7.結婚と出産そして離婚
ようやく宗教を辞められた私でしたがそれもつかの間、今度は新たな問題に直面します
想定していたような家庭を築く事はできず、まだまだ毎日泣く日々が続きました
ここから下は残酷な描写や人によっては苦しくなる内容を含みます
苦手な方はブラウザバックしてください
宗教を排斥になってから数週間した後、自分の必要な物だけを持ったN男が関東にやってきました
そしてこちらで暮らす事になり、私とN男は市役所に婚姻届けを提出、正式に夫婦となりました
N男がこちらで暮らすと言ったのも、私と同じく新興宗教や親から遠い場所で暮らしたかったからだと言います
すぐに職を探し始め、四国で暮らす時は必要のなかったため持っていなかった免許も、原付ですが取り仕事に行くようになりました
一緒に暮らし始めて1ヶ月とちょっと過ごしたくらいに、私の妊娠が発覚します
つわりも少しあり家とのかかわり方も当時は複雑だったのですが、出産するまでは実家で過ごしていました
時を同じくして、妊娠して少し経った頃とある郵便物が実家のポストに投函されました
N男の奨学金返済に関する手紙でした
本来であれば奨学金は本人が返さなければならず、定期的に支払わなければならないのですがそれが滞っており、赤紙ですぐに12万くらい支払うよう請求がなされています
学生の時に奨学金を使っていた事は知らず、使っていたとしても返していれば問題はないのですが、それを知りませんでした
返す義務は私や両親にもありませんので、払うように言いましたが貯金もなく支払い能力がないため、N男の両親に報告することになります
電話で支払いをお願いするよう伝えたのですが、N男の両親は
「息子の事なので知りません」
と白を切っていました
その後も何回かお願いをしたのですが払う様子はなく、住んでいるところに取り立てが来ても困るので、私の両親が支払う事になってしまいました
お腹の子も順調に育ち、一度逆子だったのですが通常に向きに戻り計画分娩で出産することになりました
促進剤を打ち陣痛が始まります
叫ばないといられないような痛みを我慢しながら破水して降りてくるのを待っていました
しかし赤ちゃんが引っかかって外に出てこない事が判明、緊急帝王切開になり麻酔を打って出産します
もう少し遅かったら危なかったとお医者さんに言われました
そしてお腹にいた子も出産のストレスからミルクを吐いてしまい、保育器に1週間程滞在することになりました
子より先に母が退院することになり、回復を待って子も退院
ここから頑張って子育てをしようと思っていたのですが、私の親と私達夫婦の折り合いがつかず職場の近くにアパートを借り暮らし始めました
何より母が毎日のように家出した事に対して、恥である、情けない、悲しいと言い続けるのも嫌でした
せっかくのアパートを借りて暮らし始めたのですが、その途中でN男が他の女性と連絡をとっている事に気付きます
ただ連絡をメールだけでやり取りするだけなら良かったのですが、通話をしていたようで携帯代だけで8万という請求が来てしまいました
当時はまだそこまでアプリの普及がなく、通話が無料になるサービスもなかったからです
それに加え仕事が合わないから変えたいと言うようになり、派遣会社の人に相談し他の仕事場に移ります
アパートも変更、ワンルームの家で家族3人が暮らすようになりました
6か月、3か月で仕事を転々とし、出産したばかりの働けない私は女性問題、家族問題、金銭的な問題、子育てに板挟みになりどうしていいか分からず毎日泣いていました
預けて仕事をしようにも面接に行っても断られるばかりで無理でした
そんな中、またしても悲しい出来事が起こります
私を支えてくれていた祖母の死でした
小学生の頃にはもう闘病をしていたのですが、それが再発…帰らぬ人となりました
祖母のお葬式に参列した時に良かったと思った事は、私が宗教を辞めて祖母のお葬式に出れるようになった事と、どんな形であってもひ孫を抱っこさせてあげられた事でした
祖母の死を経験し悲しみに打ちひしがれてN男との事も疲れていた私はN男との関係を考えなくてはなりませんでした
・仕事が続かない
・女性と連絡を取り続けている
・督促状も届いていた
・料理に対して文句が沢山出てくる
・無断欠勤をしたことで会社もクビになった
・ゲームセンターが好きで遊びたいがために好きに出ていく
何よりこのN男と言う人物が父であるという事を子に見せ続けることに全くメリットがありませんでした
子どもが2歳になる頃、私は離婚を決意し話し合いの上最初は別居と言う形で距離を取る事になります
その後の数か月は何度か荷物を届けたり、書類の為会う事もありましたがその時に無理やり襲われる事も経験し、それからは2度と会わなくなりました
離婚になってからは派遣会社さんのほうでも揉め、最終的にN男の弟が四国から迎えにきた事でようやく帰ることになったようです
その後四国に戻ったN男から一度だけ子どもの誕生日に電話を私にかけてきたことがあります
何を言われるのだろう、誕生日のお祝いだろうか?と思った私がバカでした
電話の内容はもう一度復縁したい、また頑張るからチャンスを与えてもらえないだろうか、すまなかったという内容で、子どもの誕生日であるにも関わらずそのことには一切触れません
私の怒りはその時に爆発し、今まで我慢してきた事を全てぶちまけたのを覚えています
チャンスなら今までいくらでもありましたし、子どもが生まれたなら子どものために家族のために頑張ってほしかった
でも何よりも自分優先で、仕事すら続かない生活のできない状況を作っておいてどうやったら復縁できるという考えになるのでしょう?
一番悲しかったのは、子どもにおめでとうを言う、声が聞きたいや話したいとう言う事ではなく、復縁だけに焦点を当てている点でした
「養育費はいらない。だからこれ以上連絡を取ってこないで。2度と私や子どもと関わらないで」
それを言うとN男は絶対にもう一度関東に戻ってやるからな!やり直してやる!と言い電話を切っていきました
そこから現在に至るまで接触したことはありませんし、連絡もとっていません
どのようにN男が過ごしどうしているかにも興味はありません
でも一つだけ申し訳ないと思うのは、子どもに不憫な思いをさせてしまう事です
どこかへ買い物に行っても私の隣にN男がいることはありません
もしかしたら今後成長していくにつれて寂しい思いをさせてしまうかもしれない、そのことが一番気がかりでした