」
「術式干渉あり! 急行せよ!」
(クソッ、バレたか!)
犬養は袋を掴み直し、即座に出口へと走り出す。
外にはすでに兵の影が迫っていた。
「行かせるなっ!」
周囲から飛来する魔弾。犬養は新たに覚醒した《雷脚》を発動する。
「……行けるか?」
視界が歪み、雷光と共に身体が加速する。
敵の網を掻い潜り、王都の外縁へと駆け出す。
だが——敵の数があまりに多すぎた。
(……逃げ道がねぇ)
宝物庫から奪った金貨。
犬養は袋を見下ろした。
(全部使い切るか……)
覚悟を決めて、彼は袋を開いた。
そして——その中身を、周囲の通りにばらまいた。
シャララララ——と金貨が夜空を舞い、通りの民たちの元へと雨のように降り注ぐ。
「金だ!」
「なんだ!? 本物の金貨!?」
「拾え! 今のうちに!」
群がる民衆と混乱に、兵は足を止めた。
その隙に、犬養は路地裏へと姿を消した。
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人気のない地下通路に逃げ込み、壁に背を預ける。
荒く息を吐きながら、犬養は力なく呟いた。
「呪われて、金をばらまいて……結局なんも取れてないし……」
肩から滑り落ちた袋の中には、もう何も残っていない。
手に入れたはずの“自由”も、思い描いた“勝利”も、遠く霞んでいた。
だが——王都では、早くも噂が広がっていた。
「闇から現れた義賊が、腐敗貴族の宝物を盗んだらしいぞ!」
「黒い影が金をばらまいて、稲妻のように消えたんだとよ!」
「もう噂がそこらじゅうで出回ってるぜ。闇夜の雷鳥——《クロウ》だってよ!」
犬養はまだ知らない。
この夜の出来事が、後に「義賊伝説」の幕開けとして語られることを。