2.切っても切れない過去(新興宗教説明編)
何もない人はいない
誰でも沢山悩み、迷いながら前に進みます
その内容が人によって大きいか小さいかの違いです
ただ、私の場合は人よりちょっと特殊だったかもしれません
ここから下は残酷な描写や人によっては苦しくなる内容を含みます
苦手な方はブラウザバックしてください
両親共に新興宗教(キリスト教系列)の信者である家庭に生まれ、その枠組みの中で育ちました
その中で育つという事は中心となるのは子どもではなく宗教です
しかも私の父は地域の集りの中でも長老という立場が上の人でした
模範的な子どもとして生きなければいけなかった分、規則やルールも厳しかったと思います
テレビ、音楽、交友関係、本、一日の過ごし方、学校でのイベント、挨拶、親が管理できるものはすべて管理していました
そして親や宗教の教えにそぐわない行動を取ると、ゴムホース、靴ベラ、布団叩き、ベルト等でお尻をむき出しにされ叩かれました
身体の負担的にお尻を叩くという事が負担が少ない、そう当時宗教の中で言われていたそうです
ただそれをやる事で子どもの心がどうなるのかなど考えていなかったのでしょう…
ご想像の通り、恐怖に支配され洗脳されていきます
お尻を叩かれる恐怖は自分だけではなく、集会に来た子ども達は他の家族の子どもが泣き叫び外に連れ出される光景を見ます
それは体罰を受ける事が確定した様子を見ていることです
実際に自分が連れ出され、車の中で体罰を受けることもありました
そして私の親の場合、体罰が終わった後ずっと泣いているともう一度連れ出され同じ事をされるという事がありました
よって痛い事をされているにも関わらず、親の前では笑顔でいなければならないと子どもながらに思うようになります
ずっと心の中では泣き、表は笑顔でいる日々が続きました
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週に3回集会という同じ地域の人が集まる会がありました
住んでいる地域によって違うのですが、私のところは火曜夜・金曜夜・日曜午前でした
夜の時は19時くらいから21時くらいまで
日曜日は10時くらいから12時くらいまで
正確な時間を今は覚えていないのでこのくらいだったと思います
そしてそれ以外の時は奉仕活動というお宅訪問をしながら教えを広める布教活動がありました
布教活動に連れられていたのは主に土曜昼間か日曜午後だったと思います
他人に見られた時、活動するのにふさわしい恰好をするように教えられているので、スーツや裾の長めのスカート等きちんとしている格好をするよう心がけていました
それは子どもも例外ではなく、ちょっと高めのレストランに行く時に着るような服を毎回着させられます
その格好で地元の子どもに遭遇した時、とても気まずい気持ちになったのを覚えています
次の日学校に行けば、影でクスクスと笑われていた事も記憶しています
一日の始まりは聖書の節句という小冊子を読むことから始まり、祈りをささげた後食事になります
祈りと言うのは一人で学校にいてもやらなければなりませんでした
小学生の頃は特に何も疑う事がなかったのでやっていましたが、中学生になるにつれ他の人の前にやるのが恥ずかしくなり、短くなっていったと思います
学校から帰ってきても宿題の他にすることは、火曜日と金曜日、そして日曜の集会の時に使う書籍の予習を家族でやる事
宗教の中で生き、大人になっても続けていくために習慣化するよう教えられます
中学生くらいになると文字がもう読めるので、家族で予習をする前に自分で読む事を求められましたし、やっていないと怒られました
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宗教の中では自分達が教えているもの以外は全て悪です
・輸血
・他の神を信仰すること(ありとあらゆる宗教)
・他の人を信仰すること(アイドル、政治等)
・宗教にまつわるイベント(季節であるイベントほぼ全部、誕生日も含む)
・必要以上にこの世の人(自分の宗教に入っていない人々の事)と接する事
・魔法や魔術、祈祷や呪い
・格闘技、暴力
・競い合う事(これにはスポーツも含まれます)
・音楽(ヘヴィメタル、ロック、性的な内容のもの等)
・読み物(成人向け作品、他の宗教の教え、宗教の中で善としないもの全て)
・自慰行為
・お葬式や結婚式も独自の方法がありました
・この世の人と結婚すること(この場合自分の宗教に入れるように指導する)※すでに結婚してから信者になった人は別である
・必要以上に仕事をする事(その暇があるなら教えを広める方を優先するように言われます)
・宗教の教えから外れた事をした元信者
この他、恋愛に関しては結婚するまでもちろん性行為は禁止されており、デートをする時も長老や他の人の監視の元行います
手を繋ぐ以上の事はできなかったと把握しています
そんな決まりがある宗教の中で生活しなければならないのはとても窮屈です
学校での生活についてはまた別途体験を書きますが、同年代の子ども達から浮くのは言うまでもありません
輸血に関しても当時は自分の意思表示のため、輸血をしませんというカードを首から下げるよう教えられていました
大人版と子ども版があったはずです
これに関しては任意だったかもしれませんが、宗教に入っている親がいるのであれば子どもに選択権などありません
宗教の教えから外れた事をした人でも、バプテスマという洗礼を受けているかどうかで対応が変わります
バプテスマを受けていなければ不信者としての扱いなので、集会に来なくなったりしてもまた戻ってきたら歓迎されます
バプテスマを受けていた場合、宗教内にとどまる事を選択するのであれば、一定期間(内容によって異なる)内に親とも信者ともほぼ話す事なく集会に出続けることが必要になります
それが長老(長老の上もいるのでその人も相談していたかもしれません)に認められた場合、仲間として戻ってくることが出来ます
バプテスマを受けており、宗教内から出ていく選択をした場合、排斥
私の場合は最後の排斥になります
もう排斥を言い渡される頃には、入っていた新興宗教に全く興味などありませんでしたし、関わりたいとも思っていませんでした
話せなくなる、関わり合えなくなることに関しても願ったり叶ったりです
それが例え親であろうとも、私はその選択を取りました
それが二十歳の時の経験です