第二話:誰にも気づかれないからこそ、見えるものがある
王宮の敷地の端に建てられた、古びた木造の兵舎。
異世界召喚された「適正なし」たちが押し込まれた場所。
犬養遥は、そこで目立たずに暮らしていた。
朝は早い。七時起床、簡素な朝食。
硬いパンと味のないスープ。
午前中は薪割り、洗濯、訓練器具の掃除。
昼からは自由時間――という名の放置。
「暇すぎる……」
ベッドに寝転がって天井を睨みながら、同室の栗林晃がぼやく。
元は犬養と同じクラスの男子で、スキル《鉄骨投げ》を持っているが、特に役には立たなかった。
「なぁ犬養、抜け出そうぜ。こんなとこ。王都の外れに仕事場とかあんだろ?」
「推薦状も保証人もなしで雇ってくれる場所、あると思うか?」
「……だよなぁ」
栗林はそれ以上何も言わず、天井の染みを見つめ続けた。
退屈と諦めが染み込んだ空気。それが、この兵舎の正体だった。
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(スキル《影が薄い》……今のところ、ただの嫌がらせスキルにしか見えない)
物理的に姿が消えるわけではない。
ただ、「他人の意識から滑る」。
気配を感じ取られにくく、視線が流れていく。
声をかけられず、話題にも上がらない。
兵舎でさえも、犬養はほとんど“存在しない”ような扱いだった。
だが、それは同時に「干渉されない」ということでもある。
このスキル、使いようによっては――
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犬養は、午後の自由時間を使って街に出るようになった。
王都ヴァル=アルテは、階層によって構造が異なる。
庶民街、商人街、貴族街、そして王族が住む最上階の神聖区。
当然、一般人は上の区画に入れない――はずだった。
(……普通なら、な)
門番の前を、犬養はすり抜ける。
身分証の提示もされない。話しかけられすらしない。
《影が薄い》のスキルは、この世界の“制度の穴”を静かに通り抜けさせてくれた。
(マジで……通れるのか)
誰にも止められず、注意もされず、犬養は王都の裏側――
貴族区の影に入り込んだ。
そこで彼は“本物の現実”を見ることになる。
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豪奢な屋敷の前で、荷車に乗せられた木箱が運ばれていく。
その中には金貨の詰まった袋、魔石、そして見慣れぬ薬草の束があった。
「聖戦支援金」と記された札。
本来、村々の生活支援や防衛に使われるはずの金が、
一部の貴族の手によって懐に収まっている。
それを運んでいるのは、かつて“召喚されたはずのクラスメイト”だった。
犬養は目を凝らす。
(あれは……沢渡か? 召喚式にいたよな)
彼は貴族の雑用係にされていた。顔にあざがあり、目は虚ろ。
完全に“用済み”として搾取される側に落ちていた。
教会が無能な転移者を処理して、金は裏に流れる
(――この世界の勇者ってのは、何なんだ)
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その夜、犬養は兵舎のベッドで目を閉じながら考えていた。
誰も知らない場所で、
誰も見ていない世界を、
自分だけが見ていた。
(助けたいわけじゃねぇ。正義とか、偽善とか、まっぴらだ)
(でも――)
「腐った金で腐った奴がいい思いするぐらいなら、その金で俺が自由になる。……それでいいだろ」
彼は、最初の小さな決意を固めた。
奪われる側で終わらないために。
影の中から、盗る側へと変わるために。
名もない学生Cは、静かに牙を研ぎ始めた。