3.切っても切れない過去(会衆編)
私のいた新興宗教は、地域ごとに地元名に会衆と付けてどこの出身かが分かるようになっていました
一年に1度夏にアリーナやドームを貸し切って行われる大会がある時や、季節ごとの大きな集まりがある時に、同じ仲間に自己紹介をするのに使われます
ここから下は残酷な描写や人によっては苦しくなる内容を含みます
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依怙贔屓
どの世界でも見られる事です
私は比較される側だったので、劣等生として扱われていました
私には同い年の幼馴染とまではいきませんが、宗教では付き合いのある子がいました
その子を仮の名前としてA子さんとしましょう
A子ちゃんとは近所に住んでいて同じ宗教だったこともあり、親しみを覚えていました
保育園に行く前くらいだったと思います
その子のお母さんが病気でなくなりました
私の記憶の中にあるもっとも古い記憶と言っても過言ではありません
当時私は死について理解しておらず、その子の家に遊びに行って遊びに来たのだと思っていましたし、A子ちゃんにも遊ぼうと言ったのを覚えています
ただそこにいた仲間の人はまったくそんな状況ではなく、悲しんでいるようでした
「ごめんね、今日は遊べないんだ」
そこから状況を理解するのは小学生に上がった頃だったと思います
一度引っ越しによって会衆が変わった時期があります
その間A子ちゃんとは地域大会等でしか顔を見る事はなく、その時は小学校も別だったため特に何もなく過ごしていました
しかし、両親の希望により一度移った会衆を戻る事になり、それが不運の始まりでした
――――――
そもそも宗教の中では平等に分け隔てなく仲間として接することを教えられているはずです
しかし私が戻った時に感じたのはあからさまな依怙贔屓
会衆の人達はA子ちゃんに夢中で、支援することもほとんどA子ちゃんだらけ
もちろんお母さんが亡くなっているので不便な事もあるでしょうし、支えが必要だったと思います
ただ、私達子どもは世の中の事遊ぶ事を是としていません
それを大人たちはわかっているはずなのに、遊びに行くのも食事に誘うのもA子ちゃんばかり
私だけでなく会衆にいた他の子達もそれは感じ取っていたと思います
嫉妬と言ってしまえばそうなのかもしれません
ただその子だけ誘うのを見せつけるような事もされましたし、あからさまに断られていては自分は拒否されているのだと思うはずです
それが私だけでなかったにしろ、嫌な思いをしたのは事実でした
父が長老という立場の私は、学校にも毎日通い、この世との接点が多いのにも関わらずA子ちゃんよりも先にバプテスマを受けました
バプテスマを受けた事に関しては、私の中でその宗教の中で生きていくという意思表示の表れだったので、ワンシーズンのみ称賛されました
しかしその次のシーズンになるとA子ちゃんが後を追うようにバプテスマを受け、私に対する称賛は何もなかったようにA子ちゃんへ
その時の事は、仕方ないと諦めました
たまに中学校生活でA子ちゃんが不登校でも学校にくることがあったので、学校でのサポートをしていました
給食を持って行ったり、クラス全員で何かをする時は呼びに行ったり、必要な事があれば皆との間を取り持ちました
それも先生に居やすい環境を作ってほしいと言われたのもあり、不登校であれば居にくい事もわかっていたからです
しかしそれをしていた私に、A子ちゃんの父から衝撃的なことを言われます
「娘の事を放っておいてほしい、もう関わらないでくれ」
善意で色々なサポートをしていたつもりでした
しかしもしかしたらそれがA子ちゃんにとってはプレッシャーになっていたのかもしれません
その時の私には何も言う事もできず、はいとだけ言ったと思います
何が間違っていたのだろうという気持ちと同時に、また他人に自分自身を否定された気持ちになりました
もう何が仲間なのかもわからなくなりました
中学を卒業し高校に入るとどんどん会衆とは遠ざかっていきましたし、A子もその時は集会でもあまり見かけなくなっていました
A子がいないからと言って自分に対して何かあるわけではなく、遊びに誘われる事もなかったですし、私は私のまま過ごしていました
むしろそれで良かったのかもしれません
もしその時に会衆の人に遊びに行こうや食事に行こうと誘われていたら、自分の居場所になってしまっていたので、今の私はなかったでしょうし、宗教にも残っていたかもしれません
宗教で教わっている内容とは違う会衆での行動
教えがあるにも関わらず汚い大人のやり取り、依怙贔屓、確執
仲間とは宗教とはなんだろう?
見た目だけ取り繕ったところで、中身はドロドロで気持ちが悪い
宗教も会衆も親も人間も全て疑心暗鬼
どれだけ世の中に怖い悪魔がいようと、襲ってくる動物がいようと、結局一番怖いのは人間なのだと…
子どもながらにそれを思った私が存在しました